『箱』
セノディアは刺される直前、背後に気配を感じていた。
ここは初心者向けダンジョンだったが、未開の地でもある。それを忘れていなかった彼は、新たなモンスターが出現したのではと危惧し、振り向きと同時にバックステップを踏んで距離を取ろうとする。
しかし――――。
「ガァッ――――!」
回避しきれず、剣が腹部を貫いた。
寸前で危機感の警鐘が鳴ったお陰か、急所は免れた。腹部ど真ん中の少し脇を突かれただけだ。
(油断したッ……! 全然モンスターに気づかなかった――――)
セノディアは、痛みに顔を顰めながらも距離を取る。
そして刺した犯人は何者なのか、確認しようと振り向いて、驚愕した。セノディアの命を絶たんとした者は、モンスターではない。
彼が全く想像だにしない存在であった――――。
「チッ、勘の良い奴だな」
それは人間であった。
それは、同業者の証である銀色の『冒険者バッジ』をしていた。
そしてそれは、腰の鞘から振り抜かれ先端から血が滴る剣を手に、下卑た笑いを浮かべていた――――。
「な……お前はッ……!」
「んだよ眠ってねぇの? お前、シーフスキルの『スリープショット』使ったんじゃねーの?」
「ハハッ、だっせぇな! やっぱマスタリーなんて無くても俺に任せときゃよかったんだよな」
「るせぇな……。コイツの勘が良かったから、魔力が上手く流し込められなかったんだよ。狙ったところを外すと発動しねぇんだ」
腹部を刺した男を含め、数も一人ではなく三人。
一人はいかにも狡賢そうな顔つきで骸骨のようにやせ細った男。
一人は顔に斜めの切り傷があり、出っ張った頬骨が特徴の男。
そして一人は、セノディアの見たことのある顔――――スヴェンであった。
「一体……どっから……」
「そりゃお前さんが開けた穴っぽこからだよなぁ?」
「いやー、ただの休憩所の下にこんな空間が広がってるたあなぁ。大手柄だよセノディア君とやら」
「ま、その手柄も俺達のモンになるんだけどな。ハハハッ!」
降りてきたとは言うが、全く気配に気づかなかった。セノディアの気が抜けていたのもあるが手慣れているのだろう。スキルを使う時に発せられる魔力も、上手に隠されていた。
また、上にいたハズのアトリアとモミジは無事なのか、こいつ等に非道な目に合わされていないか。
不安が、疑問が、怒りが、そして痛みが、様々な感情がセノディアの胸中に渦巻いた。
「なぁボウズ。その『箱』、こっちに寄越してくんねーかな?」
「ついでによ、俺達がここを発見したことにして、おまけに眠らすのに失敗したってのも黙っててくれれば見逃してやっからさ」
「飛竜の素材も頂いてくぜ。セノディアさん、ご馳走様でーす!」
目の前の財宝に上機嫌な三人は、セノディアを殺すことよりも無茶苦茶な要求ばかりを吹っかけていた。
あの腹部への一撃は、どうやらシーフのスキルによる睡眠効果を狙ったようで、彼らは『殺し』よりも『金』になることを優先している節がある。
殺人が目的ではない、あくまでも金を得る手段でしかないようだ。
「やだ……ね。『箱』は渡さないし、飛竜も渡さない……ゲホッ……」
しかしセノディアはキッパリと要求をはね除け、腰からミスリルナイフを抜き取る。それは彼に許された精一杯の虚勢だった。
手負いの状態で片手は『箱』で塞がれ、三人相手の、しかも内一人はマスタリーを所有する冒険者に勝算は無い。
それでも『箱』は渡したくなかったし、不意打ちするような悪漢に屈するのも嫌だった。まだ新米ではあるが、冒険者としてのプライドと、年相応の反抗心と、そしてセノディア自身の負けず嫌いが抵抗心に油を注ぎ続けた。
「ハハハ、そんな強がり言っちゃって。あーあ……そーゆー新人特有の謎の自信っていうの? 若さにかまけたエネルギッシュっていうの? 一番ムカツクわ。おい、アイツは俺がやるから手出しすんなよ」
「オッケー」
「んじゃ俺達はアッチ回収してくるかな」
そんなセノディアを愉快に笑い、スヴェンは手に持ったロングソードをセノディアに突きつけた。
残り二名は、それぞれ飛竜の死体から素材を剥ぎ取りに向かったようだ。
しかし、深手こそ負わせられているものの、セノディアだってマスタリーを授かった冒険者。
更にそのマスタリーが未知なるマスタリーという情報を掴んでいるスヴェンは、ナイフに警戒しながらジリジリと距離を詰めていった。
「これが最後のチャンスにすっけど、もう抵抗したって辛いだけだろ? 大人しく箱を渡せば見逃してやるからよ、それ、こっちに寄越せや」
「グダグダ言ってねぇで……来いや……!」
「ハァ……。セノディア君よぉ、君は世渡りが下手だなぁ。こういう時は素直に『はい』って頷いとけばいいんだ……よッ!」
一挙手一投足に注目し、1vs1という状況を生かした勝算を立てようとした。しかし悲しいかな。勝ち筋を確立するプランを思考するセノディアに、そんな時間は与えないと言わんばかりにスヴェンは一瞬で間合いを詰めた。
「なッ……!」
それは《ショートブリンク》と呼ばれる、シーフの初歩的なスキルだった。
適正スキルながらも魔力を大量に消費する為長期戦に向かず、他の移動スキルと比べてしまうと魔力効率が悪いのが欠点だが、一瞬で敵との間合いを詰められる利点から愛用者も多い。スヴェンは虚を突く意味も兼ねて《ショートブリンク》を使ってきたのだ。
これが、長年冒険者として続けてきたからこそ判断できる妙だった――――。
「グッ……!」
意識が朦朧とするセノディアにとっては効果覿面であった。セノディアは突然前に躍り出てきたスヴェンに狼狽えてしまう。
だが意識が覚束ない中でも、いや、覚束ないからこそだろう。
一挙手一投足を――――中でも凶器である剣、その一点からは目を逸らさなかったセノディアは一瞬狼狽したものの、横凪ぎされたロングソードを驚異的な反射神経でもってしてバックステップを刻み、すんでの所で上手く捌ききった。
「オラオラどしたぁ! さっきまでの威勢はどこいったんだ!?」
しかし追撃の手は緩まない。一つ、二つと追撃されると、たちまちセノディアは円上の草原から追い出されてしまい、木々を背中にしてしまう。
無理もない。元々飛竜との戦いで疲労が溜まりに溜まっていたからだ。勿論、スヴェンはそれも計算に入れて切りかかっている。彼は、今のセノディアなら絶対に勝てると見切って凶行に及んだのだ。
(やっぱ手負いの新米は楽ちんだな……!)
そう内心呟いたスヴェンは約束された勝利ににやついた――――。
彼は飛竜との戦いの一部始終を全て見ていた。セノディアがこの洞窟に入ると人伝に噂を耳にした時から仲間と共に後をつけ、不幸な事故などで死ねば身に付けていた装備・アイテム、全てをかっさらい質屋に売りさばく算段をしていたのだ。
勝敗は、戦いが始まったときから決していた――――。
「はい俺の勝ち~」
「しまっ――――クッ……!」
リーチで負けるロングソード相手に、よくリーチの短いナイフ一本で太刀打ちしていた方だろう。善戦も善戦、大奮闘だ。しかしそれも、切り上げによってナイフを吹き飛ばされてしまっては――――敗北が決定づけられてしまっては元も子もない。
切り上げられた剣によってナイフはセノディアの手から離れて宙を舞い、無造作に枝葉を斬り付けながら土の上にポトリと落ちた。
「まだだァ!!」
しかし、それでもセノディアは諦めてなかった。
《飛竜》の死体が散らばった周囲を漁っていたときに、実はこっそり拾っていた『竜の爪』。それを懐から取り出し、振り下ろされたロングソードを受け止める。
爪の強度は申し分なく、金属がかち合う残響を残したが、微妙に湾曲した爪によって剣は掬われ、お返しと言わんばかりにセノディアはスヴェンの剣をはじき飛ばした。
「チッ……めんどくせぇマネしやがってよォ!」
形勢逆転かと思われたのも束の間、スヴェンは二度目の《ショートブリンク》を使用する。
「まだそんな魔力が……!」
「遅ぇ!!」
「ガッ――――!!!」
スヴェンは渾身の力を込め、頭を思い切り殴った。
満身創痍なセノディアだったが、二度目ということも相まって背後に回られたと気づいていた。
しかし対応しようと振り向いたものの、対処は間に合わなかった。蓄積した疲労により、体が思考に付いてこられなかったのだ。
セノディアは揺さぶられた衝撃に耐えられず、気絶はしなかったが、唯一の対抗手段である竜の爪を手放してしまった。
そして素手ゴロになったと見るやいなや、スヴェンはセノディアの首に手をかけた。無力な相手を殺すのに、武器はいらないのだろう。
「ハァ……ウッ……アァ……」
「ったく無駄な抵抗しやがって……。お前が悪いんだぜ? 大人しく野垂れ死んでりゃあアストレイベアけしかけることも、こうして襲うこともなかったのによぉ」
「グアアァッ……!」
セノディアの往生際の悪さにイライラしたのか、スヴェンはすぐさま命を絶つマネはしなかった。
代わりに冥土のみやげを聞かせながら、倒れたセノディアの首根っこを掴み、そのまま持ち上げて指が白くなるほど絞める。酸欠と出血と痛みの三重苦に、セノディアはスヴェンの腕を弱々しく掻きむしりながら呻き声を上げるだけで精一杯だった。
「あのクマ……やっぱりお前が……!」
「ハハハッ! なぁんだ気づいてたのか。いやーお前があの森中心に稼いでるって知ってな、直接手を汚すのは嫌だったけどよぉ、モンスターに殺されちまえばお前の持ってる装備も金も独り占めする算段だったんだが……。ま、《飛竜》の素材がゲットできたし結果オーライだな!」
「なる……ほどね……!」
「ほーらほらー、このままだと苦しみすら感じなくなっちまうかもよォ?」
「グアアアァッ!」
「ハハハッ!」
誰の目から見ても雌雄は決した。スヴェンは高らかに笑い声を上げる。
締め上げられながら足をばたつかせるセノディアの顔は苦痛と悔しさに歪んでいるが、やはり、と言うべきか。彼はまだ諦めてはいなかった――――。
(今殺すつもりはない……なら……!)
スヴェンは直接手を汚したくないと言った。それは遠回しに「自分はゲスです」と宣言しているようなものだが、その思惑に活路を見出した。
(せーのッ……!)
セノディアは《エクスプローラーマスタリー》の謎の手がかりになるであろう、後生大事に抱えていた『箱』を有りっ丈の力を振り絞って放り投げた。
スヴェンの目的は自分を殺すことではなく、それは過程でしかない。本命は金、金、金だ。もし殺人を最優先にするならば、アストレイベアにボコられた自分を殺さなかったのはおかしいし、飛竜と戦っている最中に闇討ちだってできたハズだ。彼は根っからの小心者、人を殺して金目の物を奪うのは最後の手段。それらの判断材料を加味した上で、『箱』を投げる決断を下した。
トサリと、草花の上に柔らかい音を残しスヴェンの背後に『箱』が落ちる。
「チッ……ったく、面倒な事しやがっ……て!」
「ガアアァッ……!」
スヴェンは未だに抵抗の意思を見せるセノディアに、舌打ちをしてセノディアを力任せに地面に叩きつけた。力が入っていなかったから遠くに投げられなかったが、今は気を逸らすことができればベストだ。
果たして、痛みに身を捩るセノディアには目もくれず、投げ捨てられた『箱』を拾いに走る。立ち上がるのすら億劫なほどの傷を負っている、これだけ痛めつけたならいつでも始末できると踏んだのだろう。目論見通り、スヴェンは『箱』を優先した。
「どこだ~……? っと、あったあった」
草木をかき分けて探し、土の上に投げ捨てられた『箱』を手に取った。
セノディアの動向を一部始終見ていたスヴェンは、『箱』がこの空間に関する重要なファクターだと薄々勘づいているため、彼の眼には、『箱』が金の引換券としか見えていないのだ。
その金に目が眩んだ欲望が、彼の破滅への序曲になることも知らずに――――。
(ふーん、封蝋がされてんのか。触り心地は木箱っぽいが、貴族様の紋章っぽいからやっぱり金になりそうだな……。しかし……何だ……こいつは……)
『箱』を手にした瞬間、その瞳は黒よりも深い深淵を映した。
(吸い込まれるような……闇……。見たことがない、どこまでも深い……黒い……闇……深淵……。この闇は危険だ……! 本能がヤベェっつってる!! 『箱』を……!)
もはや禁忌に触れた彼の脳内は――――
(『箱』を……手放す……? 馬鹿な……危ないから――――『箱』を――――)
「――――『箱』を、守らなけりゃあな」
『箱』で埋め尽くされていた――――。




