議場-011 窓の外に巨大な龍がいる
第一皇子は、衛兵が離れたのを見て、とっさに偽バイローンに手を伸ばした。
一泊遅れて偽バイローンの腕をつかんだのだが、偽バイローンは早かった。口が空いた途端、
「見よ! 窓の外に巨大な龍がいる。窓いっぱいが顔になっている大きな龍だ!」
と大声を張り上げた。ひぃっと息を飲んだ声がした。がたがたっと窓際の衛兵たちが武器を手に腰をかがめながら、サテンを引きずって議場の入口へと下がりだす。サテンに馬乗りになり、議場と第一皇子を見ていたバウンが膝で滑り降りながら、怪訝な顔で振り返る。と、バウンは恐怖の悲鳴を飲み込んだ。巨大な龍が窓にはりつき、人ひとりが立って入りそうな程の大きな目が、回廊の中を覗き込んでいた。
「そうだ龍だ。龍が見えるか。見えるだろう。警告をしなければ、大声で警告を!」
と言う偽バイローンの声が聞こえる。バウンはサテンから落ちるようにして身を伏せる。とサテンの頭に額をぶつけた。気が付くと、さらに大きい気配がバウンの下にあった。バウンは恐怖に声も無かった。熱湯に触れたかのように、サテンから飛びのいた。窓の龍などへでも無かった。自分の下になった、何か良く分からない巨大な気配の前では、どんな恐怖も、全く、怖いとは思えなかった。
しかし、議場の中からは、人が次々に顔を出しはじめていた。廊下近くにいた侍従は偽バイローンの声を聞いた途端、窓を見ながら腰を抜かして、議場の中へ腰でにじりながら戻って行った。儀礼兵は槍を掲げて、廊下へ踏み出そうとしていたのだが、その場で固まり窓を見て身動き一つ取れなくなる。構えた槍をどうしても右へも左へも動かせなくなっていた。巨大な龍の目はびくりともせず睨んでいる。今、我を忘れて突きかかれば、薄い窓など粉みじんに吹き飛ばして、龍が突っ込んで来そうだ、と感じた。議場の奥から皺深い声が、
「兵への指示は出し終えた。まずが軍議に入る。みなもの、静粛に!」
徐々に、ゆっくりと周囲を見ながら、入口から出て来たのは商家の者達だった。内乱がはじまる。戦争が始まる。ペルシール地方への軍備に、いったいどれだけの物が高騰しだすか。今すぐに街に戻って買い占めをして、戦に備える、と言う意志で、飛び出して、のどの裏で悲鳴が上がった。何かが異様に怖かった。
「龍だ! 巨大な龍がそこにいる!」
と言う偽バイローンの声に、商家の者達は、「そうだ、龍だ」と思い出す。窓の外に恐怖があった。だから、怖い、その恐怖だ、と思い始めた。バウンが離れたサテンの方が怖かったように思えたのの、ほんのつかの間。入口に集まって来た人々は窓を見上げて動きを止めて、震えはじめていた。徐々に、議場の中までも、声が消えだし、偽バイローンの声が、隅々まで響き渡った。
「龍がいる。怒りの龍がここにおられる。いらっしゃる。見てみるが良い、この大きさを。考えてみるがいい、この気高さを」
そう言った後、偽バイローンは第一皇子を見つめる。口の中で小さく、
「龍はいないと言って見るかい?」
と忍び笑うように言った。それを受けて、第一皇子は素早く、
「龍はいない。この窓の向こうには龍などいない!」
と怒鳴ると、人々が再びざわめきだした。
「今日の陛下はどうかしておられる」
とつぶやいたものもいた。そして、また、
「陛下はあれを見たくないのではないか?」
「そんなはずがあるものか。王族は龍の血筋ぞ」
「しかし、あの大きな、恐怖の目を見よ」
と言いながら顔をそむけるものもいた。
「陛下じゃない。私は第一皇子である。龍はいない。存在しない!」
と言うのだが、その言葉には響きが足りない。偽バイローンはせせら笑った。それから厳しい声を出し、
「反乱がある。ペルシール地方への大反乱だ! ララルーア様の臣下がわざわざ駆け付けたほどの大反乱だ! 陛下のご指示だ、軍議を始めよ、そうおっしゃっている!」
と言うと、第一皇子の、
「嘘である。反逆者はこの者だ」
と言いきる前に、偽バイローンへ飛びついた。しかし、その動きを衛兵が剣の柄とせき止める。
「陛下、洗脳の偽龍はあちらでございます。反逆者はあちらです。すでにとらえておりますぞ」
「違う! 私は陛下じゃない。第一皇子だ。そして、バイローンこそが反逆者だ!」
と言う第一皇子へ向かって、偽バイローンが、
「ですから、一部の真実が、全ての信頼を作りだしているのでさぁ」
とつぶやいた。
「龍はいる。本当にいる」
バウンは、しゃがんだ姿でサテンからじりじりと離れながら、低く小さくつぶやいた。




