皇子宮-002 皇子の婚約者のミラーナ・ベイスラムですわ
サテンは無表情のまま、少女と皇子を見ている。
皇子は、少女にささやいた。
「ミラーナ。あちらは、龍のサテンだよ。怖くはないから安心しなさい」
少女は、目を見張ってサテンを見ていた。そこに立つサテンは、漆黒の髪にほっそりした顔。切れ長で真っ黒い、底知れない世界を映していそうな瞳に、青銀色の唇。そして、すらりとした長身に無駄のない動き。片手に豪華な花束をぶら下げている。そんなサテンに、少女は、目を奪われていたようだった。皇子に言われると、さっと頬を赤らめて、
「怖がってはいないわ!」
と言って、素早く皇子の手から滑り降りた。そして、つんとした表情を造り顎を上げる。
「わたくし、皇子の婚約者のミラーナ・ベイスラムですわ。ベイスラム家の長女で、ゆくゆくは、セロナ家の称号も得る者です」
サテンは黙ったまま、少女を見下ろしていた。頬が上気した健康そうな少女だった。目は大きめでアーモンド型だ。小さな顔にちょうど良く唇と鼻が整っていて、頬がシャープだ。子供っぽさがあまりない。しかし、茶色の髪はウエーブがかかり、上で大きく広がるようにまとめている。落ちた髪は頬にかかり、肩から背中に流れ、大きなリボンが髪を飾る。そのせいで、少女らしさが出ている。はっきりした意思を感じさせる顔だった。
「あなたは、自己紹介もできないのかしら?!」
無視されたことに腹を立て、少女はずけずけと言った。サテンは黙ったままだった。
「殿下?! 龍には龍語があるのかしら? わたくしそんな歴史は習ったことがありませんわ」
「ちゃんと人間の言葉を話せるよ。ただ、なかなか口が重いんだ」
「大きな顎を持っていらっしゃるはずですものね。重いはずだわ」
どう見たって、人間にしか見えないわ、大嘘つきではなくて?! という思いが体中から噴き出していた。皇子は、少女の癇癪が全く気にならないようだ。
「さあ、入ろうか。サテンも中へお入りください。ずいぶん長い間立ちつくしていて疲れたでしょう。謁見の間は、王以外は誰も座れないようになっていますから」
そう言いながら、少女に手を差し出した。少女は睨むようにサテンを見ていたのだが、大人しく皇子の手をとって引かれながら歩きだした。サテンは二人を追って歩き出す。表情は動かない。
「私はこれから、この龍と大切なお話があるからね」
皇子が歩きながら言う。
「私との大切なお約束はお忘れになってしまわれましたの?」
丁寧だがぶすっとした口調で言う。
「もちろん、忘れていないさ。ただ、この龍が私の傍にいるのは、ずっとではないから」
「どうして? すぐに龍の国に戻ってしまうからかしら?」
これは、完全な厭味のようだ。皇子は笑った。
「いいや違うさ。この龍は第五皇子の為の龍だったのだよ。それを、私がちょっと借りてきてしまってね。第五皇子と交換こでお借りすることになったから」
「わたくし龍の話は嫌ですわ」
「どうして?」
「なんだか、本当らしさがない気がするんですもの」
「それはそうかもしれないね」
「やっぱり、これは人間なのね?」
と今度は小声で言う。
ちょうど、ガラスの扉のところまで来ていた。ガラスの扉には、女官達が待ち構えていた。皇子とミラーナが中に入ると、半歩下がって会釈をする。二人が入り、サテンが続くと、まるで当然であるかのようにサテンにも会釈をした。表情のない女官達だった。サテンの無表情さに匹敵する。
「これはちゃんとした龍なんだよ」
皇子は小声でミラーナに返した。
「ええ。そうしておきたいのですわね。でも、わたくし、殿下の婚約者ですのよ。わたくしにだけは、本当のことをおっしゃらなくてはいけないわ。隠し事は夫婦の危機になりますもの」
「本当のこと? それは、本当はね、私にも分からないのだよ。だから、カエランラ殿が証拠を御検分なさって決められることになったのだよ」
「カエランラ殿が? それは、カエランラ殿が勝手になさっても良いって決めてしまわれたのね?! 王陛下が?」
子供とも思えないような苦い声だった。




