議場-014 己が何かが分かっただろう
偽バイローンは、肩から床へ突っ込んだ。
それでも、素早く膝をついて、顔が青ざめているままに、顎を上げ、しっかりとした声を放った。
「我らが王は、人間の世界を見て、憂いておられる。恐怖の神だ。龍王だ!」
廊下にいた人々は、偽バイローンを見た。偽バイローンは、
「空を行く龍王を見よ! 本物の龍王を!」
と怒鳴ったところで、人々はゆっくりと第一皇子へ視線を向けた。鈍い光を放ち始めた、見たことのない、人ではない生き物に、人々は、ゆっくりと後次去る。壁に当たるとひっと声を飲み、そのまま、壁伝いに、議場へ戻る者もいれば、廊下の向こうへと逃げ出すものもいた。しかし、誰一人として、窓の外を、月夜の空を見ようとする者はいなかった。
「なるほど。真実がそこにあれば、そう洗脳される、と言うことか」
とつぶやいたのは、冷めた目で眺めていたサテンだった。これを偽バイローンが聞いた。
「龍の王? 本物か? こいつがか?」
偽バイローンは第一皇子を見たのだが、サテンは「さて」と言ったきり、口を閉ざした。そして、ふいっと踏み出して、槍を上げ偽バイローンの動きを止めようとした衛兵の動きが止まった。上着が跳ねて、そこで止まる。槍の飾り帯もひらりと翻ったまま宙で止まる。まるで、固い物のように見えた。後じさり、思わず後ろの人間のぶつかっていた、商家の男が、転びそうになりのけぞりながら、止まっている。偽バイローンが、何か叫ぼうとしたのだろうか。目を見開いて口を開け、その姿のまま固まっている。
「さて、坊や。己が何かが分かっただろう」
とサテンが言った。じっと立ったまま、固まっているかのように動きを止めている第一皇子は、口の端をぐっと噛んだ。その場で動いているのは、サテンと第一皇子のみ。音さえも、衣擦れの音さえも、息するかすかな響きさえも、消えていた。
「人とは相いれないものである」
「龍王ではない」
「龍であろう」
そう言って笑ったかと思うと、
「全ての龍は龍王の血を引いている。間違いとも言えまい」
と言った。そして、さらに、
「人の世は、人の世に生きる人間たちに任せるがよい。おまえは龍だ」
「人間だ! 王が私を人にした!」
と怒鳴ったかと思うと、サテンはさらりと手を上げた。廊下の向こうからゆったりと小さな影が現れた。この音もない、全てが固まり彫刻になったような世界の中で、年老いた王が、その近習たちを従えて、周囲の異様さに驚いている近習たちを連れながら足早に、その姿からしたら足早に、しかし、マントをひるがえす姿は悠然と、第一皇子に向かって歩いて来た。気が付くと、小さな威厳に満ちた姿がそこにいた。第五皇子とララルーアを従えた、年老いた王がそこに立っていたのだった。
ララルーアの興奮した顔に、厳しい表情の王の顔が対象的に見えた。二人の後ろに立つ第五皇子が周囲を見渡す。ララルーアが振り返って何かささやくと、安心させるような穏やかな表情でうなずき返す。かつての噂と全く違った、落ち付きのある青年がそこにいた。王は落ち着いた声で唐突に話し始めた。第一皇子に話し始めたようにも、サテンに話し始めたようにも見えたのだが、その目は、二人の背後にある、夜空の月を見ているようにも見えた。
「わしは世継を決めかねていた。第一皇子の性急さ、王位への強いこだわり、それこそが王としての必要な要件である、と訴えるその姿は、わしの迷いを増長した。今、第一皇子の振る舞いが、周囲を惑わし、王国に混乱を招いておる。そう思うと情けなく、立太子としての式を望む周囲の声に答えることもできずにおった」
第一皇子が顔をこわばらせて視線を落とす。これまでは王の近習の陰口だった。それが、そのまま王の口から語られる。ふいと顔を上げたかと思うと、第一皇子は、まるで、何かの間違いを探そうとするかのように必死になって王の顔を見た。痛いほどの必死さに、王が目をそらしてしまうほどだった。しかし、王の声は強く続く。
「王は、この国の要である。欲に目がくらみ、思い込みばかりを訴えるような者を王にしては、国を滅ぼすことにもなりかねん。さりとて力のない傀儡を王にして、今後の内乱の渦にするわけにもいかぬ」
と言って、後ろに立つ第五皇子を振り返る。かと思うと、片手を無造作に伸ばして、第五皇子を自分の横へと引っ張った。まるで、サテンに見せるように。
「幸いにも、我が国は幸運に見舞われた。繊細さとか弱さに、王家の重責でつぶれてしまうかと思っておった第五皇子が、成人を前に、正気を取り戻してくれた」




