【17】亡き父の葛藤、混乱の指導室
『古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉を発動、壁を緊急再生しました。まもなく、メビウス首座塔主が到着します。全員あと少し耐えてください』
啜り泣く女の声。そして、拡声魔術で響いたミリアム首座塔主補佐の声。
それを聞いて、ユリウスは確信した。これが、父ザームエル・レーヴェニヒが辿り着いた四つ目の真実なのだと。
完全に盲点だった──が、どうして気づくことができよう。この〈楔の塔〉そのものが古代魔導具だったなんて。
古代魔導具と呼ばれる物はその殆どが、武具や装飾品、あるいは鏡等の小物だ。
古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉が、〈楔の塔〉の敷地のどこまでを指すのかは分からない。ただ、これだけは言える。
──おそらくこれは、史上最大級の古代魔導具だ。
ユリウスの目の前では〈原初の獣〉とゲラルトが、紙一重の戦いを繰り広げていたが、響き渡る声に〈原初の獣〉が動きを止めた。
銀の狼は鼻から息を吐くと、名残惜しそうに呟く。
「久しぶりに楽しかったぜ、若いの。もう少し実戦にこなれてきたら、印を刻んでやる」
「……こなれる気は、ないです」
銀狼が巨体を震わせ息を吐いた。おそらく笑ったのだろう。
「そりゃあ残念だ」
笑いの余韻の残る声で言い、〈原初の獣〉はその場を駆け去った。おそらくゲラルト以上の強者──メビウス首座塔主と戦いに行ったのだ。
〈原初の獣〉の姿が完全に見えなくなったところで、ゲラルトがヘナヘナとその場に膝をついた。〈原初の獣〉と対峙していた時の気迫は、もうどこにもない。
自分達は生き残った。その事実を確認して、ユリウスは指輪に声をかけた。
「アグニオール、動けるか」
返事はない。精霊は魔力の塊だ。失血死することはないが、体を切り裂かれたら、その分だけ魔力を失う。
消滅こそしていないが、回復には時間がかかるだろう。
頭上ではまだ鳥の魔物達が飛び交い、他の魔物達も周囲をウロウロしている。気の抜けない状況だ。
(まずは見習い達の現状を把握し、可能なら合流を……)
ローズ、ゾフィー、そしてフィン──と当たり前のようにフィンの顔を思い浮かべ、ユリウスは喪失感を噛み締める。
フィンに勉強を教えたのは、ただの気まぐれだ……そう割り切るには心を砕き過ぎていた。
「あんた達、まだ動ける?」
そう声をかけたのはロスヴィータだ。彼女は、茂みの陰で倒れていたエラを助け起こしたところだった。
ロスヴィータもエラも、〈原初の獣〉の体当たりを喰らったせいで、足元がふらついている。
エラがずれた眼鏡を直しながら、空を見上げた。
「先ほどの声は、ミリアム首座塔主補佐ですよね? 一体、どういうことなんでしょうか……」
ユリウスは顔を上げ、消沈を押し殺して口の端を持ち上げた。
不利な時ほど笑え。それが父の教えだ。自分は上手く笑えているだろうか。
「……クッ、クッ……つまりは〈楔の塔〉そのものが、古代魔導具だったというわけだ」
父が言い残した〈楔の塔〉の四番目。
最初は、塔の名称のことだと思っていた。水晶由来の〈白煙〉〈金の針〉〈水泡〉、そして隠されていた〈庭園〉。
だが、その先にある真実は、〈楔の塔〉にある四つ目の古代魔導具のことを指していたのだ。
メビウス首座塔主の〈離別のイグナティオス〉。
リンケ室長の〈愚者の鎖デスピナ〉。
討伐室のヘレナが持つ〈嗤う泡沫エウリュディケ〉。
そして四つ目が、〈楔の塔カリクレイア〉。
ヘレナが〈嗤う泡沫エウリュディケ〉を携えて〈楔の塔〉に来た時期と、父ザームエルが〈楔の塔〉に所属していた時期は重なるから、この説で間違いないだろう。
(〈楔の塔カリクレイア〉の契約者は、あの地下室に閉じ込められていた少女か……)
〈楔の塔カリクレイア〉の能力はおそらく、魔物だけを通さない強固な壁を作る能力。
そして、強力な古代魔導具は契約者に莫大な負担を強いる。
(建物の形をした古代魔導具……しかも、強力な結界を維持し続けるものとなれば、契約者への負担も大きいに決まっている。寿命を削ってもおかしくない)
おそらく、あの少女は生贄に近い存在なのだろう。
たった一人の少女を生贄にして、〈楔の塔〉は人類の平和を守り続けてきた。
この真実を知ったザームエルは、どうしたのだろう。
他人を犠牲にすることを厭わない大悪党のザームエルなら、生贄の少女ごと〈楔の塔〉を手中に収めていたかもしれない。
あるいは、それを交渉のカードにして、魔物と取引をするぐらいはしていたかもしれない。
