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白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
十一章 深淵の使徒
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【3】ぼんばー

 ティア達は、〈原初の獣〉との遭遇を想定していなかったわけではない。それこそ、ロスヴィータなんて〈原初の獣〉に勝つために準備を整えてきたのだ。

 だが、この場所は致命的に相性が悪い。

 隠れ場所も障害物もない、閉鎖的な地下通路など、猛獣と一緒に檻に閉じ込められたも同然だ。

 セビルが低い声で、ティアに囁く。


「ティア、外はどちらだ」


「ペヴヴ……こっち」


 ティアは風が流れる方向を指さした。無論、〈原初の獣〉に見えないよう、自身の体で指を隠して、だ。

 ロスヴィータがマントの中の小枝に手を伸ばす。それをエラが抑えた。


「ロスヴィータちゃん、まだ(、、)です」


「……っ」


 ロスヴィータが歯噛みする。ゾフィーが涙目で後ずさる。

 緊迫した空気の中、声を上げたのはユリウスだった。


「アグニオール!」


「了解です、坊ちゃん!」


 アグニオールが前に飛び出し、〈原初の獣〉と見習い達とを遮る炎の壁を作った。その間に、ティア達は地上を目指して走る。

〈原初の獣〉が不満そうに喉を鳴らした。


「舐めたもんだなァ……この程度の火で、足止めできると思ったか」


〈原初の獣〉はグッと身を屈め、ひとっ飛びで炎の壁を潜り抜けた。その銀の毛並みは極めて魔力耐性が高く、アグニオールの炎でもダメージにならないのだ。

 ──だが、それはこちらも織り込み済み。

 炎の壁はあくまで、目眩しだ。ゲラルトが炎の揺らぎで、〈原初の獣〉の着地点を読み、剣を振るう。


「せいっ!」


 跳躍して着地するまでの間は、どんな生き物でも無防備になる。

 ゲラルトの剣は確かに〈原初の獣〉の首に振り下ろされた──が、刃が通らない。ゲラルトが息を呑む。


「この間の坊主か…………悪いな」


 銀の狼の呟きは、どこか寂しげですらあった。

 あの恐ろしい魔物は理解しているのだ。自分と人間の間の、超えられぬ壁に。


「今の俺に、並の攻撃は通らん──この肉体は人の技術を凌駕する」


 これが上位種。水晶の鋲で抑えていた力を解放した今、あの獣は人間の手に負える存在ではないのだ。

 走りながらティアは葛藤した。正体がバレることは承知の上で、ハルピュイアに戻るべきか。だが、ハルピュイアに戻っても、〈原初の獣〉を抑えられる気がしない。


(でも、このままだと全滅……)


 その時、コツンと何かが転がる音がした。金属の筒だ。そこから勢いよく白い霧が飛び出す。筒の中には丸めた紙が入っていた。レンの筆記魔術だ。

 レンが叫んだ。


「こいつはどうだ! 魔物にだけ効く猛毒だぜ!」


「坊主、今のは虚勢の声(、、、、)だな? なるほど、ハッタリか」


 笑い混じりの狼の声は、孫をからかう祖父のようだった。

 レンがギクリと顔を強張らせる。当然と言えば当然だ。仮にそんな毒があったとして、ここにはティアがいるのだから、魔物を殺す毒をレンが使うはずがない。


「そういう人間の小賢しさは嫌いじゃないぜ。戦術もまた人の技術だからな」


〈原初の獣〉がグッと身を縮める。あの圧倒的な身体能力の魔物なら、溜めなどなくとも飛び掛かることができるはずだ。

 おそらく、あの獣は試しているのだ。人間の力を。研鑽された技術を。

 それこそが、〈原初の獣〉の人間に対する執着の形だから。


「さぁ、もっと策を弄してみろ、人間。全てこの爪と牙で引き裂いてくれる」


 ティア達は足場の悪い上り坂を走った。途中から階段になっている。この先は外に繋がっているはずだ。風を感じる。

 先頭を走るティアは、水晶に覆われた蓋を押し開け、外に飛び出した。


「……え?」


 ティアは目を見張った。少し遅れて外に飛び出したセビル達も、驚愕に息を呑む。

 ここは、第三の塔〈水泡〉付近ではない。おそらく、庭園でもない。

 木々も建物も水晶で覆われていて、現在地が分かりづらいが、すぐにティアは理解した。ここは宿舎と南門の近くだ。


(なんで、こんな場所に……!?)


