第73話 王
絶対に揺らがない心がある。戦いの果てに死ぬことを求めた者とは違い、その命を繋ぐ理由を失って死を求める者には、どれほど生きる希望を叫んだとしても届くことはない。選択肢を迫られて、レアナはたったひとつを掴み取った。
「来世で会おうぜ、ヴォリーダ」
「覚えていればな」
首が転がり、残された身体は黒く染まって灰のように崩れていく。ヴォリーダは自ら死を選んだ。己に希望はなく、ただ仲間に想いだけを残して。
「レアナ、お疲れ様」
シレントが駆け寄って肩をぽんと叩く。酷く落ち込んではいるが、戦意は失っていない。戦斧を担ぎ、シレントに小さく微笑んで先を歩く。
「行こうぜ。お前のやりたいことの大詰めだ」
「ああ、そうだね」
あと一歩。ドルハダスとヴォリーダの双翼を打倒したのだ。
振り返って、両足を失くしたルルを案じた。
「ヴァーリー。連れて帰った方がいいんじゃ……」
「いや、本人が帰りたがらないのでね。私が背負っていくよ」
「わかった。マズいと感じたら僕が彼女を回収しよう」
揃って先を急ぐ。道中で魔物に襲われることはなく、ほとんどが排除されたのか、あちこちに死骸が転がっている。戦うためだけの舞台になっていた。
インサニアの居城の前に立ち、それぞれが覚悟を決めると中に踏み込む。
地図を頭の中に入れているシレントとレアナが先導して進み、ゼロがいるであろう玉座の間の扉を開く。古ぼけた重い扉は開かれたあと、金具が外れて倒れた。砂埃がたった向こう側で、玉座に腰掛けたゼロが彼らを見下ろしている。
「ゼロ。君に会いに来た……と言いたいが、ご覧のあり様だ」
シレントが残念そうに伝える。ゼロは怒りも何もない眼差しを返す。
「知っている。貴公の努力も、その全てが無駄になったことも。ときに人間は急き、予想だにしない結果をもたらす生き物だ。貴公は運が悪かった」
「なら少しだけ話ができたらいいんだが」
ゼロはゆっくり二回、瞬きをして首を横に振った。
「あの軍を止められないのであれば、貴公らと話すことはない。誓ったはずだ。余らと共に在るのならば人間たちを説得してみせよ、と」
「分かってる。でも、こんなに早く……ひとまず君たちを逃がせないか?」
時間が欲しいという提案。そのためにわざわざ封印を壊そうとするシレントに、ゼロは驚きつつも表情にはほとんど出さずに否定する。
「彼奴等は止まらぬ。余が五百年前に見た醜悪な人間の血が臭う。あれらは決して止まらない獣だ。その本質は余らと変わらぬ。否、余らよりも遥かに汚れている。貴公らでは止められまい。殺し合うことが彼奴等の正義だ」
立ちあがり、手を横に振ると玉座がバラバラに崩れた。
「争いなき平和などありはしない。積み重なった屍の頂きにこそ相応しい。貴公らは────否。汝らが平和を望むのならば、余に打ち勝ってみよ。強さなくして平和は説けぬ。万の兵をも孤独に討てるだけの強さを示せ」
両手を前に構えた。黒い渦がうねり、弾けて、漆黒の剣を手にする。
「全員、戦闘準備だ! 相手は魔族の王、ゼロ! もう説得どうこうじゃない、彼女に打ち勝つ、それ以外に道はなくなった!」
シレントが発破を掛ける。全員が武器を手にして────。
「手緩いぞ、人間たちよ」
ゼロは既にシャーロットの前に立ち、その剣を胸に突き刺していた。
「が……え、なん、で……?」
ゼロは剣を引き抜いてシャーロットを蹴り飛ばして壁に激突させる。たった二秒ほどの出来事。瞬時に、ひとりを戦闘不能にした。その動きを誰も捉えられない。ゼロは淡々と次の標的に向かって足を踏み出す。
「皆、私のところへきたまえ! 結界があれば一撃は防げるはずだ!」
