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龍の生まれる国  作者: るるる
第二部 平原の龍
120/128

水車脇の納屋小屋

廊下の先に階段があった。


床に四角い穴があり、覗きこむと梯子がある。階段だった。そこから階下に降りていく。ランレルは階段を下りだしたが途中で動きを止めた。階下では、鎖帷子を着た男達が狭い広間に集まっていた。広間と言うほども無い、むき出しの板床に格子窓のあるだけの部屋で、薄く日に焼けたカーテンが掛かり、日が差し込んでいる。ランレルが下りて来たのに気付いたのか、男達が一斉に顔を上げる。その視線に驚いて動きを止めた。男達は驚いているようにも、探っているようにも見えた。ほとんど血の気のない顔で2週間毛布にくるまっていたランレルが動いていたので、本当に生きていたのかと驚いたのだが、意識の無かったランレルには分からない。ランレルは、視線が気になりながらもゆっくりと再びおり始めた。ざわめきが戻りだし、足元に集中しようと視線を落とそうとして、背の高い男に気が付いた。ランレルをじっと見上げるサテンだった。


サテンは白い生成りのシャツに黒いズボンをはいていた。足元には黒いショートブーツでズボンのすそからつま先が覗く。簡素な服だと言うのに村の人間には見えない。かと言って、都会の人間にも見えないのだが、その上、ランレルに向けた白い面は表情が抜け落ちていて、人らしさも無い。そのせいか、帷子を来た周りの男達が一人二人と口を閉じだし、動きを止めて、息をひそめていった。


静まり返った広間の中央で、サテンが、

「混ざったか」

と言った。何のことか分からなかったが、ランレルは自分の事だと言う事だけは分かった。そのランレルに向かってサテンはさらに、

「戻せぬな」

とだけ言った。ランレルは戸惑ったまま口を開け、「何が?」と言いかけて口を閉じた。何か空恐ろしい事を言われそうだと思ったからだ。率直に言うと「竜」うんぬんを言われたくなかったからだ。「竜が混ざった」と言われても困る。それで人が面白がるならまだしも、怖がり始めたら商売にならない。客商売なのに、客に怖がられる人間にはなりたくなかった。そして、「竜神が」とでも言われたら、そのまま、この兵士たちに捕まってしまうのではないだろうかと言う気になった。サテンが捕まっていないのだから、平気だろうとは思うのだが。もしも、捕まれば、または、逃げ切れたとして、王国から追われるようになれば、お尋ね者になってしまう。世界を股に掛けるハーレーン商会の人間がお尋ね者では、商会の迷惑にしかならない。誤解で追われることもある。そう思ったところで、ランレルはしっかりと口を閉じた。


ランレルは目だけでサテンに挨拶を送って、再び階段を下りだした。すると、鎖帷子を着た男達もゆっくりと息を吸って動き始めた。椅子に座りなおすもの、壁にどっと寄りかかるもの。床に音を立てて座り、背負った剣を抜いて布で手入れを始める者と、それぞれだった。ただ、中央に立つサテンだけは、身じろぎしないでランレルを見続けていた。


サテンは、ランレルを見ていた。穏やかな霧のような物がランレルを包み込む。ランレルの気配に別モノが溶け込んで、淡い光の渦になっていた。かつての笑いさざめく竜の声が聞こえてきそうな、古の気配がそこにはあった。階段を一段一段下りるランレルを見ながら、静かに耳を澄ましてみる。周囲の人間の出すざわめきを、徐々に意識から外していくと、人の呼吸音や心臓の音が響くばかりになり、サテンが半眼を閉じると、世界は一気に空へと変わった。サテンの意識は、真っ青な空の中で平原を見下ろしながら浮いていた。風を頬に感じながら山の向こうの声に耳を傾け、

「リュージーン!」

と呼ぶ、叫ぶような声を聞く。懐かしい、かつて知っていた子供の声だ。


 山々の聳える中腹で、木立にの下に人がいた。堂々と足を踏ん張って立つ少年が、口に手を当て怒鳴っていた。懐かしい景色だった。木々の下から、わらわらと少年の声を追うように子供たちが集まって来る。村の子たちが竜を見たさに寄って駈け出してくる。サテンはゆったりと空気に乗って身を降ろす。いつもの山間の池に行く、そのついでだ。元気な声に髭が揺れて、からかうように風を送って流れるように泳いで見せる。きらきらする黒い髪の少年が、白い手をあらん限りの力で振った少年が、周囲の子供たちと一緒に歓声を上げる。


サテンがうっすらと目を開くと、ランレルが目の前にいた。あの少年の変わり果てた後の、あの時の姿だ、と思った。そう思った途端に首を左右に振った。これは別の魂である、と。

