第58話 小さな一歩
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廃都インサニアに、長い夜がやってきた。
特殊なダンジョンの性質は昼が短く、夜が長い。月明りの照らす廃都は活動的な魔物たちの縄張り争いがあちこちで起き、唯一彼らが近寄らないゼロの居城の周辺だけが平和そのものだった。
城の中を照らすものは頼りない蝋燭の灯りだけだ。魔族は夜目が利くのでもとより必要はないが、しばらく過ごすのなら必要だろうとヴォリーダがあちこちに蝋燭を置いて回ったのだ。嫌いだと言いながら。
「君って案外世話焼きだよねえ」
「……ゼロの客人だ、相応のことはせねばならん」
相変わらずつんけんした態度でシレントは苦笑いをしながら、料理を続ける。しっかりと濃い味を付けたステーキに、特製のソースを絡めていく。
ヴォリーダはそれをずっと眺めていた。
「君たちは料理ってしないのかい」
「栄養を取れれば十分だ。それに、この量ではまるで足りん」
「……普段どれくらい食べてるの?」
「ミノタウロスを見ただろう。あれを三匹、一度に喰らう」
多すぎだろ、と顔が引きつった。どこに食べた分が消えているのかも分からないレアナですら、せいぜい一匹分だ。魔族の底知れなさは強さだけではないらしい、と意外な一面も知った。
「じゃあ今はお腹空いてないって感じだ」
「ああ。だが、お前たちのそれには興味がある」
「ふふふ、これは凄いぞ。君たちも腰を抜かす」
まな板に置いて切り分け、ひとつを包丁に器用に乗せてヴォリーダに差し出す。一切れ食べれば気持ちも分かるはずだと。
「これが本当に美味いのか?」
「君が作れたらゼロも大喜び間違いなしさ」
「……ふむ、では頂こう」
つまみあげて、大きく開けた口の中に放り込む。
口の中に溢れる甘い油と甘辛いソースの味が口の中に旨味となって広がり、しっかり火の通った表面とは裏腹に中はレアに近いが柔らかく蕩ける感触が、しっかりと食べ心地の良さを感じさせた。思わず黙り込んで味わってしまう。
「どうだい、悪くないだろ」
「人間はこうしていつも食べているのか?」
「そうだよ。君たちは農耕は……」
「見ての通りだ。お前が使った調味料とやらは俺たちには手に入らない」
人の手によって開拓され滅んだ都市の中に、植物を育てられる環境はない。
五百年前ならいざ知らず、今の状況で食を楽しむのは不可能だった。
「君たちと和解が出来ればこんな未来もあるんだろうな。一緒に食事を楽しむなんて最高じゃないか。……といっても、君は僕らが嫌いだったっけ」
「そうだな。ドルハダスがあの場にいなければ、俺は間違いなく殺した」
直接言われると背筋にひやりとしたものが走る。
淡々とした態度が真実を物語っていた。
「なぜ、お前は自分だけ生き残ろうとしないんだ。ドルハダスが言うように、お前と仲間だけでも助かれば十分じゃないか。他の人間まで救う理由がない」
「ううん、そう言われると難しいんだけどさ」
別に全員が好きなわけではない。博愛主義者でもない。ただ助けたいと思った。救うべきだと感じた。今まで、誰かの亡骸に涙を流す人々を見過ぎた。
「もう泣かなくていいようにしたいんだよ。僕自身も、他のみんなも。人間同士でさえ争いは絶えないから、せめて分かり合える相手とはそうしたい。それでひとりでも泣かなくて済むなら、そうした方が良いかなって」
自分で言っていて馬鹿げていると思いながら、シレントは続けて言った。
「理屈じゃなくて感情の話さ。ゼロや君が泣いたら、僕も悲しいよ」
「……ドルハダスはその枠に入らないのか」
「あれは根っからの狂人じゃないか。むしろ楽しんでるだろ」
