皇子宮-001 空をかける龍を見ることができる
サテンは答えなかった。
しかし、目はまっすぐに皇子を見ていた。
「私が龍なら、私は人間にとっては信じられないほど長い時を生きることになるはずです。王としての人生を終えた後、あなたの言うとおり、龍として生きましょう」
サテンはまじめな顔で皇子に言った。
「おまえが王でも人でも龍でも、どちらであっても、私には関係がない。おまえは若い。私が人なら、おまえが龍として生きる時には、天寿を全うしているだろう」
「なら、これはどうです? あなたは、空をかける龍を見ることができる。もし、あなたの天寿が来たら、たとえ私が王であっても、あなたの為に、空を駆けて見せましょう」
サテンはうっすら笑った。皇子は、そんなことができるのかと思い、できるはずがないと自分に答えた。しかし、できるなら、この男に空をかける龍を見せてやりたいと思った。サテンの空を眺める目は、そう言ってやりたくなる何かがあった。
皇子は待った。サテンが「本当に、できるのか?」と聞いて、この嘘はすべて終わるはずだった。皇子は、龍を名乗るこの男を、王の目を盗んで逃げださせる算段を考えなければならない、と思っていた。優しさからではなかった。王の真意を知る男を、このまま王宮で、そして、第五皇子やララルーアの傍へ置いておきたくなかった。殺すほどのことでもない。しかし、王が決断をするまでは、彼らと接触できないほど遠くへ逃がしてしまいたかった。
しかし、サテンは尋ねなかった。ただ、
「空を駆ける姿を見せてくれるのか」
とつぶやいただけだった。その目は、どこか遠くを見ていた。ぼんやりした輝きが浮かんでいた。まったく信じてはいないが、信じたいと思っている、とその目は伝えていた。皇子は、後ろめたく思った。サテンのおかしな歌を聞いた時には、ぞっとするような、自分の何かが変わって行くような怖さがあった。しかし、サテンは、空飛ぶ龍が見れるとは信じていないのがありありとしていた。つまりは、皇子を龍だとは思っていない、ということがありありと浮かんでいた、と皇子は思ったのだった。おかげで、恥ずかしくなって、皇子は饒舌になった。
「まぁ、あなたが高いところが苦手だとばれて、龍ではないと、カエランラに指摘されたら、それまでの話ですが」
「地龍なら、高いことろを怖がっても不思議はないと言ったではないか」
「私は龍には詳しくありません。空間をも移動すると言う龍達が、この程度の高さを怖がったりするのでしょうか?」
「怖くはない」
とサテンは言った。言ってから、下を見て。それから唾を飲んで手すりをつかんだ。皇子は笑った。今度は、からかい半分だ。
「後ろへ下がってください。中から行きましょう」
「いいや、このまま下へ行く。龍ならこのまま下へ行く。疑問をさしはさまれるようなことはしない」
「そうですか? なら、どうぞ」
皇子は言って、背を向けた。睨む視線が背中に当たった。しかし、皇子が軽やかに螺旋階段を下って行くと、一つ、二つ、と足音が追ってきた。もし、そこで、皇子が見上げていたなら、階段を降りながら、足もとも見ず、手すりも掴まず、ただ、ゆったりと空を見ながら降りてくる姿が見れただろう。いいや、もしも皇子が振り仰いだら、サテンは手すりにつかまって見せたかもしれない。どちらにしろ、皇子は見上げず、サテンも皇子に、悠々とした姿を見せることはしなかった。
二人は、森の中に降りたった。らせん階段は、岩壁の縁から離れた、森が始まる一角に降りていた。岩壁は刳り抜かれ、巨大なガラスが嵌められていた。光をはじく空間があり、その一角は威圧感さえあった。
皇子が降り立ち、ガラスに向かって歩きはじめる。すると、ガラスの一角が、中から素早く押しあけられた。驚くほど明るい空間が、岩壁の中にある。白い石を敷き詰め、光をふんだんに取り入れた大きな広間が見え、壁や家具には明るい色ガラスやカラフルなタイルが使われ、美しく華やかだ。その広間から、十三歳くらいの少女が、ドレスのすそをからげて、駆けだしてきた。皇子が両手を差し出すと、少女が飛びつく。皇子は、抱きあげながら抱きしめた。
「ただいま。ミラーナ」
「お帰りなさい。ミカゲ皇子殿下」
少女は満足そうに、抱えあげられたまま、頭の上から見下ろすように答えた。皇子は、少女を抱えあげたまま、振り返る。サテンが、螺旋を降り終わり、緑の芝の上に降り立っていた。




