表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
九章 塔の攻防
236/251

【18】救済執行


 魔物の王が階段を降りると同時に、地下通路の至るところに白い輝きが灯る。

 隣を歩くフィーネは「綺麗ね」と微笑んだ。少女らしい無邪気さで、神の子らしい慈愛をもって。

 白い髪に黒いローブの魔物の王と、黒髪に白いドレスの少女。正反対の色を纏った魔物と人は、燐光の舞う暗い道を行く。

 やがて二人の前方に、開け放たれた扉が見えてきた。

 沢山の封印を施された扉は、開くために古典魔術の知識がいる。その封印の複雑さが、初見で解除した才女〈百眼の魔女〉アンネリーゼ・レームのすさまじさを物語っていた。

 開け放たれた扉の向こう側には僅かな廊下と生活空間。白を基調とした清楚で清潔な部屋。神の子のために設えられた揺籠は濃厚な魔力で満ちている。一般人ならすぐに魔力中毒になる濃度だ。

 そしてその部屋の奥に、二人の女がいた。

 一人は修道服を着た皺だらけの老婆。今は息も絶え絶えに、床に座り込んでいる。

 そこに寄り添うのは、金髪を緩く編んだ女、蔵書室室長リンケだ。

 修道服の女の顔には、フィーネが知る者の面影がある。


「戻ってきたのですか、神の子……」


 皺だらけの老婆が、掠れた声で言う。

 フィーネは悲しげに眉根を寄せた。


「ミリアム、あぁ、なんてこと……無理やり、〈楔の塔〉を動かした反動ね」


『お帰りなさい、可愛い我が娘』


 どこからともなく妙齢の女性の声がした。古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉の声だ。

 フィーネは柔らかく微笑み、古代魔導具に語りかける。


「ただいま、お母様。心配させてごめんなさい」


『あぁ、あぁ、無事で良かった……本当に良かった……』


 古代魔導具がさめざめと泣いているかのように、声を震わせる。

 古代魔導具は、かつては人であったものが、特殊な処置を受けて魔導具化したものだという。〈楔の塔カリクレイア〉は娘に執着のある人間だったのだろう。

 かつては人間であったなら、それはフィーネにとって救済対象だ。

 だからフィーネは、〈楔の塔カリクレイア〉も救う。


「大好きよ、お母様(カリクレイア)


