皇子宮-012 皇子に龍の話をする必要もない
カエランラが低く言う。
「傍に近寄る必要はない。テラスの傍に簡易ベットを用意させた。おまえはそこに横たわって朝が来るのを待つがいい。皇子は好きな場所で朝が来るのを待たれるだけだ。朝日が昇れば、係りの者の声が聞こえるようになる。おまえは、それから共に食事をして、バイローンと入れ替わって第一皇子のもとへ戻れ」
彼は、テラスの外に立ったまま、奥へ目を向け淡々と話した。カエランラの言葉の通り、テラス寄りのガラス扉の下に、板と枠に布を張っただけのベットが置かれていた。さらに、言う。
「龍だと証明しようとする必要はない。また、皇子に龍の話をする必要もない。皇子の呟きが耳障りなら、別の部屋にベットを用意させてある。テラスに出て、外階段を降りて下へ行け。案内の者がいる」
サテンは、カエランラの親切な説明には答えなかった。その代り、別のことを言った。
「いつもこうなのか?」
「少し良くなられたそうだ」
「もっとひどかったのか? どんな風に?」
「奇声を発し続けて、疲れて気絶するまで、おやめにならなかったらしい」
「らしい、と言うと? おまえは知らなかったのか?」
「ほとんどすべての人間が知らなかったのだよ」
カエランラは疲れた声だった。
「これが龍の血のせいだと言うなら、龍がなんとかできるのだろう。おまえが龍だと言うなら、なんとかしてほしいものだ」
「サテン・チェシェは龍ではない」
「どちらでもいい。あの青年が、少しでも穏やかになれる方法があれば良いと思っているだけだ」
「穏やかになる方法か」
サテンは言って、口をつぐんだ。何か考えあぐねているようだった。しゃがんだ青年は焦点が定まらないまま、身体を前後に揺らしている。後ろの書棚に時々背中をごつっとぶつける。痛さを感じていないらしい。カエランラは、話を続けた。
「階下へ行けば何でもそろう」
と説明した。
「寝苦しかったら、下で酒でもすれば良い」
とまで言った。身動きしないサテンをしばらく見つめて、
「それでは、明日の朝に」
と、背を向けた。サテンは、それを待っていたかのように、奥に向かって歩き始めた。風が動いた。部屋の中へ大きな何かが流れ込んだ。カエランラはそんな風に風を感じた。足を止めて振り返る。すると、サテンが、ちょうと膝を抱えた皇子の前に、片膝をついてかがみこもうとしていた。カエランラは慌てた。
「おい」
と低い声で言った。しかし、距離があった。声が届いていない、と思った。カエランラは、舌打ちをして、中に入るろうとした、が、一瞬、迷った。皇子の目が見開かれて、恐怖が映った。怖がらせたくない、と言う思いが動きを止めた。その隙に、サテンは皇子の肩に手をかけ、
「芝いはやめろ」
と肩をゆすった。とたんに、皇子の口が開いた。目に血走ったような色が浮かんで、空気が喉から絞り出された。カエランラは飛び込んだ。が、遅かった。皇子は喉の奥から糸のような空気を出して、絹のような声を出し、夜空に響き渡る悲鳴が上がった。カエランラが何か怒鳴って、サテンの肩をつかんだ。しかし、軽く片手で払われた。サテンは、皇子の肩に両手を置き、血走った目を覗き込む。
「芝いは無駄だ。うるさいから黙れ」
「おい!」
とカエランラがサテンを怒鳴って、腕を掴んで立たせようとした。しかし、サテンはそれも軽く振って払う。そして、皇子に、
「龍の子なら黙れ!」
と怒鳴った。皇子の口が、大きく開け放たれたままで、目を宙に据え、息が出尽くすところまで声を出す。カエランラが、
「皇子。大丈夫でございます。皇子。落ち付いて。サテン! おまえは、何をしているか分かっているのか? そんなことをして正気に戻るくらいなら、とっくに正気に戻っているんだ!」
そう叫びながら、サテンの腕を掴み挙げた。今度は、簡単に腕をつかめた。そこから、後ろへひっくり返すように引っ張り、
「衛兵! 衛兵、私が許可を出す。中へ! 皇子の居室の中へ入れ!」
と声を響かせた。サテンは、カエランラに腕をつかまれ片腕を上へ引き上げられた格好で、悲鳴をあげて眼を見開いたままの皇子に言う。
「龍だと証明したいのなら、悲鳴は止めろ。龍なら私の命令に従え!」
とサテンが言い放った。
「ばかか、おまえは!」
カエランラは怒鳴った。片手で、衛兵に合図を出して、サテンの腕を手渡した。
「何度も、何度も、本当におかしいのか試している。おかげで、こうやって、部屋の隅でなければ安心できないところまで追いつめてしまったんだ」
「誰が、そこまで追い詰めたのだ?」
「おまえへ言うようなことではない。衛兵!」
という声とともに、サテンは、引きずられるように皇子の前を引きはなされた。