だが、ザームエルはそうしなかったのだ。
地下に閉じ込められていた少女は、こう言っていた。
『ザームエル──優しいけれど優しくない、善にも悪にもなれなかった半端者。彼が中途半端になったのは、きっとあなたがいたからね』
『極悪魔術師ザームエルには息子がいた。とても優秀で愛しい息子。だからこそ……ザームエルは歳の近いわたしを重ねてしまった。可哀想な子どもを放っておけなかった』
ザームエルは、生贄にされた少女に息子のユリウスを重ねてしまったのだ。
だから、少女を助けられないかと奔走した。
だが、少女を解放するということは、魔物を閉じ込める壁がなくなるということ。人類が魔物の危機に晒される。その中には、ユリウスも含まれるのだ。
ザームエルは葛藤したのだろうか? ……したのだろう。
そうして、真実を知ってしまったザームエルは、〈楔の塔〉の上層部に呪いをかけられ、追放された。
ザームエルは、それを受け入れた。
(……父さん)
フィンの裏切り、アグニオールの負傷、父の真意。積み重なる事実が、ユリウスの頭を圧迫する。
こんなにも、何かを考えるのが嫌になったのは久しぶりだ。
目を覚ましたばかりのエラは、痛む体に鞭打って立ち上がる。あの銀の狼は相当加減していたらしい。多分骨は折れていない。精々、あちこちを打撲している程度だ。
(この中で、一番戦力になれないのは私……だから、私ができることをしないと)
ユリウスもロスヴィータも打ちひしがれている。本当はエラだって泣きたい。フィンの裏切りを否定したい。
だけど、そうして泣いて現実から目を背ける時間が、今はないのだ。
「皆さん、ローズさん、ゾフィーさんと合流しましょう。二人は庭園近くに隠れているはずですから」
エラの言葉に、ユリウス、ロスヴィータ、ゲラルトの三人は頷く。
皆、憔悴しきった顔だ。それだけ追い詰められている。突然の魔物の襲撃に。そして、フィンの裏切りに。
何が正しいか分からない、何が正解か分からない。それでも、今は自分にできる最大限のことをしなくては。
(皆が、バラバラになることだけは、避けなくては……)
だからエラは、腹を括った。
「避難するにあたって……私から、提案があります」
* * *
指導室の机に突っ伏して寝ていた、指導室室長ヘーゲリヒは、拡声魔術で響くミリアム首座塔主補佐の声で目を覚ました。
不自然な体勢で寝ていたせいで、体のいたるところが痛い。何故、自分はこんなところでうたた寝をしてしまったのか。
反逆罪で投獄されたユリウス・レーヴェニヒに、呪いをかけて追放するという案が上層部から出た。なので、それに反対するための書面作りをしていて──そこから先の記憶がない。
辺りを見回したヘーゲリヒは、他の魔術師達も同じ状況であることに気づいた。まだ寝ている者もいれば、起き上がって状況把握に努めようとしている者もいる。
外は騒がしく、鳥や獣の鳴き声、人の怒号や悲鳴があちらこちらから聞こえた。
「これは、どういうことだね!?」
叫ぶヘーゲリヒに、窓の外を見ていたゾンバルトが答える。
「大変です、ヘーゲリヒ室長。魔物が〈楔の塔〉内に侵入を……!」
「なんだと!?」
何故、そんな大変な時に自分は寝ていたのだ──違う、誰かが一服盛ったのだ。
温かい飲み物を用意してくれたのは、指導室の魔術師アンネリーゼ・レームだった。そして、室内に彼女の姿はない。最悪の想像が頭をよぎった。
だが、指導室室長として優先すべきは、決まっている。
「諸君、一般人、及び見習い魔術師達の保護だ! まだ、塔の中に魔物が入り込んでいないのなら、無事な者をここに集めるのだ! 戦える者は私と共に来たまえ! まずは塔の前の魔物を蹴散らすぞ!」
そう怒鳴り、外に飛び出したヘーゲリヒは詠唱をする。放つのは風の刃。それで上空を飛び交う鳥達を撃ち落とそうとした──が、発動した瞬間、凄まじい速さで飛来した雷の矢が、ヘーゲリヒの魔術を破壊する。
(これは……!)
魔術の発動を感知し、そのタイミングでカウンターを放つ。〈百眼の魔女〉アンネリーゼ・レームが得意とする魔術ではないか。
雷の矢が飛んできた方向──指導室の屋上を見上げたヘーゲリヒは目を剥いた。
指導室の屋上に佇むレームと、その上空を飛び回る討伐室室長ハイドンが、魔術の撃ち合いをしている。
ハイドンが放った雷の矢を、レームの魔術が相殺した。
レームの額と手のひらには水晶の欠片が埋め込まれ、魔術の光を反射してキラキラと煌めいている。
(次の攻撃をしても、レーム君のカウンターが……っ)
攻撃手段を潰されたヘーゲリヒのもとに、上空を飛び交っていた目玉鳥達が殺到した。