「助けてくださってありがとうございました」

目の前のランレルの声が、あの少年の声に重なったような気がして、

「助けになったかどうかは、100年後に言うがいい」

とサテンは答えた。サテンの言葉にランレルはちょっと目を見開いて、

「長生きします」

と生真面目に言い、そこで、サテンは「そうだ、違う人間だ」とやっと意識が戻って来る。あの溶け出していた魂は、最後に笑って言っていた。「1000年後でも一緒だよ。助けてくれてありがとう」長く生きもしないくせに、1000年を平気で語ったあの少年とはずいぶん違う。


ああ、それでも、1000年後にと言った言葉は嘘では無かった。サテンはそう考えて視線を上げた。広間は、丸太の壁でできた部屋だった。小さな窓があって、片開きのドアがあって、石を積み上げた暖炉がある。簡素で素朴な家と言うより小屋だった。その中央で、サテンはの視線がわずかに揺らぐ。小屋の視界がかすみだし、そこには無いはずの大河を見つめ、対岸の草原から漕ぎだす人々の影を眺めていた。その小舟の中で小さな姿が立ち上がり、

「ほら、僕はここで永遠にいる!」

そう言って、両手を振って見せた。つい先日の事だった。1000年後。あれは溶けた魂が再びここへ降って来たのかと言う程同じ黒髪に同じ白い顔の少年が、嬉しそうに笑って叫んだ。同じように両手を振って、飛び跳ねるように腕を振って。


「本物ではない」

つぶやくサテンにしんと静まり返った兵士たちは身じろぎ一つしなかった。視線一つあげられず、しゃがみこんだ者は床とブーツの先を睨み続け、窓辺で日に焼けたカーテンを掴んでいた者はそのまま指に力を入れた。


小舟の子供は砕けて散った。サテンの低いつぶやきで、「本物ではない」と言う一言で、河は、風が渡るばかりの大河に変わり、対岸には水草が見えるばかりで、辺りを覆うような煮炊きの煙も消えた。大河の向こうの山裾に、ぽつりぽつり家が見え、水草は風にそよぐだけとなっていた。それは3日前の事だった。


兵士たちは、連行と言う名の商人の護衛のような任務から、対岸の討伐と言う任務へ、意識を変えようと河を眺めて、ほんの半時も経っただろうか。兵士の中に立ち、見るともなく遠く河向こうの掘っ立て小屋を見ていた、このほっそりした背の高い男は、「幻想の消滅が望みだったか」と、しばらくしてから思いついたようにつぶやいた。


そして、対岸で、河に漕ぎだした小舟から、元気よく少年が両手を上げてこちらに振って見せた瞬間、「本物ではない」とつぶやいたのだ。やけに辺りに響く声だった。遠くの河岸はざわめいていたし、河のこちら側も兵士とそれに付き従っていた王都の兵や、海に下りたい商人たちが後を追って来ていたのだが、互いに手で向こう岸を指し示していたり、河向の様子に驚いたように隣と話していたりして、随分騒がしい夕暮れ時だった。なのに、不思議とこの男の声は低く辺りに響き渡って、声がした、と思った途端に、舟の少年が白く溶け出し手を振りながら消えて行った。すると、いつの間にか、小舟はもちろん、対岸で舟を押し出していた一行も、囲炉裏囲んでいただろう騒めきも、煙をたなびかせていた仮設小屋の群れも、風に吹かれてたなびくように消えてしまったのだった。


そこにいたと思った人間が、風と共に溶けていく瞬間を見た。兵はそれを息を詰めて睨むように見つめ、追って来た商人達は声を飲んで後じさった。供にいた、ほっそりとしたひ弱な医師が細く悲鳴を上げるように息を吸い、それを聞いて、離れたところで荷馬車の中で毛布にくるめて抱きかかえられたランレルがいたのだが、そのランレルを抱きかかえていたギャベットが一言、「竜神の一声か」とつぶやいたのだった。すかさず、きっぱりとした声が「竜神ではない。竜王であられる!」ととがめるように言ったところで、兵士たちは目を瞬いて正気付いた。そして、誇らしげに河を見ている黒髪の若者を見て、幻想だったのだと、幻想が消えたのだ、と気づいたのだった。人ではなかった。あの消えた者達は、本物ではない。陽炎なのだ、と。


