第70話 犠牲
突然、離れた場所で建物がいくつも吹き飛んで宙を舞った。バラバラになった瓦礫が流星のように降り注ぎ、大地が軽く揺れ動く。
動揺が広がる中、ドルハダスは既に鉄球を手にしていた。
「くひ……何を驚いてやがる?」
ぽんぽんと投げて掴んで遊びながら、ドルハダスはにやりと笑う。
鋭い眼が狙いをつけたのはアルバートだった。
「そらよ、爺さん。さっきのお返しだ!」
剛速球が飛んだ。ルルが咄嗟に張った土の壁を貫通し、アルバートに迫る。ブラスナックルに流した魔力で受け流そうとしたが、その速さと威力に追いきれなかった。間一髪で直撃は免れたものの、残った片腕すらへし折れて使い物にならない。ルルがカバーに回ってレアナとシレントが真正面を、背後をクローディアとシャーロットが囲むようにドルハダスの追撃を食い止めようとする。
「おいおい、そりゃ愚策だ。目の前にいる敵が全てじゃねえだろ?」
飛んで行ったはずの鉄球が、同じ軌道を描いて、まったく速度を変えずに戻ってくる。その軌道上にはルルが立っていた。
「レアナ、まずい!」
「わあってら! 間に合っ────」
間に合うわけがない。離れすぎている。
追撃を避けるためにルルがアルバートを連れて遠ざかったのだから。
ドルハダスを囲んでいた四人が一斉に仲間へ向かうが、間に合うわけがない。高みの見物を決め込み、最初の犠牲者が出たなとほくそ笑んだ。
「まず一匹目だな」
直撃は免れない。ルルはそれでも覚悟を決めて、自身の命と引き換えにアルバートの腕を治そうとした。だが、鉄球は直前で弾かれてあらぬ方向へ飛んでいく。それからぐるりと軌道を描いてドルハダスの手に戻った。
「……なんだ、何が起きた。俺の鉄球をどうやって弾きやがった?」
誰も分からない。司令塔であるはずのシレントですら驚いた。助かるはずのなかった命が守られた。一つの痕跡があるとすれば、強い風が吹いたことだ。
「レオもいないのでは魔法使いに不安が残るだろうと思ってだが」
ふらりと現れた燕尾服の気取った男が、モノクル越しに敵を見据えて歩いてくる。インサニアに入って来た新手は、ドルハダスを横切ってシレントたちに合流する。レオに最も近い魔法使い、ヴァーリーが駆け付けた。
シレントが嬉しさと悲しさの混じった声で名前を呼んだ。
「ヴァーリー、どうして……。お前、長生きするって言ってたろ?」
「いやなに。偉そうに祈っていると言ったものの、弟子に任せきりでは師匠の面目が立たない。なにより妻に申し訳ない」
ドルハダスを前に、ヴァーリーはシレントの肩をぽんと叩く。
「お互い、馬鹿だろう? だったら背負ってくれ、私の命も」
「落とさない保証はないぞ」
「そのときはそのときだ。最初から覚悟のうえでの頼みさ」
シレントはうん、と頷いてヴァーリーの背中を拳でとんと叩く。
「じゃ、君も加わったことだから倒そうか」
士気があがる。どれほど強くとも、最初の相手で犠牲者が出ていては後の戦いなど勝ち目が薄い。ドルハダスが彼らの中で最も倒しやすい相手なのだから。
「言ってくれるじゃねえか。烏合の衆が集まろうが同じことだ、かかってきな。一匹残らずミンチにしてやるからよォ!」
空に投げた鉄球が滞空する。ドルハダスが腕を振り下ろせば、鉄球が合わせて動く。落ちてきた鉄球をヴァーリーが魔力の壁で軌道を逸らして直撃を防ぐ。その隙に個々が距離を開いて、的を絞りにくくする。
「鬱陶しい奴らだ」
地面を拳で殴りつけると、鉄球が地面の中に潜っていく。
「さて、誰が狙われるかね。俺を殺すか、お前さんたちの誰かが死ぬか。楽しい遊びをしようぜ。ハエみたいに逃げ回るだけじゃ楽しくねえからなァ」
見えない場所からの鉄球の攻撃を警戒しながら、全方位からドルハダスを攻撃する。シレントがボンサックの中から取り出した小さな玉が投げられて、また煙玉かと思わされたが、炸裂と同時に強い光と音を発する。
「ぐあっ────このクソったれな小細工が……」
煙のときとは違う。視覚と聴覚を直接潰された。一時的とはいえ、戦闘中では致命的な状態だ。鋭敏な感覚だけを頼りに防御を固める。その肉体の頑丈さはレアナの斧ですら僅かに食い込む程度に済ませてしまう。
「ちっ、なんて硬さしてんだよコイツ!?」
「まるで分厚い鋼鉄を切っているような感覚であるな……!」
感覚が戻るまでは数秒。たった一撃ずつがチャンスだった。
それでも通らない。今までとは比べ物にならない。
「では私が任された。彼の身体にはこっちの方が効く」
アルバートが回転して勢いをつけ、ブラスナックルを付けた拳でドルハダスの身体に裏拳を叩き込む。どれほど頑丈でも内側に響かせるアルバートの打撃は、頑丈にしても防御の緩い内臓にダメージを与えた。
「かは……! っ、ははははは! いいねえ、爺さん!」
ばちっ、と開眼する。打撃は間違いなく喀血させたが、以前のように吹き飛ばすまではいかない。その場で踏み耐えて、老人の細腕を掴む。
「くっ────!? やはりそう簡単には行かんか!」
「あたりめえだろうが、この程度でくたばれるなら魔族やってねえよ!」
背後からレアナが首を狙う。たとえわずかにしか切れずとも、首であれば致命傷になる可能性がある。アルバートもそれを読み、引き合いをしようとしたが、斧が首に刺さりすらしなかった。さらに硬度が高くなっていた。
「アホか、何の守りの自信もなく捕まえるかよ。もっぺん、腕を────」
ざあっと舞った砂が顔にぶつかった。戦闘能力はないものの、ルルの魔法がドルハダスの最も致命的な部分を突いて、もう一度視界を奪う。
「くそ……! あのクソガキが嘗めたことしやがって……!」
掴んでいたアルバートをぶん投げ、距離を取ろうとしたレアナを殴り飛ばす。うっすらと開いた目でルルを捉えたドルハダスが捕まえようと突進する。
「そうはいかんよ。私の弟子だ、そう簡単に手は出させん」
既に弱点は掴んでいる。どれほど頑丈になろうと、元から脆い部分の防御率の高さはさほど変わらない。ヴァーリーは眼球が彼の急所になると踏んで、側面から腕をまっすぐ、ぴんと構えた指先から氷の針が放たれた。
「バレてねえとでも思ってんのか?」
今までの焦燥は演じていたに過ぎない。狙いはルルではなかった。
構えた仰向けの手が、くいっと動く。地面がぼこ、とひび割れた瞬間にルルは咄嗟に跳んだ。狙われたのはヴァーリー。潜っていた鉄球はずっと彼を追尾し続け、ここぞという瞬間を待っていた。だから。
「危ない、お師匠様!」
勢いに任せてルルがヴァーリーを突き飛ばす。
────鉄球は、彼女の両足を粉々の肉片にしてしまった。




