第64話 届いた手
場が、しんと静まり返った。こればかりはシレントも初耳だった。
「あっ、レアナ、それ僕も初耳なんだが……」
「言ってねえからな。お前、落ち込むだろ」
言葉が出ていかなかった。レアナは最初から、起きた戦争の本質の中に、シレントが関わっているのを分かっていた。魔族の動きが早すぎて、闘技場に現れたときに悟ってしまったのだ。これを呼び寄せたのは自分たちだと。
ふう、とひと息ついてから民衆に向けての話が始まった。
「町の結界までぶち割って魔物が町に入ってきたとき、私は何が起きたか分かんなくて、あっちこっちで襲われてる人を助けてた。でも、途中で気付いたんだ。私にも親父がいたって。酒癖が悪くて私のことを怒鳴りつけて瓶で殴ってくる嫌な父親だったから、相手にもしてこなかったのに、いざってときには心配になった」
馬鹿だな、とは自分で心底思った。助けに行ったってまた文句を言われるだけなのに、それでも放っておけなくて必死に走った。
助けられる人たちを助けて、周りにいた冒険者なんかに任せたら、貧民街で暮らしてる父親のもとへ走った。どこもかしこも死体だらけで、貧民街は人の流入を嫌がったのもあって、助けにきた人たちも殆どいなくて酷い有様だった。
何匹も殺して。殺して。助けて。助けて。やっと辿り着いた家は扉が壁ごと壊されていて、中には横たわってされるがままに喰われる父親の姿があった。かくして彼女は頭がおかしくなりそうなほど、現実を受け入れられなかった。
「────私の親父は可哀想な人だった。親父と私を捨てて出て行った母親のことが忘れられず、いつもどうしてこうなったって喚いてた。大人になって家を出てからは私のことも嫌いになったと思ってた。でも違ったんだよ」
ポケットの中をまさぐって、くしゃくしゃになった紙を広げた。
「魔物を殺して親父の死体を見たとき、その手に大事そうに握ってたんだ。私が子供の頃に描いた親父と手ぇ繋いでる絵を嬉しそうな顔で握って死んでやがった。クソほど腹が立ったぜ、そんな顔すんなら、もっと前に見せてくれてりゃ……」
怒り。苛立ち。悲しみ。後悔。ないまぜになった感情の先が見えない。
「私は泣かなかった。でも、夜ひとりになったら寂しくてよ。……また魔物が襲ってきたらどうしよう。守れなかったらどうしよう。そんなことばかり考えてた。でも考えるだけで魔族が消えるか? 魔物が死んでくれるか?」
民衆は答えない。ただ気まずそうに顔を見合わせるだけだ。
レアナは分かっている。彼らは喪失した痛みに耐えられなかったんだと。
「戦うことは簡単だ、勝てばいい。じゃあ負けたらどうする。戦場を知ってる私たちが殺されたら、戦えないお前らはどうやって魔物と戦う。ただ踏み躙られるだけだ。それをどうにかしようとした連中に石を投げて、あんな腰抜けの戦ったこともねえ貴族共の言うことを聞いてどうする?」
民衆の心が、ゆっくりと傾いていく。不満ばかりが載せられた天秤が、現実という名の重りに動かされていく。
冷静さを取り戻したシレントは、今が好機なのだとばかりに加わった。
「君たちの不満は尤もだ。魔族を信用できないのも、スカンダリのせいで王族への信頼を失ったのも分かる。けど、少しでも君たちに人の心がまだ残っているのなら処刑はやめてくれ。君たちをこれ以上責めはしない。だから、一度だけ君たちも僕らを信じて歩み寄ってくれないか。必ず、なんとかしてみるから」
声が届いたかどうかは、まだ分からない。だが、居心地の悪くなった民衆はぽつりぽつりと、その場から立ち去って数を減らす。
残っていた人々の中から、ひとりが手をあげて尋ねた。
「俺は娘を殺された。もうすぐ結婚するはずだった子だ。俺には力がなくて助けられなかった。悔やんでも悔やみきれねえ。なのに、あんたらは魔族とそれでも手を取る選択をするっていうのか?」
声が震えていた。悲痛な問いかけだ。今にも膝から崩れ落ちそうに見えた。
答えたのはレアナだった。
「ああ、そうする。お前らがまた誰かを死なせて後悔するのは嫌だろ」
レアナは、申し訳なさそうに男にニカッと笑う。
「任せとけ。もう誰も死なせやしねえよ。対等な関係でいられるくらい、私も強くなったから……。誰も死ななくて済むよ。シレントがそうしてくれる」
答えを聞いて、男が膝から崩れ落ちて泣いた。ただ辛かった。どうしたらいいか分からなかった。何かの間違いだと思いたかった。誰かのせいにして、自分の痛みを少しでも和らげようとしていたことに、ただ悔やんでいた。
シレントが、そんな男の前に片膝を突いて声を掛けた。
「すまない。きっと僕らが恨めしくて仕方ないんだろう。今も苦しんでいると思う。どうか僕を許さないでくれ。全部やり遂げたら、どんな罰も受けると約束するから、今は託してほしい。僕を信じて、その想いを預けてくれないか」
男は静かに、シレントにしがみついて震えた声で絞り出すように。
「頼む……! もうひとり娘がいるんだ、これ以上は失いたくない……!」
ようやく。ようやく、何かが実り始めた気がした。
シレントは男に手を貸しながら一緒に立ちあがった。
「レアナ、ルルと一緒にクローディアとシャーロットを迎えに行ってくれ。僕はエッセレさんと闘技場へ行くから、ギルドで落ち合おう」
「……おう。もう踏み外すなよ。お前だけは信じるのをやめんな」
危うく、何もかも見捨ててもいいと堕ちてしまうところだった。レアナは、そんな彼の内心を見抜いて助け舟を出したのだ。ずっと黙っていたことを、辛い記憶を掘り返してまで。
「ああ。申し訳ない、もう大丈夫。────最後まで信じるよ、皆を」




