第63話 巣食った悪意
シレントは急いでギルドに走った。ヴァーリーに認識阻害の魔法を掛けてもらい、ルルと一緒に。それからエッセレ、レアナと合流する。事態には一刻の猶予もない。軍がいないといっても、変わらず処刑は執り行われてしまう。
レオの面倒を見るために残ったヴァーリーから処刑の時刻が迫っていることを聞き、急いで救助に向かうことになった。
「なあなあ、シレント。この先どうすんだよ。多分、処刑の準備進めてるってことは広場にいるぜ、クローディアもシャーロットも。けど、そこで大っぴらに助けたらそれこそ議会派とかいう連中の思い通りにならねえ?」
「多分ね。……でも、たとえそうなってもいい。訴えるしかない」
レアナにはシレントの考えがもう読めなかった。前まではどこかくたびれた中年だった男の横顔は、今や地獄を見てきた人間のする表情だった。
「……そっか。じゃあ私も最後までついてくさ、心配すんなよ」
「ふふ、ありがとう。君と会えてよかったと本当に思う」
何も得られないかもしれない。失う可能性もある。ようやく、覚悟が決まった。人間は思い通りにはならない。魔族もそうだ。 何も、思い通りにならない。
「どっちも救えるだけ救う。手ぇ貸してくれるよな、レアナ?」
「あたぼうよ。私を誰だと思ってんだ」
前を走っていたルルが、大広場を指さす。
「見て、絞首台に……!」
「────嘘、だといいんだけどね」
相手は選ばない。クローディアだけではないのだ。次から次へと、作業のように吊るされていく。もう何人積みあがっているか分からない。王党派とされた従者たちも市民も、見境なく。
「……狂ってますね。あれが同じ人間の所業とは」
「アタシも分かる。この国は狂ったんだ」
シレントは立ち尽くした。何人も殺された光景を見て、失望するしかなかった。これでは獣同然。理性とはなんなのか、知性とはなんなのかを考えた。
「魔族よりも、ずっと野蛮じゃないか」
握った拳が震える。爪が手のひらに食い込んで血を流す。
処刑台に立つ貴族の男が、声高らかに演説をした。
「見よ、市民たちよ! 王党派の者たちは魔族と結託し、我々の友人や肉親を奪い去った! にも拘わらず、まだディナモス皇家が国を支えるなど、誰が信用できるものか。またしても魔族と手を組み、我々を騙す算段を整えるに違いない! だが、今こうして我々は勝利した! 奪い返した! 連中から、この町を! 王制は終わり、新時代がやってくる。魔族の首を討ち取り、王党派を撲滅して讃えよう! 我々の世界は我々のものであると──────!」
もう耐えきれなかった。レアナに腕を掴まれ、制止されたがシレントは振り切った。まだ処刑が行われていないなら助ける方法はいくらでもある。
「だっ、誰だ貴様は!?」
絞首台にあがったシレントが、取り押さえようとした執行人たちを引きずりながら、演説を行っていた貴族の前に向かう。
「ひ、ひいっ……! はやくこの男を止めろ、俺を殺させる気か!」
しりもちをつき、腕を盾のようにして庇いながら叫ぶ貴族の男に、シレントは呆れてしまった。結局はこれが本性だ。欲に塗れた人間の、ゼロたちが最も嫌う人間の素顔。こんな奴らがいるから、と怒りが込み上げてきた。
「自分がそんなに大事か。部下の命は守ろうとせず、人前に姿を現すのは安全なときだけだ。此処にいる民衆も皆、同じだ。安全圏から石を投げて、それで満足か。自分たちが奪われたから、罪もない人間を殺すのか」
引きずって来た男たちを軽々と振り払って、貴族の男の胸倉を掴む。
「何人殺した?」
「え……いや、覚えてな……」
言い終えるよりも早く、絞首台の外に投げ捨てた。地面に体を打ち付けて悶絶している姿に目もくれず、シレントは集まっている人々に向き直った。
「お前たちが殺したひとたちは、決して悪人なんかじゃなかった。皆と同じ立場で、少しでも良くしよう、前に進もうとしたんだ。なのになぜ殺した。なぜ誰も止めなかった。なぜ、自分の保身に走るような連中の言葉に耳を傾けた?」
絞首台の傍に積まれた死体の中には、見知った顔がいくつもある。クローディアのお茶汲みをするのが日課だった若いメイドがいる。周りの疲れた顔を見て気遣いを絶やさなかった執事がいる。庭が荒れていては気持ちも暗くなると言って綺麗に刈った庭師たちも殺された。納得がいかなかった。
民衆のざわつく声の中から、ひとりが吠えた。
「ディナモス皇家は魔族と結託してたんだろうが! 俺たちをまた騙すに決まってるのに、そのまま放っておくわけがない!」
その声に続けとばかりに反論がいくつも飛んだ。
「俺たちは家族を奪われたんだぞ。黙っていられるわけがない」
「私の子供を返して!」
「お前みたいな連中がいなけりゃこの国は平和だったんだ!」
どれもこれも聞くに堪えない。怒りは静かに燃え続け、視線は冷たくなった。これが極めて一部の民意でしかないことも、理解できていた。
「声がでかいんだよ。お前たちは満足か、自分たちの家族が奪われたという理由で行き場のない怒りの矛先を無実の人間に向けて。彼らにも家族がいて、その命が奪われたという発想はできなかったのか?」
ポケットに捻じ込んでいた煙草の箱。最後の一本だった煙草とマッチを取って吸い始め、気分を落ち着かせるために煙をいっぱい吸い込んでゆっくり吐く。
「まず馬鹿な君たちに全部教えてあげよう。ディナモス皇家ではなくスカンダリが個人で結託していただけのことだ、全員の問題じゃない。少なくともクローディアは真剣に向き合おうとしていた。家族を奪われて黙っていられないというのも違う。彼女たちはむしろ一人でも多く救おうと努めた。そしてなにより僕らがいなければ平和だったと言うが、本当にそうかな。封印が壊れれば勝手に目覚めるのに」
民衆がざわつき、まとまりがなくなり始める。シレントはなおも続けた。
「お前たちはあれかな。この処刑された人たちとは顔見知りで、話したこともあるのかな。一緒に働いたことは。愚痴を聞いたことは。町で見かけたことは。どんなふうに笑って、どんなふうに泣いて、どんなふうに歩いて、どんなふうに話すのか。手は綺麗だったか。趣味は何か。何歳なのか、どこの生まれなのか。────何ひとつ知らないくせに、気に入らないということだけは分かるんだな?」
つまんでいた煙草を放し、ぽとりと落ちると踏み消す。
それから、フッと小馬鹿にするように鼻で笑った。
「僕はたくさんの人たちが救われるよう願った。そのために動いた。……残念だよ、正直。魔族と人間の共存関係が組めるかもしれない。そう信じて前に進んできたが、お前たちに関しては死んでくれた方がまだマシだ」
呆れて、呆れて、期待のできない人間には期待しないことを選んだ。処刑される人々に石を投げ、あたかも自分が善であるかの如く胡乱な正義を振り翳す人々にだけは、手を差し伸べたくないと本気で思ってしまった。
そこへレアナとルルも絞首台にあがってきた。
「シレント、私からもちょっといいかな?」
「……話したいことがあるのなら」
「ありがとな。時間、あんまないだろうけど」
レアナが見た民衆の、ひとりひとりの表情は暗い。失意の中で何をしていいかも分からず、ただ失ったことだけを訴え続けている。だから。
「こんな話して、お前らに伝わるか分かんねえけど、まずは聞いてほしい。────私の親父も、魔物に喰われて死んじまった」




