子龍-007 アントラックはゆっくりと顔を上げる
アントラックはゆっくりと顔を上げる。
そして、サテンを見る。彼らから離れたところに立つサテンは、軽く腕を組んでいる。先ほど牢を抜け出したばかりだとは思えない程落ち着いている。
「ララルーア殿が連れて来た龍は、暗示の力があると言う」
とアントラックがつぶやいた。第一皇子がはっとして顔を上げる。
「バイローンは第五皇子についた。サテン・チェシェは、偽物と見破られ、牢へ落とされ、その審議は下された。バイローンこそが龍だ、と言う事になる、この時に、サテン・チェシェが再びあらわれ、あのバイローンこそが偽物だ、目の前のこれが本物だ、と言いだしたわけだ」
アントラックの声には馬鹿にしたような響きがあった。こんな単純な暗示にかかる方がおかしい、サテンの暗示なぞ見破っている、と言っているかのような声だった。
「なら、俺の罪はなんだ?」
そうしわがれ声を出したのは、ソファーであおむけになってほとんど反応していなかったバイローンだった。
「王宮だ、王城だと言われて、綺麗な部屋に通されて、気づいた時には、牢へ連行されていたんだ。この俺の罪状は? あるって言うなら教えてくれよ」
苦々しい声だった。アントラックは視線を落として、ソファーを眺めた。
「そう思わされているだけだ」
とにべもない。しかし、バイローンはかすれた声で、淡々と、
「牢からここに、時を止めて運ばれた。俺はそうだと信じてる。でも、これも暗示の力だって言うのか? 牢からここまで、悲鳴も上げずにここに来れたのも暗示の力か? それとも、俺は、痛さに悲鳴を上げ続けながらここに来たのに、暗示の力でそんな事は無かったって思っているのか? 城の廊下を通る時に見た官吏や女官達も、みんな暗示にかかって俺の悲鳴なんか聞いてなかった事になったって言うのか? 俺をここで本物だって訴えさせるために、城中の人間を暗示に掛けたって事か?」
そう言ってから、細く音が出そうな呼吸をした。それから一言、
「そこまで暗示ができるなら、そこの男が龍だって城中に暗示をかければいいだけじゃないか。わざわざ俺を連れてくる必要なんかない」
そう言って、のどに何かが絡んだのか、詰まったような息をして、口をつぐんだ。アントラックは黙り込み、誰も声を上げれなかった。
「サテン・チェシェ、なぜここに来たのです?」
そう聞いたのは、第一皇子だった。
「龍の下に、龍が訪うただけだ」
とサテンが答えた。第一皇子が苦い顔をした。しかし、それを聞いたアントラックが、
「ララルーアの龍は、龍だと言う設定を曲げないか。よほどの物が掛かっていると見える」
とつぶやいて、肩が凝ったように片腕を回しだした。第一皇子がため息をついて、ソファーの前へ廻る。バイローンを見下ろして、顔をしかめる。あまりの怪我に、これで廊下を歩いて来たと言う事の方がありえない、と言う顔をした。しかし、第一皇子は何も言わずに、疲れたように向かいのソファーにどっと腰掛けた。それを見て、女官達が慌てたように、お茶の支度をしはじめた。ミラーナは侍女に手を引かれ、テーブルの脇の椅子を引いてもらって腰かけた。侍女が何くれとなく世話を焼きはじめていた。サテンは窓近くに立ちつくし外を見ていた。
「して、どうやって、牢を抜け出したのです?」
アントラックの声には、再び疑惑の色がこもる。しかし、怪我人のソファーのひじ掛けに腰を掛けた姿は、微塵も緊張が無く、襟を気にして指で撫でて整えている。
「登って抜けた」
とサテンは少し面白がるような声を出した。アントラックに興味が出て来たようだ。
「ほぉ。あの地下五メートルはある縦穴を登って抜けたとおっしゃる?」
「土壁だ」
と答えると、アントラックは、
「入口は、敷石にボトルが止まり、入牢と共に、固められる」
「固まりきらなかったのだろう」
「牢番でさえも開けれぬ穴の格子戸を、開けて出られた」
「南京錠があったようだ」
と嘘か本当か、サテンがさらりと答えると、アントラックは息を吐いて、
「時間を止めて、とは?」
と簡素に聞いた。片足の膝に肘をのせて前へ乗り出すような恰好だった。手は顎に、考え込むようにサテンを下から眺めている。サテンは、口の端をちょっと上げた。が答えない。バイローンが、
「なにもかも、止まってた。宙を走る小さな官吏も。ポットから飛び出た茶しぶきも。紙なんか空中で固まっているように見えた」
アントラックは面白がるように、バイローンに教えてやる。
「バイローン。おまえは知らないかもしれないが、このサテン・チェシェと名乗る男は、龍としての証を出せたら、ペルシール地方を貰えるのだよ。あそこを領土として拝領することになっているのだよ」