ヴァーリーがルルといっしょになって魔力の壁を作り、レアナとシレントが避難しようとする。その殿にクローディアが剣を携えて立ちはだかった。
「何やってるんだ、クローディア! 君もこっちへ……」
「そんな余裕はない! 吾輩が最も近い以上、犠牲は必要だろうよ!」
仲間の安全を確保するためならば自分の命をも捧ぐ。騎士としての精神を奮い立たせてゼロに挑んだが、空ぶった。真横を堂々と抜けられて驚愕する。
魔力の壁が、指に触れただけで粉微塵に砕け散ってしまった。
「我が双翼を討った汝らの強さはこの程度のものか?」
片手に剣を振るい、ヴァーリーを仕留めようとする。レアナが前に立ちはだかって戦斧をぶつけたが、ゼロの剣は止まらない。ぬるっと戦斧ごとレアナの腕を切り落として柄頭で殴りつけて玉座のあった場所まで飛ばす。
「させるか!」
ようやく剣が止まったのは、シレントが間に入ってゼロの剣を魔力の込められた頑丈なグローブで掴んだときだ。ゼロが意外そうにしている背後に気配を殺して忍び寄ったアルバートが、掌底を叩き込む。
「……はは、冗談がキツいね。これが魔族の王か」
びくともしない。ゼロはちらっとアルバートを見て、無視を決めた。
一度狙った獲物を狩るまで、その歩みが止まることはない。
「待て、ゼロ……! どうして僕を狙わない……!?」
「邪魔だ」
翳された手から放たれた黒い竜巻がシレントを追い払うように吹き飛ばす。慌てて体勢を立て直しても、もはや間に合う距離ではない。
「やめろ、ゼロ! やめてくれ……!」
空しい叫びだけが届く。ゼロが剣を振る瞬間、ヴァーリーはニヤッと笑って、背中に背負っていたルルをシレントのもとに投げた。
「悪い、先に逝く」
真正面から斬られたヴァーリーは、その場に倒れて血の海に沈んだ。
「シレントさん、師匠が……お師匠様が、あああああっ!!」
「駄目だ、ルル! 落ち着け、落ち着くんだ!」
暴れるルルを宥めながら、なんとか対抗策を練らなければと必死に思考を巡らせる間に、ゼロの狙いはアルバートに定められた。
「自分が井の中の蛙だったと思い知るね、これは……老人には荷が重いな」
せめて両腕でもあれば、という希望も空しく感じるほどに実力差がある。ゼロの一歩に、アルバートは自分が臆病になるのを感じた。勝てない。想像した瞬間から、既に敗北は決まっていた。
「下がってくれ、アルバート殿! 吾輩が────アルバート殿?」
前に立ったはずなのに、背に浴びた鮮血にクローディアがゾッとする。拳から腕が真っ二つに切り裂かれたアルバートが両膝を突いている。その背に立ったゼロの振り返った殺意の眼差しが、死を覚悟した騎士の瞳さえ怯えさせた。
「余の戦場ぞ。覚悟こそすれ、臆するのであれば汝の命に価値はない」
失意に沈み始めたクローディアの顎に剣の切っ先を添えて、ゼロは言った。
「それでも、汝らの命は軽いものではない。ゆえに、これは好機と知れ」
剣を引いて、ついた血をぱっと振り払った瞬間、クローディアの鎧がばらばらに崩れた。既に斬り終えた後で、戦意喪失して膝から崩れ落ちる姿を横目に、ゼロは変わらず感情のない眼で、再び玉座のあった場所へ戻っていく。
気を失っているレアナの頭を掴んでシレントの傍に放り投げ、瓦礫の上に腰掛けて彼らから興味でも失ったように戦うのをやめた。
「もう十分であろう。汝らは誰ひとりとてまだ死んでいない。今すぐ立ち去るがよい。攻め入る人間共の軍など見捨ててしまえ。そうすれば、余は汝らを生かそう。これは試しているわけではない。本心だ、どうかよく考えてほしい」




