王宮-005 この部屋でお待ちください
しかし、行きかう人々は疲れたような顔をしていた。
いくつもある柱の周囲にはベンチがあって、腰をかけている人もいれば、立ち話をしている人もいる。王宮に苦情に上がっている街の人々だった。精一杯の正装をしているのだが、上の階を行き交う贅をこらした生地に精巧なデザインで着飾った宝飾品豊かな人々とは違う。また、顔つきも、上の階の張り付いた笑みの人々とは違っていて、真剣な表情で、互いに情報交換をしているようだ。
中の一人が、
「こんなところで待たされていては、いつ帰れるか分からない」
と愚痴を言えば、ソフト帽に羽をつけた柔らかい物腰の男が、
「慌ててはいけないよ。頭上で誰が見ているか分からないのだから。私達は、来たことに意味がある、と言う程度で満足すべきかもしれないのだから」
「これなら四門の長に訴えに出た方がどれほどましか。町で全ての用事が済むのだから」
「なら、君。今からでも遅くないからお帰りよ」
と傍で聞いていた男が言うと、愚痴を言っていた男は不機嫌そうな顔になり、
「本当に上まで話が行くか分からないのに、そんな冒険はできない」
と言い捨てた。ソフト帽の男は穏やかに笑って、
「かなり、上まで話は通じるようになっていると言う話だったのだけれどねぇ」
と答え、サテン達を見て、あたりさわりのない雑談に流れていく。
サテンを案内していた男は、彼らの雑談が耳に入らないのか、ぴくりとも顔を動かさずに、おごそかにサテンの前を歩いて、広間の端にある、扉の前で足を止めた。
「どうぞ、こちらでございます。この部屋でお待ちください」
と言って開いた中はこざっぱりした部屋だった。美しい木彫りのソファーにクッションが並び、窓辺の棚には花の磁器が飾られ、香が優しい。足元に絨毯はないのだが、白と黒のタイルが光る。案内に立った男は窺うようにサテンを見ていた。
半分、サテンの雰囲気に飲まれていた。ここを見て感動する人間もいれば、馬鹿にされたと怒りだす者もいる。それに備えて、言葉を待った。それでも、客人は無反応で、男は窺うような目線のまま言った。
「軽食をおもちいたします。何かご要望はございますか?」
「甘味のある清水があれば、それを」
「水、でございますか?」
驚いた男に、
「なければ、何でも構わない」
「いえ。ご用意いたします」
と言って、慌てて出て行った。
男は、部屋の格を下げたのを知って、嫌がらせの厭味を言われたのだろうか、と考え込んだ。部屋に合わせて、ここでは、水程度しか出せないだろう、と言う意味だろうかと思ったのだ。しかし、“甘みのある清水”と言うのは、巨大な厨房では見つからず、内庭の井戸の水でもダメで、裏山の清水でなければないとわかり、別の意味で青ざめた。そんな手に入りにくい水を要求するほど、王宮の内情を知っている人間だったのかと恐れたのだ。ララルーアの連れて来た客人だったら、何を知っていてもおかしくない、と思い、男は、水を汲んで慌てて戻る。
男が水を持って行くと、客人はその味に喜んだ。男は、本当に喜んでいるかどうか目を覗き込む。そして、喜んでいると感じると、大丈夫だと自分に言って聞かせて自分自身を安心させた。サテンは、男のそんな気苦労には気付かなかった。清水のおかげで、腕の傷も足の傷もたちまち癒えた。それが喜しく、男に穏やかな目を向けた。
サテンは、王宮らしいやり取りとは全く別世界にいた。周囲の音を全身で聞き、人々の駆け引きや笑いや、いら立ちの気配を肌で感じながら、音の世界をさまよっていた。神経を張り詰めて、窓辺に立つ。探しているのは声だった。あの朝に聞いた歌の主がいないかと探していた。サテンは、王宮はもっと人が少ない場所だと思っていた。それが、巨大な町のような人の多さで少し辟易していた。
サテンは、案内の男が部屋を出たあと、しばらく音を追っていたのだが、イライラした顔で窓を開けはなった。夜風が中に流れ込み、中の匂いを吹き飛ばす。寛がせるはずの良い香りが、今のサテンには鼻につくきつい匂いになっていた。また、ランプの油の焦げた匂いも、かすかに香るだけなのに神経をかさつかせていた。




