謁見の間-006 爪を立ててしがみついた
第五皇子は何が起こっているのかまるで興味がないようだった。
ただ、チェラックが近づくと、ララルーアを掴む腕に力が入り、爪を立ててしがみついたようだった。ララルーアがほほ笑みの顔を維持しながらも歯を食いしばったのが見えた。バイローンが、これを見て慌てたようだ。紅の絨毯を蹴って駆けだして、チェラックの前に飛び込むと、ララルーアの腕をつかんだ骨ばかりの皇子の手を、そっと掴んで話しかけた。
「今日は、大変な一日でございました。よく、ご立派に大義を果たされましたね」
バイローンはそう言って、皇子の手を自分の手に取る。皇子は宙からバイローンに目を動かして、バイローンが顔いっぱいで笑顔を作ると、
「来ていたのか」
とつぶやいた。
「はい。今日はお会いするお約束でした」
「そうか。今日は約束をしていたのか」
「はい。このバイローン。お話させていただけるとお聞きして、楽しみに参りました」
「何の話だ」
「もちろん、母龍様のお話でございます」
「そうか。母龍の話か」
皇子がつぶやくと、バイローンは皇子の目を覗き込んでうなずいた。
「しっかりとたくさんお話したくぞんじます。どこか、ゆっくりとお話させていただけるところはございませんか?」
「森がある」
ぼそりと答えた。第五皇子のこの言葉に、チェラックが答えた。バイローンの後ろで、二人を交互に見比べながら立っていた。まるで真似たように、当主のカエランラと同じような雰囲気、同じような顔つきをしていたのだが、
「森の宮殿には、しばらくはお戻りにはなれません。奥にお部屋が用意してございます」
と言った声は、温かかった。しかし、皇子は何も聞こえていないような顔をした。バイローンが再び、
「奥にお部屋がおありだそうです。どんなお部屋でしょう? 日当たりが良いとうれしいですよね? ほら。あの、影遊びをしてみませんか? 昔、お母上がお遊びになられたと言う、遊びでございます」
「そうだな。影遊びができると良い」
皇子はそう呟くと、ふらっと背を向けた。
ララルーアが慌てて手を伸ばすのだが、そこから泳ぎ出るように歩きだす。バイローンは素早く皇子の後を追う。チェラックが、周囲のものに「部屋の準備を」と指示を出しながら、ゆったりと追いかける。ララルーアが、負けじと言う様子でドレスのすそを掴むと、
「第五皇子。わたくしがご案内いたします。どうぞ、このララルーアにご命じください」
と言って半分駆けながら付いて行った。
薄く笑う貴族がいた。今度は、皇子を誑かそうと言うのか、とつぶやいた。また、別の貴族は、年がいもなく年の離れた皇子にまで媚を売るのかと、見て分かるほど顔に嫌悪の皺を浮かべる者もいた。しかし、ララルーアは、甘い声を出したまま、第五皇子を追って、裏の廊下へ姿を消した。
貴族の中央に立っていた第一皇子は何を考えているのか分からない顔で、彼らを見ていた。集まっていた貴族の一人が、
「影遊びだそうです」
と含み笑いで言う。幼児じゃあるまいしと小ばかにした目で奥を見る。第一皇子は振り返り、
「私の母は刺繍しかしていなかった」
と言った。そして、
「あなたはどんな遊びをお母様にしていただきましたか?」
と生真面目に聞いた。含み笑いの貴族は言葉につまり、別の貴族がここぞとばかりに、
「わたくしは琴遊びですよ。正直遊びと言うより、修練のようなものでしたが」
と苦い声を出して言うと、
「私もですよ。遊びだとごまかされて、ファーレーン史の音読をさせられました」
と別の者が言いだすと、
「まったく、母親と言うものは」
と口々に、愚痴ともつかない話に花開いて行くのだった。




