第57話 その時が来たら
ゼロの願いに耳を疑った。大切な家族ではなかったのか、と意図が汲み取れない。できれば戦わない方向で進もうとしていただけに唖然としてしまった。
「ドルハダスはまだ分かる。彼は戦いが好きだろ。でもヴォリーダは違う。話せば分かってくれそうな雰囲気があった。殺す必要なんか────」
「既に彼奴の道に退路はない。滅びるか、新たな人類となるかだけだ」
「それは新人類とかいう……?」
ゼロは小さく頷き、はるか遠くで狩りをするヴォリーダを見た。
「もはや火種は撒かれた。貴公がどう動こうとも、人間は侵攻を始めるであろう。余は決して貴公らと和解の道は取らない。……もう裏切られるのは結構だ」
「僕は裏切らないよ、ゼロ。それは約束できる」
ゼロはそれでも、首を横に振った。
「貴公は正しい。その選択は間違ってなどいない。余らもそう思うだろう。だが、ヴォリーダのように人間を愛すほど憎んだ者には二度と戻れない道がある。腐った果実が紛れ込んでいても、隠れていては目に映らぬことを忘れるな」
そう言い残してゼロは戻っていく。
鐘の塔で、シレントは座って考えた。
「腐った果実か……」
どうやっても民衆を説得はできないのだろうか。
そんな考えが脳裏を過って、頭を振った。
人々は対話ではなく屈服を選んでいた。生贄を捧げようとして。だが、それでも侵攻は起きた。大勢の人間が殺され、悲哀と憎悪が広がる町で、どうやって彼らの意思をひとつに纏められるのかと不安が押し寄せてくる。
(分かってる。今の状況じゃ良くないってことは。でも争いが起きたらどうすればいい。もし失敗したら。必ず成功するとは限らない。二の矢も必要だ。だけど、何をすればいい。何が正解なんだろう)
遠くで魔物たちが狩られている。クリスタルから自然と湧き続ける存在はゼロの封印が解ければ消えるだろう。そして、その瞬間を合図に魔族の侵攻は始まる。たった数体の魔族たちが、数千万の人間を滅ぼす勢いで闊歩するのだ。
「……ま、すぐに答えが見つかる問題じゃないか」
そろそろレアナも探索を終えている頃だ。合流を優先して、今は深く考えないように頭の片隅に追いやった。
複雑な城の道を記憶を頼りに戻り、入口に戻って来たときレアナはヴォリーダと話していた。何を話しているのか気になって、つい隠れてしまった。
「お前はどうしてもその、新人類とやらになりてえの?」
「なりたいのではない。既に俺たちはそうだ。だが……お前たち人間はそれを許さないだろう。認めたいもの以外を認められない生き物だから」
レアナは腕を組んで、う~ん、とうなりながら首を捻った。
「言いてえことはわかるよ。でも、そりゃお前らもじゃねえのか」
「俺たちも?」
「気に入らないから殺す。やろうとしてることは私らと変わんねえだろ」
「……かもな。ドルハダスが侵攻さえしていなければ違ったかもしれないが」
獲ってきた魔物を背にもたれかかり、ヴォリーダは空をみあげた。
「五百年前の闘争で、俺たちはただ人間が嫌いになっただけなのかもしれん。だが、いまさらこの感情に切り替えが利かんのだ。お前たちにとっては知らぬ過去なのかもしれないが、俺たちには昨日のことのように思い出せてしまうから」
体を抱きしめながらヴォリーダは居心地の悪さを感じてため息を吐く。
「俺たちの感情は踏み躙られた。もう疲れたのだ。ゼロも俺も、おそらくはドルハダスも。お前たちを愛せても人間に期待は持てない。お前たちが説得できたとしても、ゼロはドルハダスと共に前へ進むだろう。俺には、それに従う以外の道が見えない。申し訳ないとは思う。だが、もう抑えが利かない。俺たちは魔族で、この内側に眠る闘争本能の全てを否定しきれないんだ」
今もレアナに対する殺意のようなものが胸の深いところで湧き続けている。ただゼロが殺さないから見過ごしているだけ。そうでなければとっくに射った。
その滲みだす怒りと憎悪に、レアナはニカッと笑った。
「じゃあ、そんときゃ私が殺してやるよ」
表情とは裏腹に、決して軽い気持ちではないことをヴォリーダは理解する。
それだけに。それだけに人間が、羨ましくてたまらなかった。
「貴様は強いな。……名を聞かせてくれないか」
「レアナだ。お前はヴォリーダってんだろ?」
「ああ。もし、貴様が俺を殺せたら、そのときは覚えていてくれ」
気持ちが軽くなると、仕事の続きだと獲物を引きずってどこかへ立ち去った。隠れていたシレントがようやく出て行くと、レアナはふんと鼻を鳴らす。
「遅い」
「ごめん。話してたみたいだったから」
「……あいつ、可哀想だな」
「でも戦うんだろ。彼が敵になったときは」
「当たり前だ、約束したからよ」
人間を滅ぼしたいと思う一方で、滅んでしまいたいと願う。ヴォリーダは自分の目的がなんだったのかが曖昧になってしまった。五百年の失望は、目の前に起きるあらゆる破滅だけを望むようになっていた。
「死にたいってんだ。殺してやんなきゃさ」
「できそう?」
「今は無理。ドルハダスにも勝てねえのに」
シレントは少し驚いた顔で尋ねた。
「まさかヴォリーダの方が強いのか?」
「とんでもねえ強さしてんぞ。あと数か月であれを倒せるか分かんねえ」
偉そうに殺すとは言ったものの、明らかに格が違う。とはいえ死にたがっていても、ただ命を差し出すわけではない怪物の心を殺して救おうというのだ。生半可な覚悟で言ったつもりはない。
「私は強くなるよ。意地でも連中を超えてやる。んで、きちんと決着をつける。だからヴォリーダは私に殺させてくれねえか?」
「……別に構わないけど、どうしてそこまで彼に入れ込むんだ」
やけに心配するレアナの違和感を突き止めようとすると、彼女はただぼんやりと遠くを見つめて、静かなインサニアの景色を目に焼き付けながら。
「私も裏切られた側の人間だからだよ」
幸せに満ちた時間はいつの間にか終わってしまった。母親はどこの誰とも知らない男のために家を出ていき、家族との貧しい暮らしよりも贅沢ないっときの恋愛に身を窶して、その結末はゴミのように捨てられる最期だった。
父親は酒に溺れ、抱えていた優しさは黒く染まって暴力を振るうようになった。執拗に責め立てられ、罵られてきた。心は空っぽの器になった。
「そりゃあ、殺さなくて済むならその方が良いさ。私だって荒んでたから気持ちは分かる。それが五百年も続いたとなりゃあな。だから止まれなかったときは、せめて嫌いじゃねえ奴の手で死んでほしいんだ」




