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警部補・栗原剛を逮捕せよ〜沈黙の十二助骨〜  作者: ユタカ
警部補・栗原剛を逮捕せよ〜沈黙の十二助骨〜

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6/20

黒い残影と欠落の十一月

 中国地方を厚く覆う雨雲は、五日目を迎えてなお、その陰鬱な腹の底から冷たい雨を吐き出し続けていた。

 ラジオからは、岡山や広島の山間部で記録的な豪雨による土砂崩れの警戒警報が発令されたという、無機質なアナウンスが絶え間なく流れている。

 泥にまみれたレンタカーの中で、栗原と石田は「空白の物理的痕跡」を求めて、地を這うような聞き込みを続けていた。被害者の心理的兆候や「スサ」という教祖的な洗脳手口は掴んだ。だが、少女たちを物理的に移動させた手段、すなわち「運び屋としてのスサの痕跡」が、どうしても見えてこない。

「……七年前の被害者の実家周辺、不審車両の目撃証言ゼロ。六年前の被害者が通っていた高校の通学路沿い、当時を知る商店主からの証言もゼロです」

 助手席の石田が、湿気でヨレヨレになったリストにまた一つ、ペンでバツ印を書き込んだ。その顔には、隠しきれない疲労と苛立ちが張り付いている。

「栗原さん、もう限界ですよ。いくらスサが車で移動していたはずだと言っても、十年以上前の深夜の車の記憶なんて、誰も正確に覚えているわけがない。完全に徒労です」

「記憶が風化するのは人間の脳だけだ。環境の記憶には、必ずおりのように残るものがある」

 栗原は、ワイパーが雨を弾くフロントガラスから目を離さず、淡々とアクセルを踏み続けた。

「人間は忘れるが、土地に根付いて深夜まで起きている人間は、日常の『ノイズ』を無意識に記録している。必ずどこかに、奴のタイヤ痕が残っているはずだ」

 二人が次に向かったのは、五年前の失踪現場である島根県南部の過疎村だった。

 被害者の少女が消えたとされる鎮守の森の周辺には、防犯カメラなどという近代的なものは一切存在しない。だが、栗原はその森から続く一本の古い県道に目をつけ、その先にある深夜営業の寂れた運送会社の営業所へと車を滑り込ませた。

 プレハブ小屋の事務所で、煙草の煙に巻かれながら深夜の配車記録をつけていた初老の所長は、栗原の警察手帳を見ると、面倒くさそうに顔をしかめた。

「五年前の秋? あの子がいなくなった夜のことか。当時の駐在にも話したが、俺は何も見とらんよ。うちのトラックが出入りする以外は、タヌキしか通らん道だ」

「トラック以外でも構いません」

 栗原は、感情の読めない低い声で迫った。

「この県道は、夜間は地元の人間しか通らないはずだ。当時、見慣れない車が停まっていたり、夜中に不自然なエンジン音を聞いたりしなかったか。どんな些細な違和感でもいい」

「違和感ねえ……」

 所長は首を傾げ、記憶の糸をたぐるようにヤニで黄ばんだ天井を見上げた。

「そういや、あの時期……秋祭りの前あたりだったか。夜中に何度か、ヘッドライトもつけずにノロノロ走ってる気味の悪い車を見たな。うちの若い衆が『幽霊車だ』って気味悪がってた」

「どんな車でしたか」

「暗くてよく見えんかったが……角ばった、古い『黒いワンボックス(バン)』だったな。窓には真っ黒なスモークが貼ってあって、中がまったく見えなかった。……でも、それがどうしたってんだ? ただの通りすがりか、不法投棄の業者だろ」

 ただの通りすがりではない。

 車に戻った栗原の目に、獲物を捉えた猟犬の鋭い光が宿っていた。

「石田。五年前の事件の夜、この県道を抜けて幹線道路へ出るルートを洗い出せ」

「了解です。……この県道を北上すると、国道五十四号線にぶつかります。そこにNシステム(自動車ナンバー自動読取装置)のカメラがありますね」

「そのNシステムの、五年前の失踪当夜の記録を県警のデータベースから掘り起こせ。『黒いバン』だ」

 石田の指が、キーボードの上で狂ったように踊る。県警の生安課という立場を半ば悪用した、強引なデータアクセス。数分後、彼は短く息を呑んだ。

「……ありました。午前二時十五分、該当する古い黒いバンがNシステムを通過しています。ナンバーは……ダメだ、盗難車のプレートです」

「それでいい。そのバンの通過記録を、他の十件の失踪当夜のNシステム記録と照合しろ」

「まさか……いくらなんでも」

 石田が半信半疑のままエンターキーを叩く。

 数十秒のロード時間。やがて画面に表示された検索結果を見て、石田は絶句した。

「……十年前の島根、八年前の広島、去年の鳥取……。十一件中、実に八件の失踪当夜の深夜から未明にかけて、近隣のNシステムに『同じ型の黒いバン』が記録されています。ナンバーは毎回違う盗難プレートですが、フロントバンパーの凹みの形状が完全に一致します」

