皇子宮-004 私どもの皇子は、気にいられましたかな?
そう言えば、とサテンは思い出していた。
これが、あの若いチェラックの実父か、と考えていた。あまり似ているようには見えない。それどころか、あのチェラックは、どちらかと言うと、義父のカエランラにそっくりに見えた。
アントラックは、王都にいる商人のようなふくよかさはなく、身軽で、フットワークが軽く、世界中どこへでも出ていきけそうな雰囲気があった。商人と言うより船乗りのような空気がある。それこそが、大商人たる証拠だったのかもしれないのだが、あまり似ていない二人だった。
その時、サテンは、アントラックと眼があった。その目は深く、商人の目と言うよりも、もっと深い、何かを探している目に見えた。サテンが見ていると、アントラックが唐突に、
「私どもの皇子は、気にいられましたかな?」
と聞いて来た。サテンが黙ったまま見返すと、
「陛下はあなたにペルシール地方をお渡しになるとお決めになられたとか」
と続けた。ミラーナが頬を軽く膨らませ、
「やっぱりご存じでいらしたのよ。龍を見に来たのだわ。嘘ばかりつくのですもの」
と言ってアントラックを睨みつけた。この声は結構、広間に響いた。アントラックは苦く笑った。だがそれだけで、
「殿下をお気にいられましたか?」
と再び聞いた。それは少ししつこいように思えた。サテンは、なぜだ? という顔をして、
「膝を折れ、と命じられた」
と軽く答えた。皇子は慌てた。あれは、つい、カエランラとのやり取りのついでで、いらだちと、カエランラへ見せつけたくなって、と言いたいことがあったのだが、言えるわけもなく。また、ミラーナの驚いたような目を見ると、視線を逸らすしかなかった。
「それは…。そうでしたか。それで?」
とさらにアントラックは聞いて来た。サテンは当然のように、
「無冠の者が、王の血筋に膝を折るのは臣下の勤め」
と言うと、アントラックは驚いたような顔をしたのだが、ついで、複雑なまなざしになり、
「冗談ではなく?」
「冗談ではなく」
サテンが答えると、アントラックの姿勢が伸びた。裾を引っ張るようにして襟を伸ばすと、首を左右に振って、唐突に、
「そろそろ、お暇を」
とつぶやいた。それから、ぐるりと見回して、
「ボホ木の言い訳をしに、陛下へ報告をしにまいらなければなりません」
と言い足した。その唐突さに、聞いているサテンはもちろん、皇子も、ミラーナも、そして、聞いていないはずなのだが耳を傾けていた女官達も驚いた。アントラックは、皆の視線を受けて、苦く笑って、
「いえ、さすがに、あまり言い訳造りの時間稼ぎをしていると、ボホ木の言い訳をしようにも、するタイミングがなくなります。そうすると、本格的に陛下の不興を買いかねません」
「あなたが、陛下の不興を買うことがあるとは思えません」
と皇子が真面目な顔で答えると、アントラックは首を左右に振りながら、
「ご存じかと存じますが、あの陛下ほど、不興を上手にご利用なさる支配者はいらっしゃいますまい。まったく、商人をどう扱ったらいいのか、知りつくして居られると言うか、商人以上につらの皮が厚くていらっしゃる、と言えばいいのか。いろいろ言いたくなるようなお方でして」
と品位を下げるような言い方をして、本当の深いため息をつく。そして、驚いたような目をしているミラーナには、
「もちろん、お優しいところもございます。あの陛下は、深い深い愛情で、国はもちろん、殿下も愛しておいでなのです」
と軽く頷いて見せた。わざとらしくも見えるし、取ってつけたようにも見える。しかし、ミラーナの疑いを含んでいる目に、
「本当でございます」
と覗き込むように言った声は、真剣そのものだった。第一皇子は不愉快そうに眉根を寄せた。もっともらしく話すのは、アントラックの良くやる手だ、と思い、商人の都合の良い言葉に嫌悪しか感じなかった。しかし、ミラーナは、よくよく考え込んで、アントラックにぽつりと聞いた。
「証拠はどこにございますの? 陛下の誠意は?」
とその声は、真剣で、子供ならではの率直なつぶやきだった。アントラックは考え込むような顔になって、
「殿下が“第一”皇子であらせられるところにございます」
と答えると、ミラーナは、
「昔の誠意だわ」
と酷く落胆した声で言い返した。広間の空気はひんやりとして、辺りが一気に暗くなったような気がした。皇子は苦笑し、アントラックは表情のない目でミラーナを見て、侍従達が労わるような目で、ミラーナと皇子を見つめた。王の愛情を一身に受けていた皇子が、誰の目にも分かるほど寵愛が離れて行った、と彼らの空気が言っていた。