 ティア達が目指していたのは、第三の塔〈水泡〉の真下辺りだ。多少ズレても庭園に出るだろうと思っていたのに、だいぶ遠い所に出てしまった。

 ふと気づく。自分達が出てきた地面の穴、施された蓋──こんな物、宿舎のそばにはなかったはずだ。つい最近掘ったばかりのように見える。


(土を操る魔術……カイなら、魔女様の力なら、それができる)


 地下の風景がどこか見慣れなかったのも当然だ。あそこはフィーネが閉じ込められていた揺籠付近ではない。

 おそらく、元々あった地下通路の一部をカイが掘り進めて作った新しい道だったのだ。

 全ては、あの地下通路の存在を知る者を誘き寄せて一網打尽にするために。

 周囲の茂みでカサカサと音がした。姿を現したのは虫の魔物だ。更に頭上には、目玉鳥達が不気味にギュイギュイと鳴きながら飛び交っている。

 そして、その合間に見えるのは燃える炎の色をした、美しい羽……。


(──お姉ちゃん!!)


 姉の琥珀色の目がキョロリと動いてティアを捉えた。

 姉が口を開く。ティアは叫んだ。


「みんなっ、耳、塞いでっ!」


 注意を促し、そして叫ぶ。歌声ではない、「あ──!」という意味のない叫び声だ。それでも、姉の歌声を多少打ち消すことができる。


(お姉ちゃんの歌声は、虚脱の歌だ。人の戦意を奪う歌声……)


 セビル達は耳を塞ぎ、膝をついていた。カロンララの歌が影響しているのだ。

 今のティアの叫びだけでは、完全な相殺はできない。力を抑える水晶の鋲を抜き、充分な魔力を得たハルピュイアの歌声なのだ。

 自身もハルピュイアの姿に戻るべきか。ティアの心が揺れる。

 その時、背後でゲラルトが叫んだ。


「後ろっ、〈原初の獣〉が来ます!」


 周囲は虫の魔物、上方にはカロンララと目玉鳥、そして背後に〈原初の獣〉。

 絶望的な状況の中、ティアはすぐ近くにある宿舎二階の窓から、こちらを見下ろす男に気づいた。

 至るところに包帯を巻いた、金髪の男。被っているのは薔薇の装飾のついた帽子。


(カイ!!)


