第75話 決裂
ドルハダスは自分の頭をがんがん叩きながら、はあ、と遠くを見た。
「ゆっくり話してる暇はねえ。人間共の軍がもうそこに迫ってる。連中、近くまで来てからポータルを繋いで魔力を節約してきやがった」
あくびをして、遠くを睨んだ。
「お前さんたち、時間は稼げるか?」
「僕らも結構ぎりぎりだ。彼らにとっちゃ、お尋ね者だし……」
「だよなぁ。じゃあ一番動ける俺が行くしかねえか」
足止めをしようとすれば、魔族であるドルハダスがどうなるかは見え透いている。ゼロはぴくりと反応して、ぎゅっと口を引き結ぶ。
「余は貴公を見捨てるつもりはない」
「ヤバくなったら逃げるっつうの。なあ、シレント?」
「えっ。ああ、うん。それはそうだけど」
現実的な問題を全員が捉えている。だがあえて口にはしない中、年長者のアルバートが代弁する形で声をあげた。
「死にに行くようなものだ。今の君にもほとんど余力がない。相手は数の暴力に加えて、それなりの実力者も混ざっているのだからね」
じゃあ、とレアナが手を挙げた。
「全員でいけばよくねえ? はったりかませば話し合いにはなるかもよ」
「余も賛成だ。ドルハダスが動けるなら脅しもできよう」
逃げるのは難しい。全員がボロボロで、魔物も殆ど戦うために片付けてしまった。湧いてくるまでには少しだけ時間が掛かる。進軍は止められない。
ドルハダスはうんうんと頷いて、自信たっぷりの企み顔を浮かべる。
「いいぜ、全員でお出迎えと行こうじゃねえか」
「僕も賛成だ。今この場で出来ることと言えば、協力し合うことだけだから」
反対意見はひとりもいない。背を向けたところで追い詰められるのであれば、自分たちから前に出ることで生き残る道を選ぶのが正しいと信じた。
そして、彼らはインサニアに入って来たばかりの兵士たちを前にする。あろうことか、彼らを束ねて進軍してきたであろう貴族たちは自分たちが司令塔だとばかりに後方にいる。代表するのは家族を失って戦列に加わった冒険者の男だ。
悍ましいのは、彼らがあまりにも野蛮な行いに手を染めていたこと。死体となって倒れていたヴォリーダの身体に剣を突き立て、憂さ晴らしのように唾まで吐き掛けている。誰よりもこれに怒りを覚えたのがレアナだった。
「何やってんだ、てめえら……」
代表者らしい男が前に出てきて、シレントたちを見つけて睨みつけた。
「同じ冒険者だったとは思えん連中だ。魔族の死体を傷つけてなんだという。挙句、その後ろにいる大柄の魔族は都市を襲撃した怪物だろう。やはり、人類を滅ぼす側についたわけだ。保身のためか、実に嘆かわしい」
ぺっ、と唾を吐き捨てる。シレントもさすがに黙っていられなかった。
「見て分からないほど怒り心頭のようだね。その魔族を倒したのもさっきまで戦っていたのも僕たちだ。少しは話を聞いてくれないか?」
「聞く耳持たん。我々は魔族を討ち果たすために此処へ来た。生かしておくわけにはいかん。我々がどれほどの怒りと怨みを抱えているか分からんのか!」
吼えられてもシレントはさらに前へ出た。
「分かってるつもりだ。僕たちも大切な人たちを失った。だけど、これ以上戦って、まだ人死にを出そうっていうのか。もう戦わなくても済むんだぞ」
男はちらと振り返り、明らかに身分の良さそうな身なりで馬に跨った男に判断を仰ぐ。首を横に振られれば、男はやはりぎろっと彼らを睨んだ。
「我々が引く理由はない! 総員、戦闘態勢に────」
「まあ待てや、人間のくせに威勢がいいのは分かるが」
ドルハダスが鉄球を地面に落として、境界線を引く。たったそれだけだが、傍にあった瓦礫までも軽々と吹き飛ばしたので、兵士たちはざわついた。
「一歩でも踏み込めば戦争だ。しかし、お前さんたちが引き返すってんなら俺たちは二度と、お前さんらの領域を荒らさないと約束する。もうすっかり戦って負けちまったんでな。家族を残してきた奴はいいのか、ここで死んじまっても?」
動揺が波紋のように広がっていく。当然、皆が家族の待つ町へ勝利して帰るつもりだった。だが、魔族がいかに驚異的かまでは彼らに知られていない。背後で彼らを扇動していた貴族たちは、ここぞとばかりに声高に叫んだ。
「騙されるな、何を狼狽えている! 連中は弱っているのだぞ、始末しろ! 家族がなんだ、放っておけば一族郎党始末されるのは目に見えた話だろうが!」
貴族たちが最も恐れているのは、シレントたちの方だ。魔族ではない。彼らが魔族との和解を望み、対話をしてきた事実が彼らに帰る場所を失わせている。
生かして返せば、自分たちが戦争状態の渦中に逃げていたことを知られてしまう。そうなれば立場が危ぶまれる。特にクローディアが生きているのはマズい。どうにかして兵士たちに発破を掛けたかった。
「ど、どうするんだよ……戦うのか……?」
「そうだ、信じられるわけがない。相手は魔族だぞ」
「皇家なんて信用できるものか、スカンダリだって手を組んでた!」
「殺すしかない。殺した方が世の中のためだ」
悪い言葉は響きやすい。どんどん風向きは怪しくなっていく。
「どうすんだよ、シレントぉ……。やっぱやるしかないんじゃないの?」
「落ち着いて、レアナ。まだ全部終わってない────」
何かが起きた。シレントはいきなり突き飛ばされた。
飛んできた矢が、レアナの腕に突き刺さった。
「ってえ……! 誰だ、おい!」
「アタシが治すわ、こっちへ来て」
ルルが激昂するレアナを後ろに連れて下がる。どさくさに紛れて誰かが矢を射ったようで、兵士たちも殆どが困惑していた。今の状況でやる人間など限られているが、多くは誰の仕業が分かっていない。
「僕らの話を信じてくれる者はいますぐ立ち去ってくれ。そうすれば絶対に手出しはしない。だけど、そうじゃない、僕らをどうあっても殺すと言うのであれば、こちらも生き残るために戦わざるを得ない」
シレントがなおも説得を試みたが、恨みのある人間たちはそれを許さない。誰かが射った矢を切っ掛けに、レアナが負傷したことやシレントが咄嗟に動けなかったことで、彼らは消耗していると判断したのだ。
「やっちまおう! 俺たちはこんなにも人数がいるんだ、恐れるな!」
「殺せ! 殺せ! みんな剣を持て、矢を構えろ!」
もはや止めきれないか、とシレントもがっくりする。それぞれ、満身創痍とも言える状態で臨戦態勢に入ったが、ゼロとドルハダスだけは冷静だった。
「二人とも。僕らが時間を稼ぐから、誰かと一緒にクリスタルを破壊するんだ。そうすれば封印が解けて、インサニアからも出られるはず」
せめて救いたかった者くらいはと提案したが、ゼロは淡々と言った。
「そろそろだな、ドルハダス」
「おうとも。良い時間稼ぎをしてくれたぜ、お前さんは」
ゼロが小さく頷いた瞬間、どこからともなく、咆哮や地を踏む音が無数に聞こえはじめる。ダンジョンとしてのインサニアが呼吸を始めた。
「────時間だ。この地に根差す魔物たちが目を覚ますぞ」




