第65話 希望はある
◇
何度も何度も道に迷った。どうすればいいのか、答えは得られなかった。一歩進む度に、全身を圧し潰す現実の残酷さに気が狂いそうになった。何も成したことのない人間が、自分の矜持のために周囲を振り回した結果には何度も叩きのめされた。もうどうしようもないのだと言いたくなるほどに。
闘技場を訪れたときには、あらゆる経験を乗り越えてきたシレントの顔は、すっかり覚悟の決まったものだった。出迎えたアルバートが、彼を見て少しは成長したと分かると嬉しそうな顔をした。
「元気そうだね、シレントくん。状況はどうだい?」
「そりゃもうばっちりで。アルバートさんと今後の方針についても話したくて。闘技場の皆の力を借りたいんだけど、お願いできないかな」
話したかったのは今後の方針だ。既に軍が動いている以上、その行進を止めるのは難しい。話し合いで解決できるほど彼らは甘くない。喪失感に苛まれた市民たちとは違い、彼らは戦う力のある軍人であり、戦う理由を見出している。
「僕らは先手を打ってインサニアに入る。そこでアルバートさんの力も借りたい。あなたがレオと並ぶ強さなのは身を以て知った」
「ハハハ。両腕があるときに比べれば幾分か弱くはなっているよ」
肘から先がない袖をふらふら振って軽く笑う。かなり深刻なはずなのだが、アルバートはさほど気にしておらず、むしろ良いハンデができたと言った。
「あの、すみません。私からもよろしいですか」
エッセレがキリッとした顔で眼鏡をクイッと持ちあげた。
「現段階で都市の復興は40%といったところでしょう。しかし、議会派の方々が軍を連れて出てしまったせいで、我々のように前線に立てる人間が減ってしまうと魔物の襲撃に堪えられない状況にあります。これまでも闘士の方々にお世話になっているのですが、城壁の警備を強化してもらえませんか」
これまでは軍が行っていた警備も、今は兵士がおらず人手が足りていない。彼らが帰ってくるまでの安全を確保してくれなければ困る、とエッセレは落ち込んだ。本来であればギルドの受付として町の仕事に携わりたかった。皆が命懸けの作戦に出ようというときに、ひとりのんびりはしていられない。
「わかった、彼らにも話を通しておこう」
グラスに注いだウィスキーをちび、と飲んで返事をする。
アルバートの部屋には空いた瓶がいくつも転がったままだった。
「随分と酒を飲んでたみたいだけど……」
「やけ酒だよ。レオの話はもう聞いているかい?」
「……ああ、もう魔法が使えないと」
「盟友を失った気持ちになってしまうんだ。それが残念で」
グラスを握りしめる手が仄かに強くなった。
「魔族憎しとは思わないが、彼女は君と同じで戦いが嫌いな子でね。それでもいざというときは、誰よりも前に出て戦っていたよ。私にとっては若い頃からの憧れみたいなものさ。追いついた頃には、すっかり年老いてしまったがね」
結局、超えることはないまま死んでいく。老兵は極めてなお、友を遠い存在であり、最も近い存在としても見ていた。それだけに胸を痛めて自分のことのように悲しんだ。魔法をこよなく愛するレオから、運命は全てを奪っていったと。
「シレントくん、君もそうだ。戦いが嫌いでも、ようやく前に出なければならないと自分で動き始めた。……それは素晴らしいことだが、同時に命を危険に晒す行為でもある。そうだとしても、君はやはり行くのかね」
覚悟を問われて、シレントはきりっとした笑顔で答えた。
「もちろん。きっと彼らとは戦うことになる。それでも、どちらも救えるなら救う選択をしたんだ。そのためなら僕の命くらい安いさ」
「うむ。君についていく仲間なら皆がそう言えるだろう」
グラスの底に残っていたウイスキーを飲み干して、机にどんと置く。
「あいわかった。私はこれから皆に指示を伝えてこよう。それと出発は明日にした方がいい。シレントくん、君は元気なつもりだろうが顔色が悪いよ。正常な判断をするためにも、今日は休んで明日に備えなさい」
指摘を受けて、シレントは自分の頬をぺちっと叩く。
「休んでから帰って来たんだけど、ちょっと精神的に色々ありすぎた。まだ軍がインサニアに到着するまで時間もあるだろうから、そうするかな」
急いては事を仕損じるとは誰が言ったのだったか。そんなことを思いながら、今日はゆっくりと闘技場で休んでいくことにした。何個かある休憩室のうち、関係者専用の部屋でベッドを使って休む。
言われたように、今なら泥のように眠れる気がしたが、ちょうどそこへレアナたちが到着することになる。ひとまず再会を喜びつつ、出発が明日の朝になったことを伝えると、皆がホッとして気が抜けた。
「シレント殿にこうして再会できてよかった。処刑を止めてくれなければ、今頃は広場に惨たらしく首を晒していたであろう。……先に処刑された者を思えば、軽々しく喜んでもいられんのだが」
休憩室にパーティで集まって、クローディアはがっくりと肩を落とす。
空気の重さに息が詰まりそうだった。
シャーロットが空気を変えるために、口を開く。
「わたくしも皆様にお会いできてホッとしてます。まさか、この状況でクーデターを許すとは思ってもみませんでした。この機に権力を奪って国の主権を握りたかったのでしょうか……。市民の命まで危険に晒してまで?」
やれやれ、とシャーロットも俯いて首を横に振った。
「彼らは都市が襲撃されたときには避難してただろ。問題を放置すれば魔族たちの襲撃が待っているし、かといって僕らに任せていれば、上手くいくと彼らにとっては不都合な真実が露呈する。だからスカンダリの罪をクローディアに背負わせて、魔族排除に乗り出すことで自分たちの立場を保持しようとしたかったんだよ」
貴族らしい薄汚いやり方、と内心で非難する。
「にしてもよぉ。そんなクソ貴族共の中から、よくもまあクローディアとかシャーロットみてえな奴が生まれたもんだよなぁ」
レアナの強い言葉に、クローディアとシャーロットは苦笑いで返す。
二人とも好んで貴族に生まれたわけではないし、嫌ってもいるのだ。
気まずい空気をシレントがぱん、と手を叩いて追い払う。
「ともかく。今日のところはひと休みだ。アルバートさんからも言われてるし、急いでも良い結果は得られない。侵攻には最低でも二日掛かるし、出立が今日である以上は最低でも明日の朝はまだ中間地点を過ぎる頃だ。僕らはポータルで移動するから焦る必要はない。皆、今日のところはゆっくり英気を養ってくれ」




