王城-005 サテンが、目を開けたのは昼過ぎだった
夜会に出かけていた二人が、月夜を散策しながら帰ってきた。
宮殿はにわかにあわただしくなり始め、バウンはこと細かに指示を出しはじめる。それから、二人がそれぞれの寝室に落ち着くまで、バウンは執事の仕事で忙しく立ち働くのだった。サテンが、皇子宮へ連れて行かれたのは、その翌日の午後だった。月が沈んで、朝日が昇る。夜会めぐりを終えてベットに入ったのは明け方近くだ。サテンが、目を開けたのは昼過ぎだった。
サテンは、客室の一つで、目が覚めて気が付いたのだが扉がない。大きなアーチ型の入口からは、広間が見渡せた。アーチ型の入口の脇には水置き台に水甕の支度がしてある。家人の動きは活発で、朝から賑やかにララルーアの世話に駆けずり回っていたらしい。
ララルーアは、広間の真ん中で家人に囲まれ、昼の光を全身に浴びて、濃いミルク入りの茶を飲んでいた。バウンが脇に仕えている。サテンが肘をついて体を起こすと、バウンが気が付き、ついで、ララルーアが顔を向けた。サテンには聞こえなかったが、「さっさと支度をさせなさい」とでも言ったのだろう。バウンが侍女を呼んで、素早く部屋へやってくると、眠気混じりに眺めるサテンをベットから引き出して、さっさと服を着せつけだした。服は昨夜と同じような、襟もとに白いスカーフが巻かれている点だけが違う黒い服だ。寝ぼけた顔をしているせいか、黒いだけでしまりがない。ララルーアが広間の寝椅子で何か文句を言っていた。バウンがため息をついて、ララルーアの下へ戻って行く。
「ララルーア様。夜にした方が、よいのではありませんか」
「わらわに、夜、第五皇子のご機嫌伺いに参れと申すのか?」
いらだった声音に、
「しかし、あれでは、龍ではなくて、単なる居候にしか見えません」
「実際そうだからの。仕方があるまい」
ララルーアはため息交じりに言った。サテンは、部屋の中央で突っ立ったまま、広間の話を聞いていた。あくびを噛み殺し、ぼんやりした視線で水甕の水を見る。盥に移され侍女が手に持つ。手を洗うようにと侍女が差し出し、サテンが水に顔を突っ込んだ。
「やめさせなさい! ここは山ではないのですよ!」
広間で見ていたララルーアが、いらだった声で叫ぶと、バウンの「盥を下げなさい!」という侍女への叱責の声が重なる。サテンは、まったく気にせず、盥が顔から離れるまで、水の冷たさを堪能した。
昨夜の夜会周りはひどかった。人間の視線や思惑の混じった声音は、浴びるだけで、どこかが歪む。戻って身体を洗ったが、湯で洗ったのでは、川でのように汚れは落ちない。水が良い、やっぱり水だ、と考えた。盥が消えて、顔を上げると、目が動き、視界がさえた。
入口のアーチの向こうで、腰を浮かせるようにして立ちかけた、ララルーアが見えた。手にしたカップをテーブルの上に置こうとして、眼を見張って固まっていた。横に立つバウンが、しかめた顔でララルーアのカップに手を伸ばす。サテンの横に立つ侍女が、彼らの視線を恐れるように、タオルを手にし、サテンの顔を拭いにかかる。顎も首もびしょぬれだった。サテンは、されるがままにされながら、
「よい朝だ」
と穏やかな声でつぶやいた。サテンはさらに、タオルを侍女の手から取り上げて、自分で額と口をタオルで抑える。
「ここは、町中よりずっとよい。この林は寝心地が良い」
「ベットの質が違いますから」
と侍女が小声でつぶやくと、
「声が良い。誰かが、よい声音で歌っていた。あれがよかったのだろう」
とつぶやいた。寝入りばなは、うっすらとあたりが明るくなり始めた頃だった。朝靄があたりに垂れこめていた。靄の中から、低く高く歌う声が流れていた。夜会で聞いたような楽団の歌ではない。プロの奏者の声とも違う。風が揺れるような、森に溶けていくような、音とは言えない歌声で、喜びに満ちていた。うれしさについ歌い出したような、そんな声音だ。
サテンはうっとり思い出の中の声に聞き惚れる。侍女はうつむいたままだった。答えて叱責が飛ぶのを恐れているのか、それとも、サテンの呆れた振舞いに怒っているのか、サテンの呟きなど何も聞こえていないかのように聞き流す。そして、そっと手を伸ばしたかと思うと、サテンの手からタオルをしっかり取り返し、深々と一礼した。広間へどうぞ、と言う無言の動きに見えた。




