第七話 調査―1
第七話
『調査』
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「俺たちは、皇帝陛下の命を受けて調査に来ている」
「皇命?」
セレナはすぐ聞き返していた。
「それは、公爵家として?」
「まあ、そういうことだ」
宿へ戻り、机を囲んで落ち着いたところで、イグニスが口を開いた。室内にはまだ市場の喧騒の余韻が残っている。
「最近、帝国では黒い潮の発生が異常に増えている。それに加えて、トアールでは、黒い潮に似た原因不明の現象が頻発している。さっきの市場の件も、その一端だろう」
セレナはわずかに視線を落とした。胸の奥で小さくざわめくような気がした。
「……さっきの男は?」
「あれは下っ端だ。命令されたまま動くような駒さ。」
イグニスの瞳が細まる。
「これまではそういう末端を捕らえてきたが、背後にいる大元を叩くつもりだ。流通経路も、資金も、人の流れも異常だ。何か――組織的な動きがある」
(――組織的な動き?)
セレナはその言葉を繰り返した。
黒い潮の発生源については、どれだけ記録を洗っても、明確な「誰かの意思」を示す痕跡は見つかっていない。少なくとも、ルーメニクス大魔法図書館では――組織的な干渉の報告はされていなかった。
だが、もしもそれが事実であるとすれば、イグニスたちが捉えている情報は、セレナも知らない領域に踏み込んでいる。それはセレナにとって、見過ごせない情報だった。
(本当に誰かの手によるものなら……)
「お、この情報は協力の見返りになるようだね」
思考を遮るように、イグニスが軽く言った。
「え?」
「契約の報酬さ。報酬は金銭か情報。この場合、街の人を助けてくれたことへのお礼は情報ということでいいかな」
自分で提示した条件だったが、ここまで即座に適用されるとは思っていなかった。何より、またしても相手の流れに乗せられている感覚が消えない。
「正直、手詰まりだったんだ。だから、君の力を借りたい」
イグニスの視線がセレナを捉える。その眼差しには迷いがない。
「黒い潮を利用して何かを起こそうとしている連中がいる。そのせいで、この国では人が苦しんでいる。病に倒れる者もいれば、正気を失う者もいる」
その言葉の重さに、セレナは唇を引き結んだ。
軽々しくうなずくべきではない。信じてはいけない。信じられない。誰かに心を預ければ、いつかまた一人になる。そう思いながらも、この話を聞き流せない自分がいる。
理屈で考えれば、ここで協力を拒む理由はなかった。
だが、ここで必要なのは感情ではない。情報だ。図書館にとって価値のある情報が必要なのだ。セレナは一度だけ息を整え、口を開いた。
「――分かった、分かったわ。協力するって言ったもの」
「そうか!」
イグニスの表情が、ぱっと明るくなる。
「じゃあ、そういう君は、どうしてトアールに?」
「……私も、黒い潮を追っているから」
「それは図書館の命令で?」
「そうよ」
セレナは視線を逸らした。曖昧に答え、それ以上は踏み込ませなかった。イグニスもそれを察したのか、それ以上は追及しなかった。
「なら、君にできることを教えてくれないか?」
「私は、魔法を見るのが得意なの。それが恩恵なのか呪いなのかは分からないけど、黒い潮でできた魔力の歪み――《縒糸》の汚染が見える。黒い潮の現象には必ず黒い靄がかかるでしょう? それが隠されていても分かるし、取り除くこともできる」
イグニスの目がわずかに見開かれた。驚きというよりも、探究の色がそこに宿っている。
「それは、司書としての力? それとも君自身の力? 他の誰かも使えるのか?」
セレナは首を振った。
「分からない。ただ一つ言えるのは、これは魔法式でも理論でもない。黒い潮の現象に、私は直接触れられるだけ。自分でも説明できないの。でも、図書館の力じゃない」
「君自身の力、か」
イグニスは視線を細めた。瞳の奥の光が色を変え、声に僅かな熱が混ざる。まるで未知の書を読むように、イグニスはじっとセレナを見つめた。セレナの奥底に触れようとするかのように。
探るような魔力を感じて、喉の奥に異物が詰まった。その居心地の悪さに指先がこわばってしまう。
「イグニス様。それは失礼ですよ」
低い声が場に割り込む。
控えていたルフェンが、背筋を正した姿勢のまま、咎めるような静けさを帯びた口調で初めて口を開いた。
「あっ……おっと。いや。困らせるつもりはなかったんだ。ただ――」
イグニスは苦笑し、肩をすくめる。
「イグニス様……」
アリアも眉を下げ、やれやれと首を振る。それからセレナに向き直り、柔らかく微笑む。
「セレナさん、イグニス様は気になることがあると、どうしても周りが見えなくなるんです。だから、そんなに強く手を握らないで。傷になってしまいますから」
セレナは握った指を開いた。無意識に入った力で、手のひらには爪の跡が残っていた。