それはそうだ、と思う。ヴォリーダは納得して顎をさすり、ふと尋ねた。
「お前は俺たちを魔族ではなく、同じ人間だと?」
狂人という言葉に引っ掛かりを覚えた。
だが、シレントは不思議そうに小さく首を傾げた。
「そういう種族なだけだろ。身体の形は違うかもしれないけど、会話も出来て文化も理解できる。立場だって考えられる。感情を持ってる。……それって、人間と同じじゃないか。僕らとは文化が違うだけだ」
真剣な顔をしてステーキを皿に盛りつけて、当たり前のように語った。
「人間はね。肌の色が違っても嗤うし、瞳の色が違っても嗤うし、人種が違っても嗤う。暗い性格をしていると爪弾きにされる。周りの意見と食い違ってもだめだ。都合の良い解釈で出来た常識を知らなければ非難される。それでも支え合える人間が、支え合って生きている。何事もないように、見て見ぬふりをして。だったら君たちを人間だと言っても、それは間違っているわけじゃない」
ヴォリーダには、シレントがあまりにもいびつな人間に映った。
五百年前の人々は都合良く挑み、都合良く和解を申し入れ、都合の良い言葉を並べ立てて罠に嵌めた。封印したことさえ悪びれることもなく。悲しんだりもせず、ただ嗤っていた。喜んでいた。なんと間抜けな連中だと。
だから人間はそういう生き物だとヴォリーダは信じている。ひとり残らずがそうだと。なのに、シレントはそれを根底から覆そうとした。
「理解ができん。お前のそれは人間らしい考えではないだろう」
「どうだろうなぁ。僕も自分が絶対正しいと言うわけじゃないけど」
盛り付けの終わった皿や食器をワゴンに乗せて準備が済むと、シレントは腰に手を当てながら満足げな顔をする。
「考え方に国境はないし、分かり合えることもあると思うんだ。今みたいに、こうやって腹を割って話せる機会があるくらいだからさ」
「……俺が運ぼう。少し顔色が悪いようだ」
「あ、そう? ありがとう。じゃあ皆を呼んでくるよ」
初日で随分と思い知らされてしまった。分かり合おうとするだけでは、話をするだけでは、決して埋まらない溝があることも。自分が未熟で、レアナでさえも先のことを考えている。吐き気さえする自分の甘ったるさに呆れて言葉も出ない。
反対側へ歩いていくヴォリーダを振り返り、眉尻が下がった。
「良い落としどころが見つかればいいんだけどな」
頭を掻きながら、のんびり歩きだす。ゼロの寝室に行き、扉をノックするが返事がない。静かに開けてみると、彼女は窓の外をずっと眺めていた。
「ゼロ、食事の準備が出来た。よかったら一緒にどうかな?」
振り返ったゼロは相変わらずの無表情だが、瞳の中に嫌悪を感じた。
「私は結構だ。誰かと食事を共にするつもりはない」
「料理ってのをしてみたんだ。君も気に入ると思って」
「貴公は会話をするつもりがないのか?」
うんざりだとばかりにため息を吐き、窓の外へ視線を戻す。
「余は人間の食事に興味がない。他の者たちと済ませ────あっ」
ぐいっと手を引かれて、甲高い声が出た。思わず口を押えて自分で驚いた顔を浮かべた。シレントはニコニコしながら食堂へ連れて行こうとする。
「ほらほら、行こう! 皆を待たせたら料理が冷めてしまうだろ?」
「貴公は愚か者だ。余は一度食事をしたら三日は要らん」
「だったら腹を満たすためじゃなくて、ちょっとした趣向だと思えばいい」
ぐいぐい引っ張られて、抵抗しようと思えばできたはずなのに、ゼロはその気がなかった。ただされるがままに食堂まで来て、ヴォリーダやドルハダスが既に席に着いて待っているのを見て、呆れ果ててしまった。
「……貴公らともあろうものが、情けない」




