潜入(1)
セノディアは淡々と消えた土壁へと近寄った。
「うッ……――――!」
階段を降りてすらいないのに漂う、鼻を突く悪臭にセノディアは顔を顰める。生魚をミキサーにかけてその辺にぶちまけ、その上に汚物をひっかけたような、胃酸が逆流し吐き気を催しそうになる生臭さだ。あまりの悪臭に目尻には涙が浮かんでいた。
足元を見るが、内壁に等間隔で配置された蝋燭に照らされた床は無機質に反射するだけ。靴を地面に擦り付けても感触としては石質そのもの。血や汚物がぶちまけられたような痕跡はない。この匂いの根元はどこにあるのだろうか。
(……とりあえず行くか)
それはさておき、ここから出て行った男達が帰ってくるのが分からない以上時間が惜しい――――。潜入する緊張と、アトリアと主張をぶつけ合った憤り、それに悪臭でムカムカして奮える体を押さえつつ、セノディアは考えるよりも先に階段を降りた。
外では三人が見張りをしてくれているはずだ。いつあの男達が帰ってくるのかは知らないが、そう遅くもないだろう。時間を無駄にして何も手がかりが無いのでは、外で見張っていてくれている三人に申し訳が立たない。
外で喧嘩した時間も含めて、タイムリミットは刻一刻と迫っているのだ。
十段ほどしかない階段を下り、平面の通路を見渡す。
(こっち、多分こっちで合ってる……)
精神的に焦りが生じるセノディアだったが、内部構造の単純さに救われた。人の手で掘られたであろう一本道の地下通路に、所々木製のドアが打ち付けられた小部屋があるタイプの隠れ家だ。
きつい匂いの元は通路の奥から生じている。距離までは分からないが、一本道なので辿れば迷いはしないだろう。
『――――ッ!』
その一番奥――――かなり遠くからだが、誰かの声が聞こえる。
石畳を歩く自分の靴音が異様なまでに音が小さいため、アジトの中は全体的に防音用に衝撃を緩和する魔法がかけられていることが分かる。そのため今聞こえた声はハッキリとした言葉ではなくボンヤリとした『音』としてしか聞こえないが、言語を発していることから人の声であることは確かだ。それも必死に何かを叫んでいる。
「……――――」
それが攫われた子供の声なのか、それともまだアジトの中に残っていた敵なのか判断がつかない――――。息を殺し、足音を立てないようにすり足で、声のする部屋へと移動する。一応、隠れ家から何人か出て行くのを見たが、まだ内部に誰かいる可能性はある。まさか、一人も留守番を残さずに出て行ったワケでは無いだろう。
しかし運の良いことに、誰とも鉢合わせせずにずんずん奥へと進めた。それにつれて匂いも強烈になってきたなと、セノディアが感じ始めた時――――。
「グゴオォォー……グゴオオォォー……」
「ッ――――!?」
通路の奥から聞こえる声に混じりって、一番近くにの部屋から鼾が聞こえてきた。それも、階段を降りたときに匂った凄まじい生臭さがそこから漂ってくる。
よもやここが当たりの部屋か――――。そう勘ぐったセノディアは悪臭がするドアをソッと開けた。鼾をするということは寝ているから、という所見だ。
「うおッ……」
ドアを半開きにしたセノディアの口から嗚咽が零れる。慌てて口を抑えて改めて部屋を覗くと、そこには中身の無くなった酒瓶や酒樽などに、これでもかと野菜・肉などの生ゴミが詰められていた。
やっていることが人攫いなので、日常的に表だってゴミを捨てに行くわけにも行かず、またわざわざ分別するのも面倒だから適当にゴミをぶち込んでいる部屋なのだろう。部屋の中は廊下と同じで薄暗く、また半開きのドアからだったので漁ることはできなかったが、幸いにも人肉の類は見えなかったので、攫われた人たちが殺されて処理されているのではないことが分かる。
だが部屋には更に続きがあり、生ゴミを両脇にかき分けられるようにしてできた道筋の先に扉があった。
「グウウゥゥ……グオオオォォ……」
鼾はそこから聞こえてくる。
セノディアは生ゴミを踏みつぶして音を立てないよう慎重に歩き、扉を開けた。その部屋からは、隣の部屋の生臭い匂いを掻き消すようにしてアルコールと葉巻の匂いが充満していた。そして中心に置かれたテーブルの上には、それを証明するかのように酒瓶と葉巻が無造作も転がっている。
「グウウウウゥゥ……ググオオオ……」
酒太りした男が机に突っ伏して寝ていた。この男が鼾の主だった。
(……ここにも攫われた人は無し。でも中にはまだ人がいたか……走ったりしないように気をつけよう)
見張りがいる部屋ならば何かしら重要な証拠が転がっていそうだが、それにしても時間が惜しいのでパス。部屋の内部を探索したい気持ちに駆られながらも、まずは攫われた子供達を見つけ出すのが最優先事項だ。男を起こさぬようソッとドアを閉めた。