サテンの顔に苦い微笑が浮かんだ。口の端をわずかに上げる、静かなものだが、目が宙を見ていたせいか、その目の中に人らしい動きがなかったせいか、気づいた者は視線を落とした。幻想を払っただけで、殺戮をしたわけでも、圧倒的な武力を見せたわけでもなかった。なのに、兵士は、サテンが怖い。怖いと意識しているわけではないのだが、どこか本能がすくみ上るような気持ちになって、視線をサテンへ向けれなかった。


そんな中、唐突に彼らは顔を上げた。小屋の中には壁に作りつけた棚があった。土瓶の水差しに、素焼きのカップが置かれ、壁に沿って椅子が並び、人が来るのを待っているような小屋なのだが、そこでは、土のついたブーツで踏み荒らしたせいか、床に、にじりつけられたような土の足跡や土塊があるせいか、男達は十数人はいただろうが、その男達がゆっくりと立ちあがって襟を正した。すると、そこは、村のはずれの小さな小屋から、軍属の隠れ家へと様変わりした。


兵士の動きを待っていたかのように、外で気配がした。と思うと入口のドア開いた。低いきしむような音を立てて、日差しが中へと飛び込んでくる。長い影が落ちた。かと思うと、ブーツの音と共に、長身の肩幅のある男が踏み込んできた。兵士達の上官、ここまでサテン達を連行してきた、ホロゾーン家の騎士、トルンだった。

「船を出す。山へ行く」

立ち上がって姿勢を正している兵を当然のような顔で見回した後、サテンへ向かって告げた。

「我らは海へ向かいたい」

平気な顔で断るサテンだったが、トルンは首を左右に振って、

「一言で幻影を霧消させることができるのだ。行って声を出すだけで良い。来てもらうぞ」

断っているようで、実際は、命令していた。


サテンは視線をトルンへ向けただけで表情は変わらなかった。肩をすくめたわけでも、ため息をついたわけでも無かった。どことなく、仕方がないと溜息をついているようにも見えた。全く身じろぎ一つしなかったのだが。逆にそのせいで、何か人間らしい行動をしているはずだ、と兵士たちは想像したかったのかもしれない。ただ、階段の後ろに立っていた長い黒髪を背でまとめた青年が、踏み出して、

「渡河だけで十分だと言っていたはずだ。騎士なら約束を守れ」

と冷たい声で言い放った。アヤと女名のように呼ばれている青年だったが、どこも弱弱しいところはなく、狂ったように竜神を信じていると言う話だったが、冷静で、このサテンを異常にあがめる部分がなければ表情は乏しいが普通の若者に見えた。トルンは顎を動かすようにしてアヤノ皇子を見た。そして、

「ハーレーン商会の者が目を覚ました。ここで待つ必要はなくなった。行って、声を出すだけで良い」

「ならん。陛下への約束である」

アヤノ皇子のにべもない言い方と、陛下と言う言葉にトルンは口の端をゆがめた。周囲はにやにや笑いを浮かべてアヤノ皇子を見た。ちょっと普通じゃない、と言うのを一時忘れていたのだが、旅の間中聞いていたお蔭で慣れていた。面白がって聞くほどに。お蔭でトルンも、皮肉な顔だが、笑っているようにも見えた。しかし、出した声は生真面目で真剣だった。

「大勢の飢えた民が山を下って冬を迎えようとしている。これが事実である、と言う前提で全てが動いているが、事実でなければ理由がいる」

「幻想だ」

「その幻想がなぜここにある?」

「山の民が下りて来たからであろう。山岳民だから幻想を振りまくのだ。理由が欲しければ彼らに聞くがいい」

アヤノ皇子の眉間に軽く皺がよる。言いながら、何か思ったのかもしれないが、視線の中で身じろぎ一つしないサテンを見ると、

「陛下は海をご所望だ。山ではない」

と言いきって、

「人界の事で煩わせるな!」

と言い張った。しかし、トルンはそれに向かって、と言うよりもアヤノ皇子からサテンへ視線を変えて、

「今立つその床は人界の床だ。嫌なら宙へ消えるがいい」

と言った。消えれる物なら消えてみろ、と言う意味合いが濃く、この嫌味を言って鼻で笑おうとして失敗した。サテンの目の影が濃くなったように見えた。部屋の中は窓から差し込む光だけで階段近くは暗く、サテンの立つ場所は光の脇になっているせいか特に暗く見えた。サテンは全く動いていないと言うのに、兵士全員が半歩下がった。トルンが腰の剣の柄に手を添えるほど、気配が変わった。アヤノ皇子はただサテンをじっと見ているだけだった。その気になれば、すぐにも宙に消えれる王だと知っていた。行かれるのだろうか、とどこか絶望の淵をのぞき込むような目で、サテンを見つめていた。


