王宮-007 長い王宮の一日が始まった
チェラックは、声の届かないところまで下がると、優雅に会釈をして見せて踵を返した。
どこか、貴族とも、商人もと言えない姿に、サテンは思わず考え込んだ。チェラックは、踵を返すと、とたんに、背筋がまっすぐ伸び、腕がやわらかく肩から動き手の先まで神経が生き届きだす。長い足がゆったりと床に踏みだされ、広間の中央を堂々とした大家の男が歩きだす。
そこには、ついさきほどまでの砕けた姿はみじんもなかった。近づく王宮仕えの者達に、自然な様子で指示を出す。カエランラ家の人間の姿があるだけだった。その変わり身があまりに堂々としていて、養子に入ったと言うだけで、これほど貫禄が出るものだろうか、という風に思えたほどだった。
静かな朝だった。サテンはベットから身を起こし、枕に身をもたせかけて再び眼をつぶる。小さな花と蔓の柄のベットカバーに、程良いスプリングの利いたベットは、見た目は簡素だと言うのに、さすがに王宮のベットだった。身体にしっくりとあった。
部屋は、中央に鉄枠飾りの暖炉があった。肌寒い朝だった。しかし、暖炉の季節ではないらしい。火を入れに来る者はいなかった。サテンは、身をもたせたまま目を開けた。何か見えたのかもしれない。瞳が動いた。目が笑う。唇が上がってほほ笑みかけた。何かが聞こえているようだった。まるで別人のような顔だった。と、扉が静かに開かれた。サテンの顔がすっと変わった。表情のない顔で、扉を見た。客室の続き部屋から王宮付きの下女が一人顔を出す。サテンの目つきもお構いなしに、
「あれまぁ。お早いことですね。さすが、一階のお客様だわ」
そう言って、片手で扉を押し開き、顔いっぱいで笑って見せた。
女が、「失礼しますよ」と言って入ってくると、そこらじゅうから、歩きまわる王宮付きの者達の足音が聞こえていた。王宮の朝だった。
入ってきた女は、ベット脇のもてなし用に出されていた、手の付いていない寝酒やグラスを片づけて、手にした盆に移し出す。肩からつるした大きなカバンからは、ふかふかのタオルを取り出し、水の皿を壁の棚の下のくぼみから引っ張り出すと、抱えた壺から水を足す。身体を起したサテンの手元へ遠慮なくカバンのグラスを手渡すと、背中に背負ったガラスの筒からレモン水をグラスに注いぐ。と離れて、三歩で窓に行く。
「一階のお客様には、一階のお客様が好む、手早いテキパキとしたサービスをするんですよ」
と言いながら。女は、グラスを手にしたサテンを背にして、思い切りよく、透かしの入ったカーテンを開け放つ。部屋にさっと光が満ちる。外は、明るい森だった。女は、肌寒さも構わずに、窓を開けて、空気を替えた。
長い王宮の一日が始まった。
漆黒の髪に銀の糸が混ざる。ひと房の銀の巻き毛を額に落とし、襟足には銀のつけ毛をたした。銀の糸は本物の銀で、重いエクステントだ。
サテンは立ちつくしていた。
白い刺繍に埋め尽くされた白に見える銀糸で織られた衣装を巻かれた。それは、衣装であって服ではない、荘厳だが、どこか浮世離れした服だった。
朝、あれから、早々、女官達がやってきて、サテンを磨き粉で磨き上げ、蒸し水で洗い流したかと思うと飾り立てていった。三時間に及ぶ彼らの奮闘ぶりにサテンは言葉もなかった。
彼らは、目の荒い布地に油砂を乗せて肌を磨き上げ、焼き石の入った水盥の中に椅子を置き上からは布をかぶせてサテンの身体を蒸した。蒸し龍の出来上がりだが、汗が出きったところで、冷水で全身をくまなく流して仕上げた。
「清浄な王の住まいに上がる為には、世俗の汚れを落とさなければなりませぬ」
これが、全てが始まる前に、いかめしい顔の老女官が告げた一言だった。