 その言葉に〈楔の塔カリクレイア〉の心が満たされるのが、手に取るように分かる。

〈楔の塔カリクレイア〉は、子どもに執着する女の人格で、契約者には厳しい制限があった。

 彼女に認められていない者が、〈楔の塔カリクレイア〉を無理に動かすと、今のミリアムのようになるのだ。

 命を吸い尽くされた老女は、それでもなお強い目で、魔物の王を睨んでいる。

 彼女に代わり、リンケが口を開いた。


「魔の者よ、お前の好きにはさせません。神の子を捕らえて、〈楔の塔〉を掌握するつもりなのでしょう?」


「まぁ、それは違うわ」


 フィーネはゆるゆると首を横に振る。

 きっとミリアムもリンケも、魔物がフィーネを人質にしていると思っているのだろう。

 それは、正さねばならない間違いだ。


「わたしが、自分の意思で決めたの──人も魔物も救済すると」


 ミリアムとリンケの表情が強張る。

 魔物の王が、そんな二人を交互に見つめて言った。


「これが人の持つ信仰か。なるほど、良いものだ。その信仰が確かな説得力を与えるのだな」


 ミリアムが皺だらけの唇を動かし、呻く。


「魔物が信仰を語るのですか……なんとおぞましい……」


 床に膝をついていたミリアムが、枯木のような体を動かし、ゆっくりと立ち上がる。

 リンケがその体を、痛ましげな顔で支えた。

 ミリアムは苦しげな呼吸を繰り返している。命も魔力も、自身の持つ全てを壁の再生に捧げたのだ。


「魔の者よ……神の子から……離れなさい……」


 その時、ミリアムを支えていたリンケが素早く動いた。彼女は左手を壁につく。その手首に揺れているのは、古代魔導具〈愚者の鎖デスピナ〉


「封印対象、古代魔導具〈楔の塔カリクレイア〉の全権限!」


『不可能です。〈楔の塔カリクレイア〉は私の力を上回っている』


「ならば、壁の維持機能への干渉を封じます。期間は最長。私の命と魔力の全てを捧げましょう」


『承知しました』


 リンケの左手首の鎖がスルスルと伸びて、壁に吸い込まれていく。

 リンケは青白い顔でミリアムを見つめ、微笑んだ。


「お先に失礼いたします、ミリアム首座塔主補佐」


「……貴女の道を、天上の光が照らしてくださいますように、リンケ室長」


 リンケがその場に崩れ落ちる。その体から、生命の力は失われていた。

 リンケはミリアムが命懸けで作り出した壁を守るため、〈愚者の鎖デスピナ〉で強固な封印を施したのだ。己の命と引き換えに。

 蔵書室室長リンケにとって、ミリアム首座塔主補佐とは己の命を賭けるに値する人間だったのだ。

 魔物の王はリンケの亡骸を見下ろし、感慨を込めて呟く。


「其の方の信仰、見事であった。それが、我が手に届かぬものであることを惜しく思う」


 ミリアムが魔物の王を侮蔑の目で見る。信仰を知らぬ魔物が何を、と言いたいのだろう。


 ──人と魔物の埋まらぬ溝が、ここにある。


 そのやりとりを愛しく思いながら、フィーネは〈楔の塔カリクレイア〉に訊ねた。


お母様(カリクレイア)、何かお変わりは?」


『壁に対する干渉を封じられました。ただし、封印はもって三日でしょう』


 三日。たったの三日。それがリンケ室長の命がもたらした猶予だ。


「そう、三日経ったら、壁を消せるのね」


 フィーネは苦しげなミリアムを見つめ、慈愛に満ちた声で告げる。


「ミリアム、辛いのね。もう大丈夫よ。あなたも救ってあげる」


「……フィーネ?」


 人の子を救済するのが神の子の役目なのだとミリアムは言った。

 だから、フィーネは救済するのだ。メビウスとミリアム、〈楔の塔〉に縛られている者達を。


「わたし、ずっとあなた達を救ってあげたかったの。喜んでくれる?」


 ミリアムは絶句していた。

 彼女はいつだって、フィーネに神の子に相応しくあれと言い続け、そしてフィーネはそれに完璧に応えてきた。

 だけど彼女は気づいていなかったのだ。フィーネの中にある決定的な歪みに。


「神の子は人を救う生き物で、魔物は救わなくて良いと思っていたの……だけど違うのね。きっと、魔物達も救済するために、神の子はここにいるのだわ」


 フィーネは己の隣に立つ、魔物の王を見上げる。

 真白い髪に銀の瞳、漆黒のローブを持つ魔物の王。恐怖を撒き散らすこの魔物を一目見た時から、フィーネは思っていたのだ。


「だって、こんなにも……救いを求めている目をしている」


 フィーネには、人や魔物が何を望んでいるのか、心の奥底が垣間見える。

 ただ、例外は一度だけ。


(ティア、あなたはやっぱり特別ね。愛しているわ、わたしの可愛いお友達)


 ティアはフィーネに何も望まない。救いを求めない。なんて愛しい小鳥だろう。

 愛しの極彩色に想いを馳せながら、フィーネはミリアムに告げた。


「あなたが望んだ通り、わたしは神の子としての務めを果たすわ。だから、何も心配しないで」


 ミリアムの目が困惑に揺れる。

 フィーネは両手を広げ、古代魔導具に望んだ。神の子の使命を果たすために。


お母様(カリクレイア)、ここに魔物達の楽園を作りましょう」


 そう言って、フィーネが両手を掲げる。

 その小さな手の中で、水晶鋲が淡く輝いていた。



 * * *



 人と魔物が己の信念を賭して戦っている中、信念が歪んでいる男ゾンバルトは、人も魔物もそっちのけで、鳩のもとに向かっていた。

 彼が敬愛する悪い大人カスパー・ヒュッター(偽物)は、〈楔の塔〉の城壁の外に、鳩の飼育箱を隠しているのだ。

 つまり、ゾンバルトは仲間達を見捨てて、そそくさと城壁の外に避難したのである。


「あー、良かった。鳩達が無事で。さて、どうしようかなぁ。ヒュッター先生はいつ戻ってくるんだろう?」


「──人の子らに告ぐ。これより、〈楔の塔〉は魔力に満たされ、我ら深淵の民の拠点となる。死に急ぎたくなければ、速やかに撤退せよ」


 ゾンバルトは城壁の上の辺りを見上げた。

 オレンジ色の髪と羽のハルピュイアが飛び回り、何やら声を張り上げている。


「間も無くこの土地は魔力に満たされ、三日後には壁も消えるだろう。その時、我らは真の自由を得る」


 ミリアム首座塔主補佐の拡声魔術による発言や、これまでの流れで、ゾンバルトは大体の事情を察していた。

〈楔の塔〉は古代魔導具だった。そして、魔物の襲撃と同時に壁が消えた。

 つまり、〈楔の塔〉は魔物を封じる壁を生み出す古代魔導具で、魔物はそれを制圧。

 更にあのハルピュイアの発言から察するに、魔物には〈楔の塔〉を魔力で満たす手段があるらしい。それが魔物の能力か、〈楔の塔〉の力かは分からないが。


(これは、ミリアム首座塔主補佐も生きているか怪しいなぁ)


 この状況でも、ゾンバルトは魔物側に寝返ろうとは思わなかった。ゾンバルトは悪人が大好きだが、どうにも魔物には惹かれない。

 なんというか、根本的に価値観が違うのだ。ゾンバルトの行動原理である悪人好きのロマンは、魔物には一生理解できないだろう。

 人間でも理解できねーよ、とヒュッターがいたら突っ込んでいるところである。


(さて、どう動こうかなぁ)


 見習いと一般人を外に逃すふりして、ついでに自分も安全な場所に行こうか……などと考えていたゾンバルトは、見上げた夜空に青白い輝きを見つけた。

 北の空からこちらに、飛行魔術で向かって真っ直ぐに飛んでくる者がいる。その手に握られているのは、魔力を帯びて僅かに発光している大剣、古代魔導具〈離別のイグナティオス〉。


 ──メビウス首座塔主が到着したのだ。


 それを間に合ったとするか、間に合わなかったとするか、まだ判断がつかない状況だ。

 とりあえずゾンバルトは、鳩達と共に静観を決め込むことにする。

 巣箱の鳩達は平和にクルルッポーと鳴いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