第55話 静かな日常
案内されたのは寝室だった。広い部屋の中にぽつんとあるだけの大きなベッドで、人形のように美しい魔族の女性が姫のように眠っていた。
部屋に入る前にドルハダスが扉を開け放ったまま中へ入り、様子を窺う。傍にいって顔を僅かに覗き込むと、振り向いて二人を呼びつけた。
「そろそろ目を覚ます。こっちへ────」
気配を察してドルハダスが手で自分の首を手で覆った瞬間、斬撃が彼の手をズタズタに切り裂いた。幸いにも威力は抑えられてあったからか、ほんの少し痛そうにする程度で、手をぱっぱっ、と振って血を払う。傷口はもう塞がっていた。
「起きがけに俺の手を引き裂くなんざやることがエグいぜ、大将」
起き上がったゼロは頭を痛そうに押さえながら言った。
「首を落とすつもりであった。……なぜ余の傍に彼らがいる」
「なに、どうしても会いたいっつうからよ。此処でしばらく暮らしたいそうだぜ? 俺はどっちに転んでも面白そうだから見逃してやったんだ」
相変わらず身勝手な、とゼロは僅かに睨んでからベッドを降りて寝間着姿を晒す。興味もなさげにクローゼットへ向かい、着替えをベッドに投げた。
「帰らせろ、目障りだ」
そのひと言にシレントが待ったを掛けた。
「話だけでも聞いてくれないか?」
「余は人間に興味はない。失せよ、三度目はない」
「頼む。この通りだ、僕はあなたと話がしたい」
膝を突き、頭を深く垂れる。
「君たちに交渉しにきたわけじゃない。ただ知りたいんだ、魔族のことを。君たちにとっては痛ましい記憶かと思う。だけど、五百年前、僕たち人間が何をしたのか。その全てを知りたくて此処へ来た」
ゼロは話に耳を傾けながらも、淡々と着替えていく。黒いシャツに革のパンツを履き、ベッドの傍にあった革靴に足を入れてつま先で床を叩く。
「余の機嫌を窺いに来たのなら立ち去れ。過去を話したところで人間は変わらぬ。貴公らが余らに告げたのだ。────悪魔には異界がお似合いだと」
「それは……そう言われたということなのか?」
シレントの問いには答えなかった。
着替えが終わるとドルハダスの肩を拳でとんと叩く。
「腹が減った。食事の支度は済んでいるか」
「おう、済んでるぜ。いつもんとこに置いてある」
「わかった。ご苦労だったな」
立ち去ろうとするのをシレントが追いかけようとして、大きな手が彼の前に伸びた。ドルハダスは何も言わず、やんわりと首を横に振った。
「どうして? 今、彼女に話を……」
「食事のときは誰も邪魔しちゃならねえ。見るのも駄目だ」
それまではどこか気の抜けた雰囲気のあったドルハダスから笑みが消えているのに気付き、追うのは中止にする。だが、そうなると何をしていいか分からない。戸惑っている姿を見て、ドルハダスは馬鹿馬鹿しそうに耳に指を突っ込む。
「お前はゼロへの理解がなさすぎるぜ。過去を知るより、まず個人を知った方がいい。アイツが無視するときは肯定してるときだ。適当に見てまわっとけ。空いてる部屋はいくらでもあるから、好きな部屋を使えよ」
「それはありがたいけど……君もどこかへ行くのか?」
ドルハダスはいわばセーフティだ。ヴォリーダやゼロの間に入れる。シレントは、彼の存在なくして交渉が成立するのかが不安になったが、彼はそんなことは自分でなんとかしろとばかりに背を向けて、ひらひらと手を振った。
「他の領域に行かなきゃならん。他の魔族が勝手に動くと困るんでね」
結局、放り出されたままになってシレントは頭を掻く。
「どうする、レアナ。ひとまず見てまわる?」
「あんま下手に動いて遭遇するのもちょっと気まずいけどな……」
「じゃあ、使えそうな部屋を探そうか」
「おう。なら適当にあちこち見てまわって情報共有と行こうぜ」
レアナは興味津々に城の中を歩きだす。
「私はあっち。お前はそっち。終わったら城の入口で待ち合わせな!」
「ああ、わかった。また後でね」
シレントとレアナは互いに逆の道を行き、城内を探索する。かつての文明が残ったままでありながら、ひどく寂れてしまった城の中は靴音がよく響く。
ひとりぼっちになったシレントは、いくらかの緊張感に襲われながら慎重に歩き回って、滅んだ都市の痕跡を確かめた。
「思ったより人間の痕跡はないな……」
疫病に見舞われて滅んだのであれば、骸骨くらいはあるかもしれないと思っていただけに、少し拍子抜けだった。まるで最初から誰もいなかったような光景。この城だけが時間の中に取り残されたのだろうと見て思った。
「この城にあったものは俺が片付けた」
「うおっ……!? ヴォリーダ、いつの間に!」
気付けば背後に立っていたヴォリーダが部屋の中に入り、床に落ちていた金のネックレスを手に提げ、シレントに差し出す。
「此処で過ごすうえで邪魔なものだから片付けた。俺はこう見えて綺麗好きでな。まだ片付いていない部屋があったようだ、見落としていた」
渡されたネックレスは、いつか誰かが付けていたものだろう。ヴォリーダにはまったく価値のないものだが、人間には良い値で売れる。
「俺はお前たちを否定したいわけじゃない。新人類を目指すうえで、認めるべきところは認めている。その生き方も、文化も。だが、それが裏切ったことを許せる材料にはならない。それだけのことだ」
シレントは、その言葉の重みをしっかり受け止める。手にしたネックレスを握りしめて、この際だからと正直に尋ねてみた。
「新人類を目指すきっかけになったのも、人間との争いが?」
「……ああ。最初はそのつもりなどなかった」
シレントを押し退けて部屋の外に出て、窓の向こうに見える景色にため息を吐く。ヴォリーダは酷く枯れた枝のようなしわだらけの手で窓に触れる。
「静かに暮らせればそれでよかった。そうでなくなったのは五百年前、ある事件をきっかけに全てが変わってしまった。……詳しいことはゼロに聞けばいい。今、彼女は食事中だろう。覗いたりするなよ、あの子が一番嫌うことだ」
まだ問いかけたいと声を掛けようとするシレントを手で制して、ヴォリーダは首を横に振った。
「必要以上に聞いてくれるな。俺は自分のことを話すのは好きじゃない。ゼロがその場で殺さなかったのなら、少なくとも貴様を今だけは敵と見做さずにおいてやる。せいぜい、無礼を働かないことだ。……俺は食料の調達に行く。またな」




