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龍の生まれる国  作者: るるる
第二部 平原の龍
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竜のつぶやき

サテンは目をつぶっていた。

静かな時間だった。森の中、小鳥のさえずりを聞き、日の暖かさを額に感じ、石の冷たさを足に感じた。目の前に泉がある。風に波立つ小さな泉の底には、宝石のように見える小石や、風になびいているように見える水草が見えた。


サテンは、まだ、サテンと名乗る前の自分は、あの静かな時間が必要だった。あれほど小さな泉になってしまった彼女の姿が、山々に響いていたはずの彼女の息吹が、もう、ほとんど消えかけていて、じっと息をひそめてつくぼる事でしか感じられなくなっていた。

「シェイラーム」

音としての名はまるで実感がなくて、サテンは静かに響きを持つ風にたなびく方の名を呼んだ。途端に、湖面に立つ彼女の姿が見え、笑いさざめきながら片手を降る。髪が風になびき、長く湖を渡る美しいうす紫色の髪は、そのまま森の木々の中へと溶けていく。山々は動き、水は地下へと潜り、竜の遊び場であった巨大な湖面は、小さな泉へと姿を替えた。その泉の上に、古の世界が見える。彼女の名を呼ぶと、彼女の笑顔が今に広がる。笑顔と人にたとえた言い方に、サテンは目を軽くしばたたいた。


あれは小さな揺れのような波紋で、表情など動かす必要もない程分かりやすい心の揺れだった。暖かな彼女の波だ。名前を呼ぶとたなびく微笑。何度その名を呼んだだろうか。なのに、その温もりが今はない。あのかそけき気配もすでに絶え、いったいどれほどの年月が経っただろうか。


河をさかのぼる小舟に座り、サテンはじっと目の前に聳える山々を見つめていた。ペルシール地方。竜が統べる山々と言われる稜線は、群青色の夜空の下で、竜が横たわっているかのように見える。だから竜の山とも呼ばれ、竜を祭る意味でペルシールと呼ばれていた。しかし、いったい、どれだけの人間が竜をみたか? サテンの口元に皮肉な笑いが浮かぶ。


サテンは視線を上げて空を見る。まぶしい星々に目を細め、稜線から上り始めた細い月に頬を緩めた。変わらぬ景色は美しい。サテンの表情に気づいたのか、アヤノ皇子が身をよじる。小舟の腰掛は前後2段になっていて、後ろの板にアヤノ皇子が座っている。後ろから、ちらちらとサテンを顔を覗くように見つめていた。


黒い髪に黒い瞳のワイルラー王国の小さな子供だ、とサテンは思う。人の世では青年と言われていても、サテンには、幼すぎて己を主とする事もできない小さな子供にしか見えない。その子供が、時々不安そうにサテンを盗み見ている。気配が世界に溶ける時、過去を感じ、彼女を見ようと世界にこの身を溶かす時、この小さな子供は敏感に気づく。まるで、まとわりつく精霊のように気配に敏感で、世界が消えてしまうのではないかと言うような顔でサテンを睨む。実際に、サテンが消えると世界が消えたように感じるのかもしれない。


人の世に返すべき子供だ、今ではないが。己を主とした時には、人の世へ戻さなければならない。連れて行くべき子供じゃない。とサテンは視線を先の小舟に向けた。3艘の小舟が、河から支流へ入り山裾へと向かっている。立って竿を漕ぐのは、村人にやつした兵士達だ。岸辺には、高い葦が茂り、その向こうの村々をのぞかせる。その葦の影から、村落を覗きこみながら行く、兵たちの影が見える。


先を行く船には、ハーレーン商会の者達がのり、あの子供、ランレルも乗っていた。王国の子供よりはいささか年が行っているように見える、ハーレーン商会の子供だった。同じ年だとハーレーン商会の主、アルラーレは言っていたが、作る波形は大人に近い。今はそれも歪んでしまって、とサテンの中ではため息がこぼれる。ハーレーン商会の子供の波形は、人と何かの狭間の生き物になっていて、今は気づいていないだろうが、その内気づく。自覚しはじめるだろう。それでも、人の世で生きねばならない。竜ではない身なれば、人の世でなければ過ごせまい。と、先を行く船を、対岸を見つめているランレルの赤茶色の後頭部を遠くから眺めた。


子供を見ていると、子竜を思う。王城での邂逅を思い出す。まっすぐな目をした、煌びやかな竜。あれほど綺麗な色に育ったのは、育て方が良かったからか。ワイルラー王国の王は、かつて約定を結んでいた王の末裔は、自覚のないまま約束を果たしていた。誰も覚えていない竜との約定を、良くも悪くも守っていた。


竜はいた。とサテンは思う。幼さゆえに死にゆく道を取ろうとしている子竜だが、気高さだけは本物だった。サテンは深く息を吸う。竜はいた。護るべき竜ではなく、見守るべき子竜だったが、竜はいたのだ。


サテンは、目を瞬いて対岸を見る。村落には明かりが灯り、兵が訪う姿が見える。静かに、豊かさを謳歌する村人たちだ。日が落ちると灯油を使い、夜の来客に戸惑いもなく扉を開ける、怯えの無い豊かな村の人々を、じっと見つめる。

偽バイローン達は、これをすべて覆い隠すほどの幻覚を生み出していた。それほどの幻を、なぜ山岳の民が生み出せるのか、とサテンは静かに思考にふける。濃い血の流れを作り、幻覚を作る術を工夫したなら、できないこともない。数を頼みに大がかりな仕掛けをすればできるだろう。しかし、とサテンは葦の間に見え隠れする人々の姿が、山間の道へと変わり、見えなくなるのを眺めながら思う。山岳部で住む彼らに、それだけの執着が王国へあるのだろうか、と。


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