第十一話 魔法の再現―1
第十一話
『魔法の再現』
◑ ━━━━━ ▣ ━━━━━ ◐
伝書机は宿の奥、吹き抜けに面した小窓のそばにあった。昼の光はそこまで届かず、古びた壁の隙間から入り込む風が、机の上の紙をかすかに揺らしている。
イグニスは椅子を引き、黒羽の筆を取った。瓶の中の墨がわずかに光を返す。迷いなく筆先を走らせると、細く整った文字が紙面に刻まれていった。
『――「光を放つ燐灰石」に関する流通を調査中。当初の予測に準ずる。黒い潮に由来する呪術の痕跡を疑う。続報あり次第』
端的な言葉で書き記し、イグニスは公爵家の印章を封蝋に押した。赤い蝋は魔力を含んだまま静かに冷え、じわじわと硬さを増していく。
「――風の使いよ、ここへ」
囁くように言って窓を開けると、外の冷気が流れ込み、机上の封書がわずかに震えた。
すると、空気の粒がかすかにきらめき、淡い白光がイグニスの右肩へ集まっていく。ひとひら、ふたひらと灰色の羽が形を取り、やがて一羽の鷹になった。光を透かす羽は硝子のような艶を帯び、羽ばたくたびに細かな粒子を散らした。
イグニスが封書を差し出すと、鷹は器用に嘴でそれを咥えた。
次の瞬間、その瞳が青白くひときわ鋭く光る。命令を受け取った証だ。
「さあ、任せたよ」
低く告げると、鷹は大きく翼を広げた。羽ばたきとともに光の粒が弾け、窓枠を抜けて大空へ舞い上がる。光の軌跡がゆるやかな弧を描き、帝都の方角へ向かったかと思うと、くるりと回って、そのまま空に溶けるように消えた。
イグニスはしばらく顔を上げたまま、その空を見つめていた。
◑ ━━━━━ ▣ ━━━━━ ◐
憲兵隊の詰所には昼の光が浅く差し込んでいた。外の喧騒が遠くにあるように静かで、ここだけが街とは別の空気をまとっている。
イグニスとルフェンが入ると、受付台の向こうで当番の兵が立ち上がった。イグニスは外套の内側から、四角い黄金の札をほんの少しだけ見せる。そこに刻まれていたのは、帝国皇家の紋章だった。
兵士の表情が見るからに強張る。末端の兵であっても、その印を見間違えるはずがないのだろう。
「昨夜、拘留中に死亡した商人の件で来た」
イグニスは穏やかに言った。だが、声音の底には、はっきりと圧があった。空気の張りが変わる。
「憲兵隊の隊長に、お会いできるか?」
兵士は小さく息を呑み、すぐに敬礼した。
「――お、お待ちください。すぐにお呼びします」
ほどなく奥の扉が開き、壮年の男が慌ただしく姿を現した。制服の肩には隊長章が光っている。イグニスはその男にも黄金の札を見せた。隊長の顔色が、目に見えて変わる。
「トアール憲兵隊隊長のグラウスと申します。どうぞ、奥へ」
案内され、二人は応接室へ通された。
「皇帝陛下の命を受けて来ました。私はイグニス。こちらはハルビリオン卿です」
椅子に腰を下ろしながら名を名乗り、イグニスは隊長へ手を差し出した。グラウスは慌ててそれに応じる。続いてルフェンの顔を見た瞬間、何かに思い当たったのか、目を見開いた。
「なるほど……昨日お見えになった方が、そういうお立場でしたか。しかし、あなたはヴァルファン大公家の方だと……」
ルフェンは短く頷く。
「昨日は調査に立ち会わせていただき、ありがとうございました。本日は、皇帝陛下による正式な調査として参りました」
「……そうでしたか。つまり、皇帝陛下と大公殿下、双方のご命令ということですね」
グラウスの声は低くなっていた。自分の置かれた位置を、ようやく正確に理解したのだろう。
「我々は黒い潮の調査をしている。トアールでは最近、その影響が確認された。昨夜、拘留中に亡くなった商人の件についても教えてほしい」
その言葉に、グラウスの表情がわずかに曇る。動揺しているのか、視線が落ち着かない。
「あの件が呪いに関わっていると? 上にはすでに報告をしていますが、内容は……」
「取り調べの記録と、検死結果を見せてもらえますか」
イグニスの声はあくまで柔らかい。けれども、断る余地は残していなかった。グラウスはしばらく逡巡したのち、「かしこまりました」と頷く。そして机の引き出しを開け、薄い紙束を取り出した。表紙には付箋が貼られ、「一時保留」と記されている。
「……あらかじめ、写しを作っておいたのです」
「そうですか。では拝見します。これは取り調べの記録ですね?」
「ええ。何も話さなかったと報告を受けています。質問をしても怯えるばかりで、終始うつむいたままでした」
「自然死、というのは?」
「朝の見回りの際、すでに息をしておりませんでした。周囲に異変はなく、毒の痕跡もない。検視官の診断では、発作による死亡――とのことです」
イグニスはそこで、ゆっくり顔を上げた。口元には笑みをたたえているが、どこまでもその目は冷え切っている。
「発作は自然死とは限らない。原因を書かずにそう記すのは、ただの逃げ口上だ」
「……承知しています。しかし我々は――」
グラウスの喉が上下する。
「……我々は、言われたことを記録し、上に報告するしかありません。権限がないのです」
「権限?」
イグニスの声が一段低くなる。グラウスは視線を泳がせ、何かを飲み込むように口を閉ざした。
「止められたのですか。上から」
返事はない。だが、その沈黙だけで十分だった。
外の喧騒が遠く揺れ、応接室の空気が重く固まる。グラウスは膝の上に置いた両手へ、ぐっと力を込めた。
あと少しだと、イグニスはそう思った。




