徒労の果てと沈黙の等間隔
島根県警本部を黙って抜け出し、広島、山口へと跨る県外捜査が始まってから、丸三日が経過しようとしていた。
一件、また一件と、かつての「現場」を訪ね歩く。だが、初日の広島の家で得た『巫女舞』という奇妙な符合は、その後の捜査であっさりとノイズの中に埋もれていった。
二軒目、三軒目、四軒目。訪ねる家で返ってくる言葉は、栗原たちの期待を裏切り続けるものばかりだった。
「あの子は昔から家出癖がありましたから」
「誕生日の前だからって、何かあったわけじゃない。ただ、東京のオーディションに行きたいって、そればかり言っていました」
石田は助手席で、三十人のリストに次々と無情なバツ印を書き込んでいく。
「……全滅ですね。栗原さん、やっぱりこのリスト、ただの『バースデー・ブルー』による突発的な家出の集合体じゃないですか? 十代の不安定な時期に、自分の誕生日がプレッシャーになって逃げ出す。よくある家出です。バグでもなんでもない、ただのノイズですよ。……あ、言い過ぎました。僕の検索条件が悪かったのかもしれません。すみません」
石田が放り投げたリストを、栗原は無言で拾い上げた。
窓の外には、夕暮れの島根の山並みが広がっている。沿道には、来週に迫った「秋祭り」ののぼり旗が、冷たい風に煽られてパタパタと乾いた音を立てていた。
「……次へ行くぞ。五軒目だ」
「五軒目は……島根県西部ですね。五年前のケースです。この子も、大人しい中学生だったみたいですけど」
* * *
五軒目の家は、手入れの行き届いた古い民家だった。
仏壇の横に飾られた少女の遺影を見つめながら、栗原は初日と同じように、静かに問いかけた。
「お嬢さんが消えられたあの日、何か、彼女が熱心に取り組んでいたことはありませんでしたか」
「……そういえば」
母親は、少しだけ伏せていた顔を上げた。
「あの子、あの日が誕生日のちょうど一週間前でね。お祝いは何がいいかって聞いたんですけど……あの子は『それより、お祭りの方が大事だから』って。地元の神社で『巫女舞』を舞うことになっていたんです。毎日、遅くまで稽古をしていて……。あの日も、お風呂敷に装束を包んで、笑顔で家を出たんです」
石田が、メモを取るペンを一瞬止めた。
「……巫女舞、ですか」
「ええ。あの子、自分の舞に使う『銀の髪飾り』を、自分の誕生石にちなんで特注したものだって、すごく大切にしていたんです。……それも、あの子と一緒に、消えてしまいました」
聞き込みを終え、玄関を出た栗原と石田は、夜の帳が下りた住宅街の冷たい空気を吸い込んだ。
「……栗原さん」
石田の声が、これまでとは違う、少しだけ尖った響きを含んでいた。
「いまの母親の話……初日に行った広島の家と、同じこと言ってませんでしたか? 『巫女舞の稽古に行く格好で消えた』って。それに、装束と髪飾りが一緒になくなっているのも同じです」
「……ああ。五年前の島根と、八年前の広島だ」
「ちょっと待ってください。……一回、整理しましょう」
栗原と石田は、国道沿いの寂れたドライブインに車を停めた。
店内は平日の夜ということもあり、客はまばらだ。栗原は自動販売機でカップコーヒーを二つ買い、石田の待つテーブル席へ向かった。
石田はテーブルの上に、三十人のリストと、これまで三日間で回った五軒分の聞き込みメモをバラバラに広げた。
「いいですか。二軒目から四軒目までの子は、東京への憧れや、家庭環境の悪化が原因でした。彼女たちの調書には『スマホや財布、当面の現金を持ち出した』と書かれています。自分の意思で消えるなら当然の行動です」
石田は、バツ印をつけた三枚のメモを脇に避けた。
「でも、初日の広島の子と、今日の島根の子。彼女たちは、財布もスマホも自室に置いたまま、巫女舞の装束と髪飾りだけを持って消えている」
石田は、残った二枚のメモと、まだ当たっていないリストを睨みつけた。
「……栗原さん。もし、まだ当たっていない残り二十五件のリストの中に、『財布もスマホも残されたまま』のケースがあったとしたら……」
石田は手元の端末を叩き、県警のデータベースにアクセスして、残り二十五件の「遺留品」の項目だけを猛スピードで検索し始めた。
数分後。石田の指先がピタリと止まる。
「……ありました。残り二十五件のうち、九件。完全に『所持品を持たずに手ぶらで消えたケース』です。……これらをすべて、初日の広島、今日の島根のケースと合わせて、時系列順に並べ替えてみます」
石田が、条件に合致した十一のケースを年代順に整理する。
そして、その並びを見た瞬間、石田は息を呑んだ。
「……うわ、なんだこれ」
石田の指先が、整理されたリストの発生年をなぞる。
「十五年前、十四年前、十三年前……。途中の年が抜けているところもありますが、見事なまでに……『一年ごとに』、一人ずつ消えてるんです」
栗原は、石田の指先が示す数字を睨みつけた。
捜査の順序とは全く関係なく、バラバラの県で起きていた失踪事件。それが「手ぶらで消えた」という条件で絞り込み、時系列という軸で並べ替えた瞬間に、規則的な「拍動」を刻み始めた。
「でも、おかしくないですか?」
石田が、身震いするように両腕をさすった。
「なんで『一年ごと』なんですか? 百歩譲って、この子たちが何かの事件に巻き込まれたんだとしますよ。でも、もしヤバい奴が手当たり次第に狙っているなら、もっと頻繁に事件が起きるはずです。なのに、きっちり一年間隔で、一人ずついなくなっている……」
石田は、並べ替えられたリストの余白を指先でなぞった。
「誰かが意図的に攫っているのか。それとも、彼女たち自身に『一年ごとに消えなければならない理由』があったのか……。なんだか、事件というより、気味の悪い都市伝説を見てるみたいです」
栗原は、懐から取り出した小さなプラスチックのパックを空けた。
琥珀色に輝く、イカの塩辛。
それを一つつまみ、口に運ぶ。ねっとりとした塩気が、冴え渡り始めた脳に刺激を与える。
「……マツダ商店の味には及ばない。だが、真実の味は、常にこれくらい塩辛いものだ」
栗原は独り言のように呟き、夜の窓の外を見つめた。
「手当たり次第の犯行でもなければ、偶然の家出の連続でもない」
栗原の低い声が、冷えたコーヒーの横に落ちる。
「まだ『事件』だと断定するには早い。だが、この一年という途方もない間隔には、確実に何らかの『意味』がある。ただの家出でも、無差別な誘拐でもない。この等間隔の連鎖を引き起こしている『何か』が、この中国地方の底に横たわっている」
深夜のドライブイン。換気扇の回る音だけが、不自然なほど大きく響いていた。
三十件のリストという膨大なノイズの中から、泥臭いローラー捜査と遺留品の確認の末に削り出された「一年ごと」という沈黙の等間隔。
誰かが意図的に攫っているのか。それとも、少女たち自身に消えなければならない理由があったのか。
まだ事件とすら呼べない、都市伝説のようなその不気味な現象の奥底に――栗原剛の猟犬としての嗅覚は、得体の知れない「異常」の気配を確かに嗅ぎ取っていた。




