議場-005 王はここにはいない
低い声は、穏やかないつもの偽バイローンの声ではなかった。
高圧的で皇子に対する礼儀はない。
「アントラックが交渉に行ったと思ったのだが」
と言ったのはサテンだった。偽バイローンは振り返って毒々しい笑いをして見せた。
「金で片付けようとする者と話すいわれはない」
「王はここにはいない」
サテンの言葉に、偽バイローンは苦い顔をして言った。
「サテン・チェシェの名を名乗りながら、王族の肩を持つとは何だ! その名が泣く。自分の名を名乗れ。我らが英雄の名を返せ」
「私の名前だ。英雄の名ではない」
しれっと言って、サテンは続けた。
「それで、アントラックはどうしたのだ? 切り捨てたのか?」
サテンは刀を眺めて問いかけた。偽バイローンは首を振って、
「無駄な血を流すようなことはしない。おまえは少し黙っていろ。どうせ、われわれとは関係ないのだからな」
と言いながら、サテンの目を覗き込んだ。
「いいな。このまま、廊下で立っていろ。何も特別なことはなかった。おまえはすべきことをしているだけだ。廊下へ出ろ」
サテンは偽チェラックの目を見つめていた。
「ほら、向こうだ」
と偽バイローンが手を上げる。するとサテンは手のほうを見た。廊下の方へ視線が動くと、偽バイローンがさらに言った。
「向こうだ、行け!」
と。サテンは黙って廊下に向かって踏み出した。
第一皇子は黙って二人のやり取りを見た。サテンが動き出すと皇子は静かに立ち上がった。皇子の目は見開かれていた。信じられないと言う顔だった。世の中には、人を洗脳する力がある、と言うのは聞いていた。それをサテンが持っているかもしれない、とも思っていた。そして、サテンが持っていたのなら、不思議にも思わずに素直に信じた。そのくらい、サテンは不思議な雰囲気を持っていたのだ。そして、第五皇子を操ったと聞いた時も、サテンならやりそうだと思ったくらいだ。しかし、普通の人間ができるとは思ってはいなかった。それを、この偽バイローンがやすやすとやってのけた。しかも、サテンを操った。どこか、サテンに失望していた。操られたと知って、裏切られたような気持になった。それが、皇子を驚かせていた。
皇子は、驚きの表情がから用心深い表情へ、表情を変えた。ゆったりと、しかし間断なく動き、偽バイローンと自分の間に小机が来るように場所を変えた。表情は硬かった。議場では、人々が声高に言い合いをしていたのだが、次第に声が途切れだす。ボックス席の異様な様子に議長が気づき、注意がそれた。それを見て、議場の男達が一人二人と、第一皇子の異変に気付きだす。
「第一皇子殿下。玉座の間へ、殿下が来ていただけなかったのは残念です」
偽バイローンは語りかけた。偽バイローンは、背で扉を閉め、机ににじり寄るように半歩よる。
「お前は誰だ」
皇子は聞いた。
「バイローンでございます」
「本物は別にいる。おまえは誰で、なぜ、そこにいる」
「今は、バイローンでございます。他の誰でもありません」
「本名を言え! でなければ、これ以上の会話はない」
と皇子が言うと、偽バイローンは立ち止まって動きを止めた。
「そこから議場へ出ようとなさらないでください。玉座には第五皇子がおいでです。あなたが逃げれば、第五皇子の身が危ない」
「忘れているのか? 王位をかけて競っている。これ幸いと動くかもしれないな」
「あなたは動いたりはなさいませんよ」
「知ったようなことを」
「もちろん、わかっているからでございます。牢のバイローンを本物だと信じなさるほどです。お人がよい。よくぞいままで生き抜けたと思うほど、人がよすぎるのでございますな」
議場はしんと静まり返っていた。廊下の兵に声をかけようとそっと外へ出ようとした者がいた。が、偽バイローンが、
「何でもない!」
と叫ぶと、不思議なことに男は何をしていたのか忘れたかのように動きを止めて、元の席へ戻って行った。
「もう、うすうすご存じでございましょう。私の言葉には力がございます。あの、ララルーアの龍が従ったように、全ての者が私に従うのです」
「ならば、私もさっさと従えさすがよい。踊れと言われれば勝手に手足が動くのだろう。さあ、早く命じてみよ!」