 サテンが口を開けるかと思った。しかし、その前に階段の下で立っていたランレルがずいっと踏み出し、

「ハーレーン商会の者は兵士じゃない! 衛兵でもなければ、王都の警邏でもないんです。安全でない、山岳民が押し寄せている場所にわざわざ連行される理由はなんでしょう?!」


声は震えていた。怒っているようにも見えた。しかし、実際のランレルは、あの、白い眠りの中での事を思い出して震えていた。真っ青な空の中で仲間が宙へ消えて行くのを見送る瞬間が襲い掛かってくるような気がして、競り上がるような寂寥感につぶされそうになって、恐怖を感じて、

「彼は商会の者なんです!」

と大声を上げていた。サテンの口の端が上がった。とても人間らしい表情を浮かべた、と思ったのはたぶん、ランレルくらいだろう。見ていた兵士は猛々しい何かを怒らせたような気になった。しかし、そこには生き物がいた。先ほどまであった、宙に穴が開くような、全く別の空間がそこにあるような恐怖は消えて、兵士はほっとしながら戦慄していた。怒る獣なら彼らの範疇でありホッとしつつも、勝てそうもない獣を目の前にして鳥肌が立っていた。

「商都への用がある」

サテンの言葉はどこか空々しく感じた。このサテンが商売などできるものかと誰もが感じていたようだった。しかし、ランレルは深く頷き、

「大陸の東の端にあるんです。今いかなければ、風向きが変わり、東へ向かう船は出ない。ハーレーン商会は大陸中を行きかう人間がいるからこそ栄えているんです。これを堰き止めて、こちらで仕入れた一年分の商品が売れず、向こうで仕入れなければならない商品が消えて、この消滅した売り上げを、一体どう補償していただけるのでしょうか」

トルンが苦々しい声で、

「これだから商人は」

とつぶやいた。自分の事しか考えていないのか、と言う意味合いで、兵士の顔にも不愉快そうな色が浮かんだのだが、しかし、ランレルは気にしなかった。

「みなさんが身に着けているもの、手にしている剣、日々の食事は、我らが王都に納める税から出ているはずです。王都に商人が集まって、その売上から出している税が、みなさんの身を装い、みなさんの家族を守っているんです。あなた方が剣で戦っているように、漁師が海で戦うように、商人は売上で戦っているんです」

トルンが黙ってランレルを睨んだ。ホロゾーン家は王都の税で生きているわけではない。しかし、兵士の多くは王都の兵だ。そして、ホロゾーン家の領地では商人が盛んに行きかい、栄えた街を生み出している。


ガタンと言う音がした。全員が顔を上げると、階段を下りてくるギャベットの姿があった。手には丸めた毛布や革袋があり、中に干し肉などが入っているのだろう、見るからに旅装だった。梯子を起用に、革袋を持つ手で押さえながら階段を下りきり、床に降り立つと、

「ハーレーン商会は、みなさまの味方です」

と朗らかな声で言った。ランレルが、険しい顔でぱっと身体ごと振り向くと、ギャベットはその胸に革袋を押し付けて、埃を払うように上着を払って裾を引っ張り襟を整えてから、柔らかい笑顔を浮かべ、

「協力は惜しみません」

と言って深く会釈をしてみせた。そして、ちょっと困ったように目じりを下げながら首を振り、

「うちの者が無礼を申し上げまして、失礼いたしました。まだまだ若く、駈け出しでして」

と言った後、

「ただ、損をするのは困ります」

と言葉を継いだ。トルンが独り言のように、

「如才のない商人顔か」

と低い声で言った。が、静まり返っていたせいで思ったよりも部屋に響いた。ギャベットは笑った。結構、楽し気な笑い顔で、

「まあ、商人ですから」

と言った後、

「船を三艘押さえてください。ロンラレソルでの足止めで、港へ行けず、手配が止まっていた船です。今すぐに我商会がしなければならない仕事は船を押さえる事です。そんな事は請け負えないとおっしゃるなら、このまますぐに、港へ向かわせていただきます」

ときっぱりと言った。

「ロンラレソルでの足止料に、三艘分の船代を出せ、と言う事か?」

「違います。船代はこちらで出します。ただ、船を手配をするハーレーン商会の人間が、今、ここで足止めをされているのに、他の商人はロンラレソルでの足止めが終わり、港に殺到しているのです。これはまずい」

出遅れているんです。と言う声だった。

「山から戻り風が変われば、船があっても船出はできない。意味の無い船になるのだろう」

と言うトルンの声に、

「人間がいなくても商品が届けば、大陸中にいるハーレーン商会の者がなんとかします。船です。今、この瞬間にも、大勢の商人がせめぎ合って、船の争奪戦が始まっているはずです。陸路の不備は、そろそろ誰もが知る処でしょう」

