第52話 まだ、前へ
誰も寄り付かない無残な姿になったホールに移り、壁に開いた大穴の前に立って景色を眺めながら、しばらくはぼんやりした。どちらから話し始めることもなく、静かに思いを胸に募らせて。
それから数分経って、ようやくレアナの方から口を開いた。
「あいつ、いきなり空から降ってきやがったんだ」
不意討ちだった。シレントたちが闘技場に到着する僅か前に現れた。
「降り立ってすぐ傍にいたシャーロットは、一発蹴られてノックアウト。かなりキツい状態だったもんで、ルルが治療にあたる間に私が時間を稼いでた。……いや、稼いでたっていやあきれいごとだ。理由は分からねえが、あいつは誰も殺そうとしなかった。私を相手に遊んでやがったのさ」
勝てなかった。数多の魔物を蹴散らして、ついには竜まで討伐した。異常に硬い魔族の身体すら容易く切り裂く斧を武器に、ドルハダスにも通用すると信じていたが、実際に起きたのは一方的な戦いだった。
「あいつに言われたよ。『強い武器に頼った奴は荒事の勘が鈍るもんだ』って。馬鹿にならねえもんだ。ありゃ最初にあった魔族とは違ぇ。私の戦い方を見抜いて、あっさり斧を奪われた挙句に一撃でのされちまったよ」
シレントの隣にどかっと座って、大穴から足をぷらぷらさせてレアナはひたすらに自分の弱さが嫌になった。自分に大きな自信を持っていただけに、立ちはだかった壁の高さに失望させられた。積みあげてきたものはなんだったのかと。
「お前はどうだよ、シレント。あいつと会ったのは二度目なんだろ」
「……うん。話せる相手ではなさそうだなと考えてるよ、今は」
会話が成り立ち、隙も見せてくれている。だが、限界ぎりぎりまで壊そうとする。ゼロが許すかぎり止まらない。レオだけを殺そうとした以上、他の獲物を狩ることは考えなかった。見逃したのはアルバートとの闘争で満足したからか。
なんにしても常識が通用しないと思わされてしまった。エッセレの言った通り、彼は戦うことに躊躇がなく、そもそも楽しんでいる。怒りも怨みも存在しない。破壊行為を自分の欲として、ゼロへの忠誠の中でできるかぎりの暴虐を尽くした。
「でもね、思ったんだ。僕はそもそも前提を間違えてるんじゃないかって。話し合う前に、彼らのことをよく知らない。それが大きな問題だと思う」
五百年前に何が起きたのかも断片的にしか知らない。レオも調べていたはずだが、報告があがってこないところを見れば大した情報はなかったのだ。
魔族たちは自分たちの境遇についていつも話していたので、きっとそこが話し合いに持ち込むための拾える最も重要な情報であることは間違いない。
「じゃあ、どうすんだよ。歴史館に行こうが国の資料を読もうが、そういう不都合ってのは全部処理しちまってどこにも残ってねえだろ」
「……そうなんだよねぇ」
腕を組んでしかめっ面で、うーんと首を捻った。
考えても中々答えは出ない。一歩進んでは足踏みさせられた。
「ハッ、そりゃそうだよな。当時の記録は残ってねえ。魔族共なら聞きゃわかるが、知ったところで大勢の人間を説得するのには材料が足りない」
既に侵攻を受けて死んだ人間も多く、生き残った家族や友人は恐怖と憎しみを両立させて過ごしている。いくら五百年前の人間が悪いとしても、今を生きる人々にとっては知った話ではない。ただ意味もなく殺された風にしか映らない。
「だとしてもだ、レアナ。彼らを知らずに何かが変わるとは思わない。僕は膝を折るつもりはないよ。残り数か月で、必ず皆が納得できるような道を探す」
「……覚悟してんのか。できなきゃ皆死ぬんだぞ」
「やらなくても皆死ぬだけだ。ゼロはそんなに甘い相手じゃない」
レアナは大きなため息を吐き、横目にシレントを見た。毅然とした態度で、決意の揺るがない表情。心の奥底から安心できる顔だった。
「ならさ。私とお前、二人でインサニアに行かねえか」
「僕たちだけで?……いや、待てよ。それは名案かもしれない」
短い時間で、レアナの思考を確かに掴んだ気がした。
「時間が惜しい。何でも早く進めた方がいいからさっそく行こう!」
「エッセレに頼んでポータル起動してもらおうぜ。ギルドからなら手っ取り早い」
「ああ、そうだね。彼女の状態も確認しておきたいし」
そうと決まればとゆっくり話すのはやめた。傷の舐め合いをしても得られるものはない。ただ二人とも、聞いてほしかっただけだ。自分がどう向き合おうとしているのか。その答えは共に同じ場所へ辿り着いた。
「あっ、二人とも! どこか行くの?」
皇宮を出ようとしたところで呼び止められる。シレントたちの前に駆け寄ってきたのはルルだ。その隣にはヴァーリーもいた。
「どこかへ行くのかね」
「ああ、僕らはちょっとしばらく戻らないかも……」
また何も言わずに、とヴァーリーが呆れた顔でシレントとレアナを交互に見た。どうやら似たもの同士のようだと諦めて、フッと鼻で笑う。
「ではちょうどいいタイミングだったな。ルル、あれを渡しなさい」
「あっ、はい!……シレントさん、これあげる」
差し出されたのは、折りたたまれた空っぽのボンサックだ。
ヴァーリーは少しだけ悲しそうな顔を浮かべた。
「レオが君に渡したものは引き裂かれたと聞いている。彼女ほどではないが、私とルルの共作だ。前より容量は少ないだろうが、使い方は同じだ。どこへ行くのか知らんが役に立つのではないかね」
受け取ったシレントが、目を潤ませた。
「……レオはまだ目を覚ましていないんだってね」
「本人が無理をやった結果だ、気を揉む必要はない。君たちはやれることをやって、レオが目覚める頃には戻ってきたまえ。良い成果を聞きたがってるはずだ」
いくつもの不幸の中で、皆が前を向き、未だ戦っている。自分だけが辛いのではないのだと言い聞かせて、シレントは目に浮かんだ涙を腕で拭った。
「ヴァーリー、しばらくクローディアたちのことも頼めるか?」
「任せておきたまえ。ルルの面倒を見るついでだ、それくらいはやろう」