「……ようやく、物理的なシッポを踏んだぞ」

 栗原が、低く唸った。

「でも、栗原さん。このバン、毎回途中でNシステムの網から消えているんです」

 石田が画面をスクロールさせながら顔をしかめる。

「中国地方のあちこちで姿を現すのに、いつも特定のエリアに向かう途中で、カメラのない旧道や林道に入り込んで足取りが途切れています。……その途切れたポイントを地図上で結ぶと」

 石田がパソコンの画面を栗原に向けた。

 赤い点が結んだ線の中心。そこには、島根県の東部にそびえる深い山地が広がっていた。

「……『八雲山やくもやま』周辺」

 栗原が、その地名を静かに口にした。

「四年前の被害者の友人が言っていたな。『いつか八雲の神様に会いに行く』と。スサノオノミコトの詠んだ和歌『八雲立つ』に由来する、神話の源流。……奴の『箱(監禁場所)』は、あの山のどこかにある」

 ついに、十一年間隠され続けてきた怪物の住処が、地図上に明確な輪郭を持って浮かび上がった。

 だが、安堵する暇はなかった。石田が、リストを見つめながらさらに致命的な事実に気づいて声を上げたのだ。

「栗原さん、まずいです! この十一人のリスト、被害者の『誕生月』に異常な意図を感じます!」

「どういうことだ」

「彼女たちが誕生日のちょうど一週間前に失踪しているのは、最初の検索条件の通りです。でも、その彼女たちの『誕生月』を並べてみると……一月生まれから十二月生まれまで、見事なまでに全員バラバラなんです。ただ一つの月を除いて」

「……『十一月』か」

「はい。一月から十二月のうち、『十一月生まれ』だけがすっぽりと抜け落ちています。奴は偶然少女を攫っているんじゃない。十二ヶ月の暦をコンプリートするために、毎年意図的に違う誕生月の巫女を一人ずつ集めていたんです!」

「……今年は、その空白の『十一月』を埋めるつもりか」

 栗原は、手元のスマートフォンでカレンダーを確認した。

「今は十月の下旬だ。今年のターゲットである『十一月生まれ』の誕生日が仮に十一月上旬だった場合、奴が行動を起こす『一週間前』は……まさに今週末から来週にかけてになる」

「中国地方全域から、条件に合う十一月生まれの少女をデータベースで絞り込みますか!?」

 石田がパソコンのキーボードに手を伸ばすが、栗原はそれを冷たく制した。

「無駄だ。『巫女舞の経験がある十代』なんて曖昧な条件が、警察の住基ネットや犯罪履歴に載っているわけがない。俺たちはCIAじゃないんだぞ。何万人という十代の少女から、十二人目のターゲットを机の上で特定することなど不可能だ」

「じゃあ、どうやって十二人目を守るんですか!? 猶予は数日、いや、もしかしたら数時間しかないかもしれないんですよ!」

「ターゲットが分からないなら、『終着点ゴール』を先に潰す」

 栗原はレンタカーのギアを入れ、荒々しくアクセルを踏み込んだ。

「奴が少女を連れ込む物理的な箱……『八雲山』だ。奴が最後にコレクションを完成させるために必ず現れるその場所へ先回りし、儀式を物理的に破壊する」

「……了解です! ナビ、八雲山にセットします!」

 激しい雨が降り頻る中、黒いタイヤが水飛沫を上げて国道を走り出した。

 ターゲットの顔も名前も分からない。

 だが、猟犬の執念は、ついに怪物の「巣」を正確に捉えていた。四十八時間以内。奴が十二人目の少女を連れてあの黒いバンで山に現れる前に、なんとしても『箱』の正体を突き止めなければならない。

 だが、この時の栗原たちはまだ知る由もなかった。

 彼らが怪物の巣を叩くために島根県の山深くへと向かっているその裏で、この数日間にわたって中国地方を洗い流し続けていた記録的な豪雨が、ついに別の山の斜面を崩落させようとしていることを。

 岡山、そして広島の山中。

 十一年間、冷たい土の下で「沈黙」を強いられていた過去の犠牲者たちの白骨が、いよいよ地表へとその姿を曝け出そうとしていた。

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