 カイは笑っていた。その唇が動いて言葉を紡ぐ。

 姉の歌声、ティア自身の叫び、魔物達の鳴き声──そんな状況でも、ハルピュイアの優れた耳はカイの声を確かに聞いた。


『さぁ、キャンディをお食べよ』


 キャンディを食べた瞬間、ティアの正体は露呈する。カイはそれを狙っているのだ。

 その濃厚な悪意の気配を断ち切ったのは、レンの叫びだった。


「全員オレから離れろ! ユリウスはアグニオールしまっとけ! 魔力量多い奴は絶対近づくな!」


 レンは宿舎の入り口あたりに向かって走った。その近くには虫の魔物がいるのだ。レンを止めなくては。だが、レンは「絶対来るなよ!」と言う。


「レン──!」


 叫ぶティアに、レンは「心配すんな」とウィンクをした。強がりの美少年ウィンクだ。


「切り札使うにゃ早すぎるが……これは、そういうピンチだろ!」


 レンはポケットから、ローズに貰った切り札の小瓶を取り出した。小瓶の中ではトプンと液体が揺れている。その中身を、レンは宿舎のそばにおいてある植木鉢にぶちまけた。

 それとほぼ同時に、大カマキリの魔物が二匹、レンに飛びかかる。レンは咄嗟にしゃがみ込んで攻撃をかわした。だが、回避できたのは一度だけだ。

 三匹目のカマキリが、レンの首に大鎌を振り下ろそうとする──その大鎌に何かが絡みついた。

 それは、植木鉢から伸びたエンドウ豆の蔓だ。

 エンドウ豆は尋常ではない速さで成長していき、植木鉢や支柱を超えて周囲にその蔓を伸ばしてく。そして近くにいる魔物達を次々とからめとり始めた。

 捕えられた魔物は、最初の内こそ抵抗していたが、次第に力を失っていく。あのエンドウ豆は捕えた生物の魔力を吸い取っているのだ。

 ティアはレンを助けたい気持ちを堪えて距離を取った。ティアは人の皮を被っているが、実際の魔力量は人間より遥かに多い。あのエンドウ豆に狙われやすい存在である。ユリウスもアグニオールを指輪の中に引っ込めていた。

 エンドウ豆は異常な速さで成長し、魔物達に襲いかかる。おそらく、強い魔力を帯びた者から、無差別に襲っているのだ。


(だからローズさんは、一番魔力量の低いレンにあれを託したんだ……)


 一見すると植物の魔物に似ているが、あれは違う。魔物じゃない。とハルピュイアの勘が言っている。

 あれは人間に執着などしない、ただ魔力を喰らうだけの異形の植物だ。だから、この状況の切り札足り得るのだ。

 レンが虫達を振り切り戻ってきた。ティアはレンの無事を喜びながら、彼の手元にある小瓶を見る。小瓶に書いてあるのは外国語だ。


「ローズさんのお薬すごいね。まほーやく、だっけ? それ、なんて書いてあるの?」


「えーと、特定植物を対象とした肥大化及び魔力吸収効果付与型液体肥料……『ジャイアントビーンズ・ボンバーの素』だってさ」


「ピヨ…………ぼんばー?」


 ティアが呟いた瞬間、巨大なサヤが弾け、人の頭ほどもある豆が魔物を豪快に吹き飛ばした。



 * * *



「報告いたします。魔物達が妙な動きを始めました。特に鳥どもが宿舎付近に集まり、何やら騒いでいる。それと……」


 報告役のオットーは言葉を切ると、重々しい口調で付け足す。


「敷地内に新手の魔物(、、、、、)が現れました。巨大なエンドウ豆の魔物です。異常な速さで成長していて、城壁を越えるのは時間の問題かと」


 オットーの報告に、南門付近に待機していた三塔主達が険しい顔で目配せをする。

 遠くの空がうっすらと明るくなりつつあるが、作戦開始の夜明けには、まだ至っていない。

 ローヴァイン塔主が「そのまま様子を見ろ」と命じたその時、ローズが口を挟んだ。


「それは魔物じゃないぜー。オレの切り札さ」


 三塔主達の間に困惑が広がる。

 そんなの話に聞いてない、という空気を察したローズは、怒られる前に先手を打つことにした。

 おそらく、レン達は魔物に見つかったのだ。ならば、こちらも急いで動いた方が良い。


「アルト塔主、歌詠魔術の準備を頼むぜ。予定より早いけど、始めよう」


 ローズは門の方に進みながら、詠唱をする。彼がこの〈楔の塔〉で学んでいた、近代魔術の詠唱ではない。歌うように独特の節をつけた詠唱は、古典魔術のそれだ。

 モジャモジャ髭の下で歌うように詠唱をしながら、ローズはその手に握った種を地面に落とした。それはたちまち芽吹いて、青々とした蔓を伸ばす。

 その光景を、〈楔の塔〉の魔術師達は固唾を飲んで見守った。

 植物を生長させる魔術や魔法薬は確かにある。だが、この速さは異常だ。しかも〈茨の魔女〉の植物は、ただ速く生長するだけではないのだ。


「『あらゆるものが花の糧、なれば魔力を糧となせ、望むがままに、満たされるまで』」


 古典魔術らしい歌や詩を口ずさむような詠唱は、その魔術の本質を表す。

 蔓が南門に絡みつき、〈楔の塔〉の城壁を覆い尽くしていった。やがて、ポツリポツリと小さな花の蕾が生まれる。

 古典魔術の神秘を紡ぐ声が、朗らかに、誇らしげに最後の一節を口にした。


「さぁ、『咲き誇れ、薔薇要塞』!」


 蕾が開き、大輪の白薔薇を咲かせた。


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