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栗原剛を逮捕せよ〜沈黙の十二助骨〜  作者: ユタカ


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沈黙の教祖と黄金の叫び

https://mypage.syosetu.com/1467772/

⤴︎こちらで他の作品も公開中でございます。


また参考にさせていただくため

レビューや評価 お待ちしておりますぜひよろしくお願いしますm(_ _)m

 島根県警本部、捜査資料室。

 天井で回る換気扇は、数年前から甲高い異音を立て続けている。カラカラと乾いたその音は、まるで停滞したこの部屋の空気を象徴しているかのようだった。

 窓のブラインドは日光で黄色く変色し、その隙間から差し込む光が、床に積まれた古い捜査資料の山を白々と照らしている。室内に漂うのは、古い紙と埃、そして安っぽい消臭剤が混ざり合った、地方警察特有の退屈な匂いだ。

「……信じられませんね。この処理速度。完全に『バグ』ですよ」

 ひび割れたレザーチェアに深く腰掛け、三十五歳の石田誠は、目の前のデスクトップパソコンを恨めしげに睨みつけていた。

 石田がマウスをクリックしてから画面が切り替わるまで、たっぷり十秒はかかる。その間、本体からは離陸寸前のプロペラ機のような轟音が響き、石田はそれを「県警が誇る超低速演算装置」と呼んで皮肉っていた。

「栗原さん、聞いてます? このパソコンのスペック、僕が十代の頃に型落ちで買ったマシンの方がまだマシです。これで何十年分もの『未解決の家出人データ』をデジタル化しろなんて、竹槍でステルス機を落とせって言ってるようなもんですよ。……あ、言い過ぎました。県警の貴重な備品でしたね。すみません」

 石田が口癖のように謝罪を口にしても、向かいのデスクに座る男は、表情一つ変えずに手元の調書をめくり続けていた。

 栗原剛。四十六歳。

 よれのないワイシャツに、隙のないネクタイの結び目。その無骨な体躯と、時折資料から上げられる眼光の鋭さは、この長閑な島根の空気にはどうにも馴染んでいなかった。

 無理もない。彼は、この島根県警の人間にとって「あってはならない過去」そのものなのだから。

 四年前。警視庁捜査一課にいた栗原は、全国を震撼させた連続爆破テロ事件の渦中にいた。

 結果的に、それは二人の兄弟が二十一年の歳月をかけて仕組んだ、警察への凄絶な復讐劇だった。栗原はその事件で、自分の身を呈して真犯人を追い詰め、彼らの冤罪という真実を証明した、誰よりも不器用で真っ直ぐな刑事だった。

 しかし、警察上層部の論理は違った。身内を一度はテロリストとして扱い、メディアの狂騒を許した大失態を隠蔽するため、事件解決と同時に、騒動の火種となった栗原の功績をすべて闇に葬り、この遠い僻地へ放逐したのだ。

 島根県警の廊下を歩けば、今でもヒソヒソ声が追いかけてくる。

「見ろよ、あの『教祖様』だ」

「本庁の恥さらし。よく平気な顔で出勤できるよな」

 組織が作り上げた「不名誉なレッテル」は、剥がれることはない。それが巨大な村社会の不条理な構造だった。

「……石田。口を動かす暇があるなら、足を動かすぞ」

 低く、地を這うような栗原の声が、石田の愚痴を遮った。栗原はパイプ椅子から立ち上がり、ハンガーにかけてあったジャケットを羽織る。

「え、お出かけですか? デジタル化の作業、まだ全然終わってないですよ」

「現場の空気は、そのポンコツの中にはない。過去の失踪者の足取りを、自分の目で確かめに行く」

 栗原は一切の無駄がない動作で手帳を懐にしまい、部屋を出て行った。石田は慌ててプリントアウトしたばかりの数枚の紙を引っ掴み、その背中を追った。

   * * *

 午後四時半。秋の日は釣瓶落としという言葉通り、島根の空はすでに深い茜色から群青色へと沈みかけていた。

 二人は、五年前の秋に女子高生が忽然と姿を消した未解決事件の足取りを追って、県境に近い古びた神社の境内に立っていた。

 ちょうど今の時期、神社は秋祭りの準備に追われていた。境内のあちこちに提灯が吊るされ、社務所の奥からは、ピーヒョロロという甲高い笛の音と、トントントンという小気味良い太鼓の練習音が響いてくる。

 落ち葉を掃いていた初老の神主が、栗原の警察手帳を見て重々しく口を開いた。

「……五年前のことですからね。あの子は、この秋祭りで『巫女舞』を奉納する予定だったんです。熱心にあの社務所で稽古をしていて……それが、祭りの数日前に、急に姿を消してしまって」

 神主の言葉と、奥から聞こえてくる祭囃子の音が、栗原の耳の奥で反響する。

 その傍らで、石田は署から持ち出してきた「未解決失踪事件」のプリントをペラペラと捲っていた。紙の束に目を落としていた石田が、ふと小さく首を傾げる。

「……ん?」

「どうした、石田」

「いや、さっきの神主さんの話を聞いてて、ちょっと気になったんですけど……。このプリントにある、三年前に広島で家出した女の子の調書。この子も、失踪時期が『地元の秋祭りの直前』なんですよ」

 石田は指先でプリントの行をなぞりながら、小首を傾げた。

「まあ、家出少女が祭りのどさくさに紛れて消えるなんて、よくあるパターンですけどね。祭りの高揚感とか、逆に大勢の人が集まるのが嫌になるとか」

 石田にとっては、ただの雑談程度の報告だった。全国で年間何万人もの人間が消えるのだ。祭りの時期に未成年が家出をするなど、統計上珍しいことではない。

 だが、その些細な言葉と、目の前で鳴り響く祭囃子の音色が、栗原の脳内で微かな「火花」を散らした。

「……貸してみろ」

 栗原は石田からプリントの束を受け取り、文字の羅列に視線を落とした。

 被害者の年齢は十代。失踪した年はバラバラ。失踪場所も島根、鳥取、広島と規則性がない。一見すると、それぞれが独立した無関係な家出や事件に見える。

(広島の事件の調書……『地域の祭礼にて巫女役を務める予定だったが、直前に行方不明』……)

