皇子宮-010 自分は人間なのだから
テーブルセットがある方へ、二人でいっしょに歩き出す。
ミラーナは、おしゃべりを続けながらも、しっかりと皇子の手を握り返していた。絶対に離さない、と言うように握りしめていた。大きな不安が湧き上がる。ミラーナには理由が分からないのだが、皇子の不安が手の中にあるようで、必至になって手を握り返していた。大丈夫、と伝えたくて。自分がついているんだから、と言いたくて。皇子が、握っている手を同じくらいしっかりと握り返してくれるので、ミラーナはしだいに安心していった。皇子も、何とかなる、自分は人間なのだから、と言うように、自分を安心させていった。
サテンは、その後、前合わせの簡素な服に着替えた。サテンの軽装を見て、ミラーナは、これだから殿方は、というため息をついた。しかし、すぐに気持ちを切り替えたのか、しっかりした声で、
「妙に飾り立てて見えを張ろうとするよりましですわ」
と堂々とサテンへ言った。これは、サテンへの慰めの言葉だったらしい。サテンは考えるような顔でミラーナを見下ろしていた。
皇子の大広間では、サテンが、ソファーにごろりと横になっていた。ララルーアの屋敷でしていたのと同じように怠惰な姿だ。大きな窓から、外の明かりが入る。ミラーナは、サテンへ何度か話掛けたのだが、ほとんど返事が帰って来ないので、途中で深いため息をついて部屋へ戻って行った。昼の光が西日に変わり、やがて夜空の星の瞬きに変わるころ。サテンはうつらうつらしながら、ぼんやり広間の奥を眺めていた。大広間の奥に廊下があった。廊下の奥に、両開きの扉があった。第一皇子の執務室の扉で、広間からはよく見えた。昼からいろいろな人が出入りしていた。業者のような街の者もいた。挨拶に、土産を抱えた従者を連れた貴族もいた。暇乞いの挨拶に来た領主もいたし、誰もが、緊張の面持ちで扉の前に立ち、扉が開くとほっとした顔で中に入った。彼らは、出てくる時には、怒っていたり、考えこんでいたり、そして、中には喜んでいたりといろいろだったが、廊下に出て、顔をあげ、サテンを見つけてぎょっとした。寛ぐサテンは、獣のように動かない。じっと人を見据える瞳は、逆光の影の中で光ってみえた。
「龍のようだ、と言えそうだ」
日が暮れて、そう言って広間の中につかつかと入って来た男がいた。ボルト・ネット・カエランラ、当主の方のカエランラだった。恰幅の良い体格で、厚手でなめらかな生地のマントを肩からまとい、柔らかい革のブーツを響かせて。片手でマントの端を掴んで、堂々と踏み込んでくる。サテンは、月明かりのなか、広間のソファーで、ながながと横たわり、ひじ掛けに顎を乗せていた。身じろぎ一つせずに、近づく男を見る。男の太い眉も、頬に刻まれた大きな皺も、堂々とした瞳がそのまま顔になったように見えた。
「我らの皇子はいかがかな?」
カエランラは、ソファーの脇に立つと見下ろしながら言った。サテンは、ごろりとひじ掛けの上で身体を返えす。頭の下に腕を入れ、冷めた目で男を見上げる。それを見て、カエランラが目を細める。
「すごい目をする。さすがは、ララルーア殿が見つけてきた男だ。人間離れした雰囲気がある」
「何用だ?」
「仕事の時間だ」
「何の仕事だ?」
「第五皇子へ仕える時間だ」
「おまえの龍がいるだろう」
「バイローンは、こちらへ来る」
「もう、夜だ」
「それがどうした? 陛下は、龍を交互に皇子へつけよと仰せだ。忘れたのか?」
サテンは、カエランラを見上げたまま、動かなかった。
「あいにく、眠い。夜だしな」
「第五皇子に、眠る許可を頂いてみるのだな」
「おおかた癇癪を起させるような事をして、近くにいられなくなったのだろう」
サテンはそう言って、身体を起こした。しかし、カエランラは喧嘩を買ったりはしなかった。ただ、
「第五皇子はお疲れだ。きっと、おそばに行っても何もすることがないだろう」
そう言って、深いため息をついたのだった。