と言ってどこを示すともなく腕を回して指示した。ペルシール地方が動乱になりつつある、と伝えている。

「三艘の船です。押さえてください。大陸行路用の船を。それさえしていただけるのでしたら、ハーレーン商会の者は、最後まで、満足いくまで、みなさまにお付き合い致しましょう」


この言葉を聞きながら、ランレルは口を強く結んだ。ギャベットがここまで言うと言う事は、今すぐにでもトルンが何を言っても駆けだしたくなるほど港に向かわなければならないはずだ。あの夜、商会の二階で聞いたように、アルラーレさんがギャベットさんにわざわざ夜に出立させてまで押さえたかった船だ。その船が、いまだに押さえられていない。それは、自分のせいではないだろうか、と血の気が引いてくる。


自分が怪我したばかりに。ロンラレソルにいれば、河向こうの集落は無くなったと聞いた途端に、川下りの船に乗れたはずだ。それに乗って港に向かっていたはずだ。ランレルが怪我をして、怪しまれなければ、このサテン達と押しかけないで、ちゃんとトチ医師の診療所にまっすぐ向かっていれば。自分がロンラレソルの町をちゃんと把握していて、どこに診療所があるのかくらい分かっていれば、こんな事態は避けれた筈だ。王都にもっとも近い店舗だと言うのに、その店舗がある町だって言うのに、自分がちゃんと把握していなかったから、だから船を三艘押さえる事ができなくなった。ランレルの顔から血の気が失せていた。


「ゼセロ。港に強い者は誰だ」

トルンの声は簡潔だった。兵士の中にいた顎髭の眉毛の下に目が隠れて表情の分からない男が、顎髭を押さえながら、

「ゼットソンなら。港湾に親戚がいたはず。カラの造船所の出身です」

「ゼットソン。今すぐ港へ迎え。三艘押さえよ」

「あ、はい」

と声が裏返ったような音がした。ランレルが見ると、窓の脇でしゃちほこばりそうなほど緊張させて立っていた小柄な少年がいた。名前を呼ばれて、ぎょっと目を剥くのだが、身体の両脇でまるで手のひらの汗をぬぐうようにこすりつけて、返事をする。成人をやっと過ぎたばかりだろうか。顔が幼い。目をぱちくりさせていて、緊張しているせいかブーツの履き具合を確かめて、つま先で床をつついている姿は、兵士と言うより丁稚のようにも見える。本当にこの少年で大陸行路の船を三艘も抑えられるのだろうか、とランレルが不安に思うと、

「誰か付けてやれ」

と言うトルンの低い声がした。同じように考えたのか、それとも、別の理由があるのか分からなかったが、ゼセロと呼ばれた顎髭の男が頷いて、脇へ下がる。すると素早く二人の男達が近づいて来て、ゼセロは男達に指示を出す。ランレル達の見ている前で、暖炉脇にいた背の高い男がゼットソンと言う少年兵を従えて、慌ただしく扉から出て行った。五分もかかっていなかった。

「では、山へ行く」

トルンの短い言葉に、今度は抗う者はいなかった。サテンでさえも勢いに飲まれたのか、ハーレーン商会の者としての自覚があったからなのか、断らなかった。お蔭でアヤノ皇子も黙ったままだ。ギャベットだけは、扉を見て軽くため息をついて、

「これでダメなら、ダメだと言うのを早めに知りたいものですが」

とトルンにダメ出しのように話しかけると、トルンは目だけでギャベットを見て、

「鳥が飛ぶ。すぐに分かる」

と短く答えた。ギャベットは頷いていた。そこで浮かべた微笑はさらに考え事を始めたせいだ、とランレルは気が付いた。ランレルは、この一連のやり取りを見ながら、本当だったら、と考えていた。自分がギャベットに任せられるだけ有能だと思われていたら、あの少年の役は自分に来ていたはずだった、と。全員が足止めされていたって、ギャベットは、自分になら指示を出せたはずだ。こんなに何もできない人間じゃなくて、ちゃんとしたハーレーン商会の者がここに一緒に来ていたら、きっとギャベットはその人間に指示を出したはずだ。


ランレルは暗い気持ちで考えた。あんな少年だって、指示一つで飛び出せるのに。そのくらいの信頼があるって言うのに、自分はなんて情けないんだ。ため息一つ出てこない。ランレルは手にした荷物をぐっと抱え込むと、荷物持ち以上の人間になりたい、と思った。これ以上を任される人間になりたい、と。


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