 五年前の島根の少女。三年前の広島の少女。

 どちらも、祭りの時期に消えたというだけでなく、「巫女舞」という役割を背負っていた。

「……思春期の重圧、か」

 栗原は短く呟いた。

 田舎の閉鎖的なコミュニティにおいて、祭りの主役を任されるというのは、十代の少女にとって名誉であると同時に、逃げ出したくなるほどのプレッシャーになることもある。それだけなら、ただの「よくある家出」だ。

 だが、長年、凄惨な事件の最前線に立ってきた栗原の嗅覚が、その平凡な理由の奥底に潜む「何か」を微かに嗅ぎ取っていた。

「どうかされましたか、刑事さん?」

 訝しげに覗き込んでくる神主の声で、栗原は手元のリストから顔を上げた。

「……いや。何でもありません。ご協力感謝します」

 栗原はリストを折りたたみ、静かに懐へしまった。

 神社の鳥居を潜り抜けながら、石田が口を開く。

「どう思います、栗原さん? やっぱ、ただの家出の偶然ですよね。祭りの前って、なんかテンションおかしくなる子もいますし」

「今はまだ、ただの点に過ぎない。憶測で無理やり線を引くのは危険だ」

 栗原はそう言いながら、時計に目をやった。

「今日はここまでだ。石田、お前は署に戻って、未解決のリストの中から『祭礼の直前』に消えた十代の記録だけを、念のためピックアップしておけ。……俺は少し、頭を冷やしてから帰る」

「えっ。栗原さん、署に戻って話の続き、しないんですか?」

「戻ればまた、あの換気扇とヒソヒソ話のノイズに付き合わされる。俺はこのまま帰路につく」

「あ、なるほど。了解です。じゃあ、明日の朝イチでリストを整理しときますね」

 石田は軽く敬礼のような仕草をすると、パトカーを停めてある駐車場の方へと足早に下っていった。

 一人残された栗原は、茜色が消えゆく西の空を少しだけ見上げ、それから静かに自分のアパートがある方向へと歩き出した。

 まだ、事件とは呼べない。点と点が結びつくには、あまりにもピースが足りなすぎた。

   * * *

 すっかり日が落ち、街灯が点々と灯る住宅街。

 冷たい秋の夜風がコートの襟を揺らす中、栗原は静かな路地裏を歩いていた。遠くからはまだ、微かに祭りの太鼓の音が風に乗って聞こえてくる。

 祭り。家出。少女たち。

 とりとめのない思考の海に沈み込んでいた、その時だった。

 くぅん、と。

 ブロック塀の暗がりから、微かに情けない鳴き声がした。

 足を止めると、街灯の光が届かない影の中で、首輪をつけた一匹の小型犬が寒さで小刻みに震えていた。毛並みは汚れ、リードはついていない。迷い犬だろうか。

 栗原は、周囲を見渡し、ゆっくりと膝をついた。とりとめのない事件のノイズが、目の前の小さな命によって少しだけ和らぐ。

(……腹が減っているのか)

 コートのポケットに手を入れる。聞き込みの合間に自分が食べるために買っておいた、コンビニの安物のビーフジャーキーが一つ残っていた。

 栗原は袋を開け、不器用な手つきで肉片を取り出し、犬の鼻先へと差し出した。

「……これを食え。怖くない」

 栗原としては、これ以上ないほど優しく、穏やかな声を絞り出したつもりだった。

 しかし、生来の強面と、かつて数え切れないほどの凶悪犯を震え上がらせてきた鋭すぎる眼光。そして、長身の巨体を丸めて薄暗がりで肉片を差し出すその姿は、端から見れば「獲物を毒で仕留めようとする裏社会の殺し屋」そのものだった。

 不運は、重なるものだ。

 路地の角から、慌てた様子の一人の女性が小走りで現れた。

 散歩用のリードを握りしめた、ソフトアフロの髪型が特徴的な、恰幅の良い中年女性だ。彼女は、暗がりで自分の飼い犬の前にうずくまる、見知らぬ巨体の男を見て息を呑んだ。

「ちょっとぉ! アンタ、ウチのポチに何してんのよぉ!」

 おばちゃんが血相を変えて詰め寄る。

 栗原は驚き、ゆっくりと立ち上がった。

「……違うんだ。この犬が、震えていたから……」

 手にしたジャーキーを見せながら、誤解を解こうと低い声で一歩踏み出す。

 だが、その威圧感が致命的だった。街灯の明かりの下に栗原の無骨な顔が浮かび上がった瞬間、おばちゃんは完全に「逃げ場を塞ぐ凶悪犯」に遭遇したと錯覚した。

 彼女が大きく口を開けた瞬間、街灯の光を反射して、前歯の金歯がギラリと不吉な光を放った。

「来ないでぇ! 助けてぇ! 犬泥棒よぉ!」

 おばちゃんは金歯を剥き出しにして、夜の静寂を切り裂くような絶叫を上げた。

「誰かぁ! 警察呼んでぇ! その男、今すぐ逮捕しろー!!」

 四年前、理不尽な陰謀から真実を救い、その代償として警察組織から追放された男。

 彼の島根での新たな逃亡劇と、壮大な構造を巡る恐るべき事件の幕開けは、一人の主婦の黄金の叫び声と共に、これ以上ないほど不条理に始まったのである。

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