第六話 装飾品―3
「……わ、痛そう」
群衆の隙間から、長い脚がすっと伸びる。逃げかけていた男の足元が払われ、その体勢が大きく崩れた。前のめりに倒れた身体が石畳に転がる。そのまま、腕が背後へ強く引き上げられ、関節がきしんだ。
押さえ込んだのは、焦げ茶の髪の長身の青年だった。
青年は腰の剣を鞘ごと抜き、迷いのない動きで男の顔すれすれの地面へ突き立てる。刃は抜かれていない。それでも、ほんのわずかでも動けば喉を裂かれる――そう思わせるだけの正確さがあった。
空気が張り詰める。
セレナは目を瞬かせた。捕縛の手際、動きの無駄のなさ、纏う気配。そのどれにも綻びがない。
――ルフェン・ハルビリオン。
思い出したその名前を口の中で転が、。昨日、姿は見せなかったが、あの気配の無さは覚えている。路地裏、部屋の外。あのとき感じた違和感と、今目の前にいる男の気配が重なった。
「ルフェン! 待ってください!」
鈴を転がすような声が通りを抜ける。
名前を呼ばれたルフェンがわずかに顔を上げた。視線の先、道の向こうから赤毛の少女が駆けてくる。アリアだ。
やがて憲兵隊が到着し、男は引き渡された。引き立てられていく途中で一度だけ振り返り、セレナを鋭く睨みつける。だがセレナは視線を合わせない。何事もなかったように、ただ横を向いた。
自業自得だ、と切り捨てる。
セレナにとって重要なのは、あの燐灰石だった。
すでに自壊の魔法が発動したのか、装飾品は崩れ、灰のような粉へ変わっていた。酒場で見た指輪と同じだ。触媒としての機能も失われている。
それでも、黒い靄は完全には消えていなかった。
ごくわずかに、残滓が絡みついている。セレナは指先に灯した黒い炎で、さっとその残滓を消し去った。
「へえ。すごいな」
ざわめきに紛れながら、その声だけがはっきり届いた。誰の声か、考えるまでもなかった。
「やっぱり、君に協力を求めて正解だった」
人垣の向こうから現れたのは、銀の髪を陽光に揺らす青年――イグニスだ。
「黒い潮の『識別』もできるのか?」
彼は足元の小石を拾い上げ、指先で軽く転がす。その青い瞳に、わずかな笑みが浮かんでいた。
「そういう魔法感応を持つ人材を、ずっと探していた」
セレナの心臓が、一度だけ強く打つ。見られていた。識別を使った瞬間を。気づかれていないと思っていたのに。
「それにしても――」
イグニスは肩をすくめ、小石を弄びながら言葉を続ける。
「君、逃げようとしてた?」
セレナは、自らの腕の契約印がわずかに熱を帯びた気がした。
「……逃げてない。あの契約に、行動を縛る条項はなかったはずよ」
「つれないな」
イグニスは軽く笑った。
「せっかくだ。協力しよう。俺たち、契約を交わしているんだから」
ほんのわずか、距離を置くつもりだったのは事実だ。だが、それすら見透かされている。
イグニスは小さく息を吐くと、視線を人混みへ戻した。
「……まあいい。そういえば、まだ俺たちの目的についてきちんと話していなかったな」




