表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白翼のハルピュイア  作者: 依空 まつり
九章 塔の攻防
234/250

【16】北風の届けもの


 あちらこちらで、雷の花が咲いている。少女を肩に担いだ漆黒の人狼──フィンは足を止めて空を見上げた。


(……レーム先生だ)


 レームには随分と迷惑をかけてしまった。

 本来、肩に担いだこの少女を連れ出すのは、もう少し先の予定だったのだ。

 だけど、ユリウスが投獄され、ゾフィーがユリウスを呪うことが決まったから。フィンはレームに相談して、作戦実行を早めた。

 レームが第一の塔〈白煙〉の魔術師達に眠り薬を飲ませ、フィンが「契約者の少女」を連れ出す。

 少女が閉じ込められている部屋の封印を解いたのもレームだ。

 フィンとレームの役目は、〈楔の塔〉に潜入し、少女が隠されている部屋を見つけ出すこと。

 そのために、フィンは整備室に出入りしたのだ。〈楔の塔〉の整備をする手伝いをすれば、自然に塔を調べることができるから。

 レームは魔物ではなく、人間を裏切り、魔物側についた人間だ。

 彼女は入門試験の時から、フィンを助けてくれた。

 魔物の姿で駆け回ったフィンに、こっそり服を用意してくれたり。

 魔力量測定の時は、測定器に手を加えてくれたり。

 紙に魔力を流し込む訓練の時は、魔物の魔力に耐えられる特殊な紙を渡してくれた。

 一番危ない橋だったのは、討伐室との魔法戦。

 魔物であるフィンは、人間のように魔導具を使うことができない。筆記魔術の紙に魔力を込めることもできないのだ。

 だから、あの魔法戦でフィンは早めに脱落しなければならなかった。

 仲間のために飛び出し、脱落したフィンをゾフィーは慰めてくれたけれど、フィンの胸は罪悪感でいっぱいだった。


(オイラには勇気なんてないし、仲間想いでもないんだよ、ゾフィー)


 この潜入任務をフィンが受けることになったのは、フィンが討伐室の男に──ダマーに、牙を奪われたからだ。

 フィンはずっと、ダマーに報復する時を見計らっていた。


「ねぇ」


 足を止めたフィンに、肩の上の少女が声をかける。

 白い肌に真っ直ぐな黒髪の十代前半の少女だ。身につけているのは清楚な白いドレス。


「狼さん、わたしはもう起きても良いのかしら?」


「…………」


「まだ少し、寝たふりをしていた方が良いかしら?」


 少女が人間であることは、間違いない。

 ただ、この少女は〈水晶領域〉と同じぐらい魔力濃度の濃い部屋に閉じ込められていたのだ。

 フィンとレームが地下室の扉を開けた時、彼女は驚きもせず、ただ薄く微笑んでいた。


『一緒に来てくれる?』


 フィンがそう問うと、少女は甘やかな声でこう返した。


『えぇ、喜んで』


 この少女の役割は知っている。

 ただ今になって、フィンは少女の名前すら知らないことに気がついた。


「君の名前を訊いても良いかな?」


「フィーネよ。狼さん」


「君は、ずっと自由になりたかったの?」


 ふと気になってフィンが訊ねると、少女はクスクスと喉を震わせた。


「わたしは神様だから、みんなを苦しみから救ってあげたいの。そのために必要な人に、あなたは会わせてくれるのでしょう」


 少女が身を捩ったので、フィンは少女を片手で抱き抱えるような体勢にした。

 窮屈な人間の皮を被っている時は、絶対にできなかったことだ。そういえば、自分の体は人ぐらい片手で持ち上げられるのだったと、今更フィンは思い出す。

 少女は白い手で、黒い狼の顔を優しく撫でた。


「あなたもまた、救いを欲しているのね、狼さん」


「おい、フィンっ!」


 近くの茂みが揺れて、フィンと同じ黒い毛並みの人狼が姿を見せた。ただし、体はフィンよりも二回りは大きい。


「に、兄ちゃん……」


「よくも勝手に作戦を開始したな! 我らが王がまだ到着していないと言うのに!」


 兄がグルルと獰猛に喉を鳴らす。これは相当怒っている。殴られずに済んでいるのは、フィンが少女を抱えているからだ。

 フィンはバツが悪くなって、クゥンと鳴いた。フサフサの尻尾が丸くなる。

 兄はジロリとフィンの口元を見た。


「人間に奪われた牙は取り戻せたのか?」


「ま、まだ……」


「このグズが! お前はそれでも、誇り高き人狼かっ! お前に誇りはないのかっ!」


 兄が吠える。フィンは耳をペタンと寝かせて、兄に謝った。


「ごめん、ごめんなさいっ、兄ちゃん、ごめんなさ……」


「もういい、その娘は俺が王のもとへ連れて行く。お前はとっとと牙を取り戻して……」


 言いかけて、兄がハッと空を見上げる。

 つられて見上げたフィンの毛皮を、冷たい冬の風が撫でた。

 月明かりに照らされて、氷の粒がキラキラ煌めく。それを操るのは、簡素な白い貫頭衣を着た銀髪の少年。

 少年の袖から垂れる氷柱が、氷の粒を撒き散らした。


「冬が来たから、こんばんは」


 フィンは戦慄した。あれは上位種の魔物だ。確か、以前ティア達が遭遇した魔物ではなかったか。


「北の風と一緒に、王様をお届けに来たよ」


 上空から冬の魔物と一緒に降りてきたのは、男にも女にも見える十代後半の若者だ。

 顎の辺りで切り揃えた白髪。身につけているのは純粋な黒だけで染めたような漆黒のローブ。

 ローブから覗く白い手首には、赤い色糸を編んだ飾り紐が揺れている。

 ルキエが作ってた奴に似てるな、とフィンはどこか現実味のない頭で思った。そういう余計なことを考えていないと、正気が保てなかったのだ。


(怖い)


 ここにいるのは、魔物の王。

 本来は〈水晶領域〉の奥にいて、フィンなど一目見ることすら叶わぬ存在だ。

 王の銀色の目がフィンを見る──正確には、フィンが抱き抱えている少女を。


「下ろしてちょうだい、狼さん」


 言われるがままに、フィンは少女を下ろすと、その場に跪いて頭を垂れた。

 王を視界にいれることすら恐ろしかったのだ。兄も同様に地に伏せて、頭を下げている。

 唯一、上位種である冬の魔物だけは、ニコニコしながらその光景を見守っていた。

 恐怖の王が歌うように告げる。


「我らは深淵の申し子。人の業より生まれし者。故に人を求めずにはいられない」


「分かるわ。あなたも救いを求めているのね」


 何故、この少女は恐怖を覚えないのだろう。こんなにも恐怖の塊のような魔物の王を前にして。

 同じ疑問を魔物の王が口にする。


「恐怖を知らぬのか」


「誰も教えてくれなかったもの」


 フィンは少しだけ顔を上げ、魔物の王は見ないようにしつつ、少女の顔を見た。

 ずっと美しく微笑んでいた少女が、初めて表情を曇らせる。恐怖ではなく、寂しさで。


「……いいえ、そうね、恐怖を教えてくれたのは、わたしの可愛い小鳥だけ。あの子は喪うことの恐怖と寂しさを教えてくれた」


 そう語る少女は美しかった。

 その美しさは、ただ一言で表せるものではない。

 人の造形に対する理解の浅いフィンから見ても、少女を形づくるもの──容姿、声、表情、纏う空気も含めてその全てが美しい。人間はこういったものに神秘や神性を見出すのだろう。

 魔王が問う。人と魔物の心をかき乱す恐怖を撒き散らしながら、ただ静かに。


「汝は死を悼むか」


「そのために神の子はいるのよ」


「汝は魔物の死をどう定義する」


「あなたの望む救済を」


 赤い組紐を飾った王の手が、少女の手を取る。

 魔物の王が歌うように告げる。


「既に壁は失われた。自由を手に入れた今、望むはただ一つ」


 そう。魔物を封じる壁はもうない。水晶鋲があれば、遠くにだって行ける。

 魔物達は遂に自由を得たのだ。

 だが、魔物の王の誠の願いは他にあるらしい。


「神の子よ──」


 魔物の王が何か言いかけたその時、どこからともなく声がした。


『あぁ、我が子はいずこ……我が愛し子は……あぁ、返して……返して……』


 妙齢の女の声だった。フィンの知らない声だ。

 それにしても不可解なのは音の出どころだ。

 人間が扱う魔術の中には、拡声魔術というものがある。討伐室との魔法戦で審判役のレームが使っていたものがそれだ。あれを使うと、声を広範囲に響かせることができる。

 だが、今聞こえる声は、拡声魔術のそれとは響き方が違う気がした。


『あぁ……我が子はいずこ……返して……返して……』


 物悲しい啜り泣きの声。

 耳の良いフィンには、その声が〈楔の塔〉全体から響いているように聞こえたのだ。

 その時、キィンと硬質な音がした。こちらは拡声魔術だ。

 拡声魔術で響き渡ったのは、ミリアム首座塔主補佐の声だった。


古代魔導具(、、、、、)〈楔の塔カリクレイア〉を発動、壁を緊急再生しました。まもなく、メビウス首座塔主が到着します。全員あと少し耐えてください』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