魅了は狂気の華が咲く
「これが――――『箱』か」
(スゲェな……なんて禍々しさだ……)
『箱』を手にしたスヴェンは、先ほどまでの戦いなど無かったかのように新米冒険者への興味は消え失せ、恍惚とした表情を浮かべるが、目は虚ろで座っており、口も半開きでボーッと突っ立った。
残忍さを孕んだ凶相は、宝石の魅力に取り付かれた宝石商のような、濁った目に狂気を携えた人相へと変貌を遂げていた。
(これは誰にも渡しちゃいけねぇ……本能が叫んでる……。これはキケンだから誰にも……オレダケノ――――)
また、この『箱』を誰にも見せたくない、誰にも渡したくない、自分だけの秘密にしたいと、『箱』に対して尋常ではない執着心を抱きつつあった。
それと同時に、『箱』を危険なものだと認知していた。
どうしてそう思ったのかは彼自身にも知るよしはないが、とにかく『箱』は危険だと本能が告げていた。
だからこそ――――『箱』を死守し、他人の手に渡してはいけないという使命に燃えていた。
『箱』の中身や性質などどうでもよく、ただ『箱』が手元にあればいい。
本来のスヴェンの目的は、飛竜の素材とついでにセノディアを殺して装備とアイテムをかっさらおうという、金儲けしか眼中にない衝動的な犯行だったが、『箱』を拾いあげてものの数秒で――――何よりも優先されるべき金よりも、飛竜の素材を剥いでいる仲間よりも、僅かばかりに残っていた人間性の残滓よりも――――全てにおいて『箱』が最優先事項になっていた。
原因が何かと問われれば、それは間違いなく『箱』の仕業なのだろう。ただしセノディアは平気だったのだが、スヴェンはそれが何故か知る由もない。
「おーい。こっちは終わったぜー」
「剥ぎ取りには手間取ったが、その分良質な素材が手に入った。こいつァ精算が楽しみだが……どうやらそっちも上々みたいだな」
「こりゃしばらくは遊んで暮らせそうだな……へへっ」
痩せた男と切り傷の男が、血にまみれたナイフと麻袋を手に、ゆったりとした足取りでスヴェンの元に戻ってきた。
顔は達成感に満ちあふれて、狸の皮算用よろしく、街に戻ってからの予定を立て始めていた。
しかしスヴェンは、ピクリとも二人に興味を示さない。瞬きもせず、微動だにしない彼は相変わらず『箱』に熱い視線を送り続けていた。
「おーいスヴェン、こっちは終わったっつーの!」
「あ……あぁそうかい。お疲れさん」
「お、それがあのガキが持ってた『箱』か?」
「……そうだ」
「はぁ~……、なんつーかおどろおどろ装飾してんな……」
「絶対に中にヤベェモンが入ってるぜ、コイツァよぉ。」
仲間の二人は、ポタポタと飛竜から剥ぎ取った素材から垂れる血を拭こうともせず、じっくりと『箱』を観察する。
「でも、なんつーか、言葉にできねぇけど……えも言えねぇ魅力もある……」
「あぁ……。それに俺も……『箱』が欲しくなってきた……。いや、『箱』を守らねぇといけねぇ気もしてきた……」
「カロもか……。俺も何か、それを『ここで守らなくちゃ』なんねぇような……」
「――――」
初めこそ興味津々に『箱』を眺めていたが、数秒も経たない内にスヴェンと同じ――――『箱』そのものに惹かれるようにして、二人の男は『箱』へと手を伸ばした。
最初からそうするのが当たり前だったかのように――――。
それもまた、『箱』の瘴気に当てられた魅了からなのか。それとも、悪行に手を染めた者の性なのか。
いずれにせよ、彼らは『箱』へと手を伸ばした――――。
「――――触んな!」
ザンッ!
「――――は?」
「――――え?」
その手はスヴェンの振り下ろした剣によって、肘から先と袂を分かつことになってしまったが――――。
「ギャアアアアァァ!!!! いてえええええええぇぇ!」
「ウガアアアアァァァ!!!! スヴェン、お前……ッ!!!」
スヴェンに片腕ずつ切り落とされた男二人は、切断面に襲いかかる焼け爛れるような痛みに絶叫し、我に帰った。
「うわあああん……いてええぇよおおぉ……」
やせ細った男は痛みに耐えかね、一目も憚らず、地面に膝をついて泣きだしてしまった。
「テメエエエエエェェー!! 何してんだああああァァァー!!」
「何って――――『箱』を守ったのさ」
「気でも触れたかアアァッ!」
反面、落ちた腕には目もくれず、顔に傷のある男は逆上し、自前の剣を抜き放ってスヴェンに躍りかかった。
先ほどまで飛竜の剥ぎ取りに使われていた剣から、どす黒い血がしたたり落ちる。
片腕を切られた痛みに堪えながらも感情の赴くまま、理性を投げ捨ててスヴェンに躍りかかった。
「死ねえええぇぇぇ!!!」
――――しかし悲しいかな。スヴェンは《シーフ》のマスタリーを持つ冒険者なのだ。
ただの筋肉ダルマの破落戸を相手取るなど、赤子の手を捻るよりも容易い。《シーフ》スキルの一つである《フェイントシフト》を発動し、造作もなく剣を受け流す。
適正スキルであっても魔力消費は大きいが、受け流しが可能な攻撃であれば、大半はノーダメージでやり過ごせる便利な《シーフマスタリー》のスキルだ。
「フッ!」
「ガッ――――」
そしてスヴェンは、これまた《シーフ》のスキルである《急所突き》を使った。
実力が上の相手にはそもそもスキル自体発動しない特殊なスキルだが、格下の相手には、動作は大振りになってしまうものの、一撃のもとに命を絶つ凶悪なスキルである。
攻撃が受け流され、がら空きとなった男に放たれた《急所突き》は、果たしてスチールプレートで守られていた胸部を一突きし、防具を粉々に砕きながら、剣は心臓に吸い込まれるように突き刺さった。
男は口から微かに漏れた断末魔を最後に、全身から力が抜けていき、やがて刺さった剣に寄りかかるように力尽きた。
スヴェンは男の死体を足蹴にし剣を抜くと、痛みに泣く骨張った男に歩み寄る。返り血に塗れたその体は、狂人と呼ぶに相応しい出で立ちだ。
「ヒッ……に、逃げ……! うああぁぁ……!」
骨張ったの男は躙り寄る死に抗い、逃げようとする。
しかし腕を切られた痛みに加え、傷の男の死を目の当たりにしたからか、腰が抜け、足が震えて動かないでいた。
「何で、何でお前、こ、こんな、こんな酷い事するんだよぉ!!!? おかしいだろ、俺達、短いけどよ、仲間だったじゃねぇか!! 何で……ッ!?」
「何でって、お前らが『箱』を奪おうとするからだろォ……? 俺なーんもおかしなことしてねーよな。ほら、俺さ、『箱』守らねぇといけねぇから」
「箱も含めて、元から全部分配する予定だっただろうがよォ!! テメェ、最初から、全部独り占めする気だったのか!!!」
「最初から全て……? あぁいや、全てはいらないし最初からでもないんだ。俺には『箱』があればそれでいいって気づいちまったのさ……。素材も名声も金も、勿論お前達もいらねぇ、『箱』が必要だったんだ……。コイツを守るのが、俺の使命だったんだ。そうは思わないか?」
「スヴェン、テメェ……狂ってる……!」
「いいや、『箱』を売っ払おうとした俺達全員狂ってたのさ」
「この……ア゛ッ――――」
最期に何を言い残したかったのだろうが、それが叶うこともなく、スヴェンの意味深な最後の台詞は、やせ細った男にとっての冥土のみやげになった。
スヴェンは血の滴る剣を手に、さっきまで仲間だったはずのやせ細った男の首を、そうするのが当たり前のように躊躇いなく――――一刀のもとに切り捨てた――――。
(この世の全てを犠牲にしてでも、この世の全てを敵に回しても、この『箱』は俺ンだ……。悪意という悪意から守ってやんねーと――――!)
血と欲望にまみれた剣を鞘に収めると、地面を転がった骨張った男の首も、物言わぬ死体と成り果てた顔に傷のある男も埋葬することはなく、再び『箱』の外装を眺め始める。
血走ったその目は――――、『箱』を愛おしそうに抱きしめる腕は――――、外道へと落ち腐った心は――――、スヴェンの全ては狂気によって支配されていた。




