皇子宮-007 昔からある龍神祭を復活させた
「また、サテンか」
と思ったところで、チェラックは混乱した。龍と名乗って王宮に乗り込んできた男の名前がサテンで、遠くペルシール地方で龍神の祭りをしようとした者たちが、英雄だ、龍神だ、と言っているのもサテンであった。それほど有名な名前を偽名にしたと言えばそれだけのことなのだが、龍神、つまり、神だと言ってしまえば、サテンは王の上だと言っているようなものだ。サテンと言う名で乗り込んできた男の立場を危うくする。これまで微塵の出ていなかった名前が、このタイミングで出て来たわけは、サテンを追い落としたい人間がペルシール地方に居る、と言う事だろうか、と思ったところで首を傾げる。それほど、サテンが王宮で重要な立場になったと思っていると言う事か、と言うと、いささか早すぎるような気がした。
昼に王に龍の審議をすると言われて、その夜だ。ペルシール地方を貰ったとはっきりしたわけでもない。そう考えていると、薄っすらと笑ったバイローンが、チェラックの手から書簡をするりと抜き取った。チェラックは顔をしかめてバイローンを見た。しかし、そこで、チェラックは不思議な事に身じろぎ一つしなくなる。石で固めたような不自然さだ。バイローンの口から、細くはずれたような音が漏れ続けていた。よくよく聞くと、言葉が聞こえる。
「昔からある龍神祭を復活させただけでさぁ。めでたい、めでたい、ほっとけほっとけ」
そう囁き続ける。チェラックが首を左右に振ると、バイローンはさらに、
「豪族たちが、めでたい祭りをしはじめて、ララルーアから圧政の憂さ晴らしをしているだけでさ。龍神が護ってくれる、そんな世界はめでたし、めでたし。幸せでさぁ」
と囁くと、チェラックは不思議な事に、
「ララルーアの圧政除けにはちょうどよかろう」
とまるで自分が考えたことの様に、バイローンに話しかけた。
憂さ晴らしが必要なほど圧政が続いていると言う部分にも、なぜ今この時に龍神祭の復活なのかと言う部分にも、まったく気づいていないかのように、安心した、と言うように口元を緩めて見せた。凡庸さとはかけ離れているように見えたと言うのに、この時には何も考えられなくなったのか、目に霞が掛かったかのような瞳が見えた。
それを見て、バイローンは下唇をぺろりとなめた。バイローンの瞳孔の開いた目は表情が見えず、不気味に見えたのだが、侍従は廊下の端へ離れてしまっていたし、第五皇子も見えたとしても気づかなかっただろうが、実際は影絵に夢中でバイローンとチェラックには見向きもしていなかった。バイローンが、くるっと丸めた書簡を片手でぽんっと叩いた。すると、チェラックははっと顔を上げて、バイローンを見た。それから、いかめしい顔で、
「そろそろ第五皇子の方へ戻れ。少しはまともな人間になるようにしなければな。しっかりした心を植え付け、ララルーアを嫌わせる。そうさせる為に、おまえを呼んだのだ。この皇子が、ララルーアの言いなりになるようであれば、この先どんな面倒毎を抱え込むことになるか」
そう苦り切った声でいった。バイローンは、長く伸びた影を見ようと首を伸ばす皇子を見つめた。
「そりゃ、嫌わせるのは簡単でさぁ。ただ、しっかりした心ってのは、言うは安しで、行うは難し。それに、まともな人間ってのは、それがどんな人間か、知っている人間がどんだけいるか、聞いてみたいもんですがね」
と肩をすくめた。
チェラックは皇子に視線をやる事で、軽く無視した。壁の前に暗い目をした第五皇子がいた。伸びた影が、森の闇に消され始めると皇子の動きが速くなる。慌てたような、闇の怯えたような動きに、チェラックは舌打ちした。バイローンに皇子の側へ行け、と言うように顎を振ると、皇子から視線を外し、そのまま回廊を歩きだす。回廊から岩山の内回廊へ続く出口へと、第五皇子の宮の外へと向かって行った。
バイローンは、チェラックの背を見送った。日が陰り、本格的に影が消えると、一人取り残されていた第五皇子の息が細く速くなり、高く笛の音のようになる。足音が遠ざかるチェラックに聞こえているのかいないのか、声はだんだん高くなる。バイローンは、ため息をついて、
「殿下、それでは、今度はランプの光で遊びましょう」
と言って、第五皇子に近寄って行った。




