第56話 五百年の渇き
またひとりぼっちになったシレントは、城の探索を再開する。不慣れな城の内部は気付けば同じ通路を歩いていたり、鍵が壊れて入れない部屋があったりと見れない場所は多い。とはいえ、いくつか使えそうな寝室は見つけた。
「どこも本当にきれいだったな……」
広大な城をくまなく掃除して回ったのだろうか。あのヴォリーダが。なんとなく不思議だったが、彼らが別の生活圏を持つ人間だと思えばおかしなことでもない。百戦錬磨の騎士でさえ清掃に従事することがあるのだから。
「おっ、こっちはどこに繋がってるんだろう」
あちこち回っているうちに螺旋階段とばったり出会う。どこに繋がっているのか分からず上がっていくと、ぶつかったのは一枚の木で出来た扉だった。
「……ここだけ掃除されてない?」
壁にある小さな窓が僅かな光を取り込む薄暗い場所で、シレントは目を凝らす。扉に積もった埃は長く触れられていないのが一目でわかった。
勝手に入るのも忍びないとは思いつつ、好奇心には勝てない。誰の気配もないことを確認して、ドアノブに手を掛けた瞬間────。
「余の許可なく扉を開けるな」
「ひっ、ご、ごめんなさい好奇心だったんです!」
危うく足を滑らせて階段から落ちるところだった。彼の背後にはなんの気配もさせずに、いつの間にか食事を終えたゼロが立っていた。
「……びっ、くりしたあ……。もう食事は終わったんだね」
「貴公はなぜ此処にいる」
怪しい返答にシレントは会話ができるだろうかと苦笑いする。
「ドルハダスがあちこち見てまわったらどうだってさ。しばらくいてもいいんだろ。それなら迷わないように内部構造は把握しておきたくて」
「寝室だけで十分だ。そこを退け」
ゼロはシレントを壁に追いやって立たせ、ドアノブを握った。
「此処には何もない。戻るがいい」
「えっ……。うん、わかったよ。君がそう言うなら」
見られたくないものでもあるんだろうと諦めて背を向ける。
興味はあったが殺されてしまいそうな気がした。
「貴公はなぜ和解などと下らぬ提案を申した?」
呼び止められて振り返った。ゼロが冷たい瞳で見下ろしている。
「僕は……どうだろう、よく分からないんだ。この歳まで生きて、甘えたことを言ってる自覚はあるけど。でも出来る限り平和に生きていたいだろ」
「平和か。貴公は図々しい男だな」
ゼロは淡々と言い放った。
「個々の価値観が違う者たちを集わせ、平和を望むことは愚かだ。怨嗟に満ちた平和を望まぬ者たちにまで理想を押し付けるが如き醜さではないか」
真っ向からの否定に、シレントは首を横に振った。
「だとしても、僕は暴力で解決はしたくない。それは最終的な手段にしかならない。話せるのなら話して分かり合いたい。……残念ながら、人間同士でさえそれも中々上手くはいかないが、努力はしなければ意味すら持たせられない」
対立は目の前にあった。シレントの真っすぐな瞳にゼロは苛立ちを覚え、扉を開けた。もう振り返りもせずに、ただ一言だけ。
「その夢が叶うと思うのならば上がって来い」
「……?」
扉は開け放たれたまま。すぐに後を追って部屋に入り、シレントが見たのは広大なインサニアの景色。城に設置された巨大な鐘の塔、その頂上だった。
「かつては美しい鐘の音色が響いたであろうな。この国が滅んだ理由は知らぬが、余は此処から見る景色を愛している。貴公らを滅ぼした後も、余が此処を動くことはないだろう。……なぜこれほどまでに素晴らしい文明を造る人間たちが、余らを見て恐れ戦き、排しようとするのか。貴公にはその理由が分かるか?」
シレントには答えられなかった。彼らを恐怖の対象として見たことがない。それを見抜いていたかのように、ゼロは続けた。
「端的に言えば脅威への拒絶だ。命を奪うかどうかではなく、奪う力を持っているかどうかで見ている。人間以外の種に、そのような危険があってはならないと。だから貴公ら人間は余らに戦争を仕掛けた。そして半数以上の命を失った」
戦争が起きたとき、魔族はたった三十体ほどしかいなかった。それに対して人間は総力を挙げての討伐に挑み、何千万もの命を犠牲にした。そのうえでなお、討伐できた数は半数以下。数にして十八体の魔族が生き残っていた。
人類は恐怖する。彼らは命を根絶やしにする怪物だと。しかしひとつだけ弱点があった。彼らは会話ができるということだ。人間たちは、その知性を利用して罠に嵌めた。未来永劫、異空間に閉じ込めて魔族という脅威を葬りさることにした。魔族たちは人間との共存を望み、対話に応じ、そして裏切られた。
「────余の同胞十八人のうち八人が発狂した。クリスタルの中で身動きが取れぬまま、ようやくダンジョンを創り出して魔物を無尽蔵に湧かせ、封印から解き放たれるときがきたのだというのに。苦しみや希望と共に知性さえも忘れた。それがどれほど屈辱的であったか、貴公には分かるまい」
同胞の慟哭と悲鳴を聞きながら耐えた五百年。解放の時を前にして、ついぞ知性を取り戻すことはなかった同胞は既にドルハダスの手によって処断された。それこそが最善の救済だったからだ。
「余らは最初から物事を善悪で捉えてはいない。だが貴公らは違う。自分たちに迎合しないものを悪とし、人間中心の社会を形成しようとする。実に愚かな支配欲だ。秩序で秩序を破壊しようとする悍ましき生物を余は生かすつもりはない」
そう言いながら、ほんのわずかに口角をあげて。
「だが、そうも行かぬのだろうな。貴公のような存在がいては余も決意が揺らぐ。五百年前の怨みはそう癒えはせぬが、しばしの時をくれてやる」
ゼロが初めて微笑んだ。シレントは言葉が出てこず、口をぽかんと開けた。
「貴公が立つべき場所に立つがよい。そのときは余も言葉を交わそう。だがひとつだけ、不変の約定を交わしてくれぬか」
「……約定って?」
いつもの冷たい表情に戻ったゼロは、ただ空に向かってぼつりと。
「────ヴォリーダとドルハダスを殺してやってほしい」




