熊だクマー(3)
「ガアアアァァッ!!」
またしてもアストレイベアは突進。対するセノディアは周囲に視線を配る。自分が避ける先に邪魔な木が無いか、避けた先をアストレイベアがすぐに追って来られる地形か、最初にぶん投げたアレに近いか。
今度は真正面から受け止めるようなマネはしない。身の軽さを生かした、回避行動の前兆を見せる。
先ほどの突進に、彼はある光明を見出していた。『思っていたよりも動きが鈍い』のである。普通ならば、戦闘向けのマスタリーを持たず、尚かつ屈強とは言い難い体つきから、真正面から突進を斧で迎え撃つなどというのは無謀であった。
それでも彼はやってのけたし、何よりも今こうして立ち上がれている。彼が想像していたよりも、遙かに動きが鈍い。何が動きを鈍くさせているのかまで考える余裕はないが、いずれにせよ、アストレイベアは本来の力を発揮できずにいるのだ。
(……やってみるか)
ならばこそ、もう一つ彼が脳内で描いた理想の図式が、もしかしたら現実にできるかも知れない。次の回避行動を、単に避けるだけで終わらせるつもりなど毛頭無かった。
「ガオォォ!!」
「ハァ……ハァ……」
(まだだ……)
先ずはギリギリまでアストレイベアを引き寄せる。遅すぎても早すぎてもダメだ――――。
「オオォッ!!」
「ハァッ……ハッ……」
(まだ……)
アストレイベアの振動が地面を伝わる。それでも動かない。さっきのカウンターよりも更に、更に深く、より間合いを詰めなければ――――。
「ハッ……! ハッ――――!」
「ガルアアアアアアアァァ!!!」
アストレイベアの荒い鼻息が顔面に届くほど近づき、素早く前足を振り上げた瞬間セノディアは動いた。極限まで練り上げた集中力を存分に発揮した。
(――――今ッ!)
アストレイベアから見れば、目の前のセノディアが視界からパッと一瞬で消えた。手品か、はたまた魔法か。いいや、彼の技術と覚悟が上回ったのだ。
振り下ろされた爪が服を掠りはしたが、ギリッギリの距離を横っ飛びで避けることに成功した。
「――――ッアァッ!!」
更に、セノディアが地に落ちる直前、彼のナイフが空を一文字に切り結んだ。彼は避けると共に、逆袈裟斬りの要領でクロスカウンターを繰り出したのだ。
ナイフのリーチの短さからギリギリまで待たなければならないが、少しでも間合いを違えれば無防備な自分の体を爪が引き裂く、決死のチキンレース。また、幾ら集中力が極限まで高まったとはいえ、一つ前で受けた突進のダメージによる体のガタも計算に入れなければならない。
寸前まで引きつけておいて、足が震えて動きませんでした、腕が痺れて上がりませんでした、ではパーティメンバーに会わす顔がない。失敗したら会わせられないのだが……。
運否天賦などない。
赤狐狩りで蓄積した疲労・疲弊、突進を受け止めた代償の怪我、全てを計算尽くでしなければ破滅必至のチキンレース。
そのレースの勝敗は――――。
「ガアアアァッ!」
「ッシャァ!」
――――セノディアに軍配が上がった。
「グガアアアァ!!」
ギリギリまで待った甲斐もあり、アストレイベアが振り下ろした腕を深く、深く斬り付け、飛び散った真っ赤な鮮血が深緑の大地を汚した。
たった二度の競り合いだが、初めて傷らしい傷を負わせ、セノディアはようやく精神的に優位に立つこととなった。
だが、まだ戦闘そのものは終わっていない。
セノディアが避けた先は、地面が転がっても大丈夫な柔らかい土。セノディアはすぐに立ち上がる。アストレイベアもまた、裂かれた前足の一本など気にも留めず一直線にセノディア目掛け、傷の付いていない前足の方で裏拳を繰り出した。
「グルアァッ!」
「早ッ――――」
当然、セノディアは腕をクロスさせてガードする。爪でもなく、牙でもない。一撃ならば耐えられるハズ。そう目論んだガード。実際、転んで立ち上がってまたすぐ避ける、なんて芸当はできない。というか、先ほどまで練り上げていた集中の糸がプツリと切れたのだ。
それは、狩られる側のセノディアが、狩る側のアストレイベアに一矢報いたからだ。言うならば『見返してやったぞ、どうだ!』、そういう理不尽に立ち向かう反骨精神の感情。それが戦闘の緊張の糸を弛めた、弛めてしまった。だから、彼は防御した。
「イッ!」
そう、最初の突進を受け止めた腕で。
声にならない声をあげ、セノディアはまた吹き飛ばされた。速度や質量は突進に劣るため、さほど飛ばされはしなかったが、それでもセノディアにとっては、最初の突進よりも堪える裏拳であった。
幸いにも、ガードした腕には籠手が付けられており、これまた腕が使えなくなるほどのダメージには至らなかった。だが、それは剰りにも重すぎる一撃だった。衝撃を防具で分散したものの、受け止めた腕はミシリと軋み、腕の骨が砕け散るような感覚に見舞われた。
「ッてぇなクソがよォ!」
続けざまに二度も吹っ飛ばされたセノディアは視界が二転三転し、殆ど平衡感覚を失っていた。
それでも彼は立ち上がる。目はチカチカするし、体が軋んで悲鳴を上げているがおくびにも出さずに、逆に闘争心を剥き出しにした。
フラフラとした覚束ない足取りだが、目はギラつき、ナイフを握る手に力が入る。脳内から出るアドレナリンに身を任せている状態だ。
しかし、窮地に追いやられても彼の思考は至って冷静で、この虚勢を張る素振りも計算の内であった。
もしもそのまま倒れていればアストレイベアは必ず、迷い無くトドメを刺しに来るだろう。だから、彼は腕が引きちぎれるような痛みを押し殺してでも、立ち上がるしかなかったのだ。
この虚仮威しが効いたのか、アストレイベアは精神的に気圧され、本能的にセノディアから距離を取る――――。
「グガアアァ!!」
――――ハズもなく、逆に好機を逃すまいと距離を詰めた。アストレイベアは立場の有利を手放すほど、臆病者ではなかった。と言うよりも、愚直に、直向きに、ただ目の前の敵を仕留めることこそがアストレイベアにとっての矜持。この種のモンスターは総じて相手の出方など伺わない。
常に攻め、常に攻め、常に攻める側なのだ。守備に徹するなど、それは最早アストレイベアに非ず。そのプライドを、本能をセノディアは知らなかった。
「うわマジか、マジかぁ……」




