子龍-004 聞くに堪えない悲鳴が上がった
部屋の中では、固まりになった空気の奥に、第一皇子がミラーナの肩を抱くように話しかけていた。
侍従が廊下に出ていこうと右手で扉を抑えた姿で固まっている。女官の一人が、ショールを広げてミラーナに近寄ろうとしているようだった。起きぬけの薄着のミラーナを気遣って、ショールは房が跳ね上がった形で止まり、慌てているのか小走りなのか、女官の前髪がたなびいている。静まり返った第一皇子の広間だった。そんな中、サテンは、腕をつかんだバイローンをソファーにそっと座らせた。足をあげ、楽な姿勢にしてやった。そして、
「痛いぞ」
と断ると、唐突に時を戻した。
第一皇子が驚いたように目を見開いて顔を上げる。気がつかないミラーナが、第一皇子を見上げる。女官がミラーナの肩にショールを巻いて、侍従が廊下へ飛び出そうとし。その瞬間。バイローンの口から、聞くに堪えない悲鳴が上がった。痛かった。痛いぞ、と言う断わりなんか目でないほどの痛さが襲った。悲鳴は、どこまでもいつまでも響いて続く。バイローンは痛さに物も見えず、声を出していることさえ分からない。廊下に出かけていた侍従が、ソファーに気づいて飛び込んでくる。皇子自身は、ミラーナをかばうように後ろへかばい、ソファーから一歩下がる。ミラーナにショールを巻いた女官は、そのまま、ミラーナの肩を守るように抱きしめて後じさる。しかし、バイローンには分からない。それよりも、痛さに身をよじり、再度跳ねるようにのけぞって、そこで声がぱたりと止んだ。気を失った。サテンは憐みを顔に浮かべた。男の顔は、土だらけで青白く、肉もなく骨と眼孔と髭と汚れで泥人形に見えた。口を半ば開けたまま、苦しい息遣いが聞こえてくる。第一皇子は、驚いた顔でその男を見ていたのだが、すぐに、
「医師を呼べ。私付きの医師だ。王宮の医師達には分からないように呼べ」
と指示を出した。侍従が慌てて、部屋を出る。それから第一皇子は戸惑ったような顔で、サテンを見た。
「地下牢へ入れられた、とお聞きしました」
「そうだ。その牢の隣人だ」
「また、なんで」
と言ったまま、皇子はソファーの男を見て言葉を止めてしまった。あまりにひどい怪我や姿に言葉が出ないようだった。サテンは、
「三か月ほどいたようだ」
「まさか、三か月でここまで…」
「あまり、過ごしやすいところでも、希望を感じるところでもないのでな」
とサテンが言うと、皇子は唇の端を噛んだ。そして、向きを変え、サテンへ向き合うと、
「なぜこちらへ? この男を連れて?」
と皇子が聞いた。詰問するような声音だった。サテンは考えあぐねたように、ソファーの男を見下ろした。他に、この男を連れていける場所がなかったのだ、と言うのがその視線でわかったらしい。
「これは誰です?」
と聞きなおした。サテンは、
「バイローンだ」
と言ったまま黙り込んだ。第一皇子は驚いた顔で見下ろした。ミラーナが、ぽつりと、
「この方が、カエランラ殿の龍?」
とつぶやいた。第一皇子は驚いてミラーナを振り返る。ミラーナはショールを巻きつけ、女官の腕の中からこわごわソファーを見つめている。けがが怖いのか、姿が怖いのか、わからないのだが、顔には恐怖が浮かんでいる。
「でも、今朝方、第五皇子と共に陛下の下へ行かれたのでしょ? 本物の龍だったってお話でしたわ。あのカエランラ殿の龍こそが、本物だったと言うのでしょう?」
悔しそうな声を出そうとして失敗している。茫然として、驚きばかりで、どう反応して良いのか本当のところ分からない、と言うようだった。
そこに、侍従が医師を連れてきた。ソファーの姿を見るなり、第一皇子とミラーナに部屋を出て行くように告げた。見ていて気持ちのいいものではない、と判断したようだった。見苦しい姿を貴人に見られるのは、民としては辛いものです、と軽く言って、上手に追い払ってしまう。




