第59話 救済は要らない
仕方なく席に着いたものの、ゼロは乗り気にはなれなかった。目の前から確かに鼻腔をくすぐる香りが漂うのは分かるが、食欲は湧かなかった。
「オイオイ、大将。どうせ住まわせてやるんだからメシくらい作らせたっていいじゃねえか。ビビってねえで食っちまえよ。肉が泣いてるぜ」
「ドルハダス……。貴公はそもそも遠慮という言葉を知らぬのか?」
そんなもん知ってたら食ってないと言わんばかりの反抗的な目を見て、ゼロはもはや何も言わなかった。この男はそうであった、と。
だが、ヴォリーダまでもが懐柔されているのが気に喰わない。
「貴公らは余の味方か、それとも敵か」
「俺はいつまでもお前と同じ価値観だ、ゼロ。ドルハダスは知らんが」
「ならばなぜ馴れ合う。よもや絆されたとは言うまいな」
睨まれてもヴォリーダは淡々と切り分けられたステーキを口に放り込む。
「拒否する理由がなかった。人間はどうでもいいが、この食文化については俺たちも考えるべきところがある。ただ血肉を喰らうよりも効率よく吸収されている気がするんだ。ゼロも一切れだけ食べて確かめてみてくれないか」
口が上手いなあ、とシレントは横目に見ながら食べ進める。
ゼロがいつ口に放り込むかを待っていた。
「……味はいい。だが吸収率に大きな差はない。貴公らとでは魔力量が違うからやもしれん。この程度であれば余には必要ない」
食器を置いて、ゼロは静かに席を立った。
「それは他の者にやる。余はしばし眠らねばならん。……それから」
食堂をでる直前、ゼロは足を止めてシレントに振り返った。
「馳走の礼はそのふたりがやるだろう。気が済んだなら早く戻れ」
「え。あ、ああ……ありがとう」
ゼロがいなくなると、気が抜けたかのようにドルハダスが残された皿に手を伸ばす。食器など使わずに手で豪快に口に放り込んで、へらへら笑った。
「寛大が過ぎるね、うちの大将は」
「貴様らに褒美を出せと仰せだ、何か持ち帰るといい」
少しは気を許してくれたのかな、とシレントは嬉しくなって頬が緩む。
「そうだ、この調子で一ヶ月くらい居てもいいかな?」
「私も鍛えてもらわなにゃならねえし、その方がいいな」
居座る気満々の二人に、ドルハダスも呆れて手で顔を覆った。
「これでよく生き残ってきたな……。哀れに見えてくるぜ」
「同感だ。馬鹿もここまで来ると清々しい」
食事を終えたヴォリーダも席を立ち、レアナの頭をつんと指でつく。
「一週間だ、それ以上の面倒は見ない。鍛えてほしいのなら今すぐ来い、第二層が最も広いから、そこで鍛えてやる。……わかったな、レアナ?」
そう言ってヴォリーダは静かに去っていく。レアナはまだ食べ終えていない残りのステーキを口に放り込んで、もごもごと咀嚼しながら後を追った。
「待っ……待てよ、私の名前呼んだろ! なあ、ヴォリーダ!」
「うるさい。耳障りなのは嫌いだ、黙ってついてこい」
声が遠く離れていく。全員が食べ終えたら、シレントが食器を片付け始めた。ドルハダスは部屋から出て行かず、足を組んでその姿を眺めている。
「あの、僕が何か気になるのか?」
「お前が善人なのか馬鹿なのか、それが気になっちまってよ」
くくっ、と笑ってドルハダスは天井を仰ぎ見た。
「五百年前、俺たちは良いように騙されたわけよ。自分たちが間違ってたなんざ言い出して、軍総出で目の前で武装解除までしてみせた。そりゃ俺たちも信じちまうってもんだろ。まあ、俺は最初から疑っちゃあいたがね」
何かの罠だとは思った。しかしそれも、封印まで至るとは思っていなかった。何かされても抵抗できると考えた詰めの甘さを自虐する。
「正面切って戦えねえ連中だ。何かこっちの不意を突いて弱体化を狙うと考えた。なにしろ俺は戦うのが好きだから、疑っていてもそっちに頭が回った。んで、結局これよ。五百年も退屈だったぜぇ、マジで」
「……だから、僕たちとは絶対に和解しないと君は言うのか?」
食器を片付ける手が止まり、質問の答えを待った。
ドルハダスはテーブルに肘を突き、シレントをじっと見る。
「満足できればいい。そうさな、死ぬほど最高の戦いがしてぇ。もしあのガキがヴォリーダに勝てるようになれば、俺のことを殺してくれる。そう感じてる。いや、理解してる。良い女を連れてるよなァ、お前さんは」
古いワインボトルのコルク栓を指でつまんで引き抜き、中身を飲み干す。
「俺は死にたいんだ、シレント。戦って、戦って、それで死にたい。ゼロやヴォリーダは俺を敵と見ちゃいない。戦うべき相手と考えてない。そんな中途半端な気概の奴に殺されるのはつまらねえ。本気で俺を殺す気でいる、俺より強い奴と戦いたい。あのレアナってガキは、その代表だ。いや、あるいは────あの黒い甲冑のガキもいい。あれは強いぜ、人間にしちゃあ格が違う」
まったく理解ができなかった。他の二人は葛藤がある。裏切られていなければ違う未来があったと分かる。もしかすると救えるかもしれないと予兆すらあった。なのにドルハダスからは、その可能性が微塵も感じられない。
半ば虚ろな目が期待を宿して、酒を煽っては恍惚を浮かべた。
「あァ、でも。お前でもいいんだぜ。弱いふりはやめたんだろ?」
「……君はそんなところまで見抜いてるんだな」
「それが取り柄だ。殺し合いたい奴のことはよく見てるもんさ」
ボトルをテーブルにそっと置き、ドルハダスはようやく席を立った。
「俺には闘争が必要だ。そいつは朝起きて息をするくらい当たり前で、妬けるくらいに愛しちまったのさ。ゼロやヴォリーダは運が良い。普通、魔族ってのは邪悪に染まってる。俺は理性的だが、あいつらよりはケダモノだ」
大きな手がシレントの背中をばしっと叩く。
「お前が聖人でも馬鹿でもいいが、本質の見極め方だけは正しく在れよ。救える奴ってのは、いつだって手を伸ばしてる。そうじゃねえ奴にはどれだけ伸ばしたって届かないこともあるんだ。だから俺はお前さんたちを殺すぜ、覚悟しとけよ」




