第51話 希望は輝かない
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一ヶ月は見る間に過ぎていった。敗戦の色は濃く、都市の機能は崩壊寸前だった。まるで廃墟のような光景がどこにでも広がっていて、栄えた冒険者の町も一夜にして絶望の中に叩き落された。
大勢の死者は毎日のように瓦礫の下から掘り起こされ、道端で眠る人々のなんと多いことか。そんな状況でも貧民街の人間たちは我関せずとばかりに、表通りからの流入を遮って追い出した。泥棒が増え、怒号は絶えず、泣き喚く子供たちの声に苛立ちながらも食いしばって耐える者たちのストレスは限界間近だ。
「現在は各商会が配給を行い、冒険者たちは軒並みが出払って現状は安全と見られるダンジョンで魔物狩りをしながら、食料や寝床の材料を確保しているようだ。吾輩たちも機を見てダンジョンに向かうべきだとは思うが……」
皇宮の会議室でクローディアが何枚かの資料を手元に暗い顔をして話す。いつもは着ている甲冑は脱ぎ、目の下にくまを作った虚ろな表情が酷い疲れをみせた。敗北から一ヶ月、寝ない日が何日も続いているせいだ。
「それなら僕が行くよ。クローディアもたまには休んだらどうだい?」
心配になったシレントの言葉に、彼女は首を横に振った。
「一般開放している皇宮の人々だけならまだしも、町には大勢の救援を求める声が絶えない。今や、この国の先頭に立てるのは吾輩だけなのだ、シレント殿。……皇族など無価値やもしれんが、慣れているという点で他に適任はいない」
無理やり笑顔を作って資料を束ねる姿はあまりにも痛ましい。
放ってはおけない、とシレントはやはり止めた。
「先頭に立つ君が倒れたら全員が倒れる。今は手伝ってくれてる人たちも多いんだから、今日くらい休んでも誰も怒らないさ。君の評判、かなりいいからね」
「……シレント殿。気持ちは分かるが、無理を通さねばならぬときなのだ」
痛む頭に手を添えながら、天井を見上げて深いため息をついた。
「生き残った兵士はたった数百人。あのドルハダスとやらは、住民よりも真っ先に皇宮を狙った。レオ殿の結界を感知した挙句、その特性まで見抜いて。……そのうえ、全員が奴一人に負けた。奴が来ずとも、今は壊滅的打撃を受けたあとだ。冒険者たちが出払い、闘技場の闘士たちまで駆り出された以上、次の侵攻は耐えられない。あと五か月のうちに、どうやって説得するかの糸口すら見えてこないのだ」
戦って倒せるのならそれがいい。どうやって?
民を説得して和解できるならそれがいい。どうやって?
魔族を罠に嵌めてしまえばいい。どうやって?
「分からないんだ、シレント殿。貴殿の言葉通り、和解すべきなのだと思う。そうである必要が我々にはあるのだ。この脆い人間という種族は。しかし、その人間は個々に感情を持ち、思想を持ち、喜怒哀楽を抱く。迎合と和解は違うのだ、シレント殿。土に頭を擦りつけて共に生きてほしいなどというのは断じて違う」
もはや戦意喪失状態の中を彷徨いながら、必死にクローディアは抜け道を探している。どうにか人々を説得して魔族と対等な立場で和解しようと。
おそらくは十体にも満たない魔族でも、その脅威はドルハダスのみならず、先に現れたドルクトス、ルアリ、ヴォリーダのようにゼロの配下は皆が規格外の強さを持っていた。一騎当千の強者が数人掛かりで、やっと相手になる。
敵対すれば、町がひとつ滅ぶで済むわけがない。
「今では町のいたるところで生贄という名の手土産を持てと騒がしい。それで彼奴等の怒りが収まるのであればと。それが逆効果であるのは間違いない。貴殿の話の全てが事実なら、ドルハダスは狂気じみてはいるがゼロとやらに対する忠誠は本物だ。突然襲撃するタイプとは思えん。ゼロの差し金ではないのか?」
言われてシレントは苦笑いで返す。
「そんな馬鹿なことあるわけが────」
否定しようとした瞬間、脳裏にゼロの言葉が過った。
『そうまでして余らに縋る必死さに免じて、ひとつだけ譲歩する道を示してやろう。その娘を捨てていけ。それを貴公の余に対する忠誠として受け取ろう』
仲間を見捨てろと言われたとき、シレントはそうしなかった。それはゼロにとって何か引っかかるものがあったのだろう。だから逃がして様子を見た。ドルハダスも汲み取って、わざと追撃を外した。
であれば。和解の可能性を示されたも同然の中、大勢の人間を襲撃する意味にはなんとなく予想がついてしまった。
「……まさか、僕たち以外の人間の本性を暴くためか?」
有り得ない話ではない。いや、そうあるべくして起きたのかもしれない。シレントはゾッとして顔を青くしてしまう。それから膝が脱力して、地面に頽れた。
「シレント殿、大丈夫か?」
「あ、うん……。僕もちょっと疲れてたみたいだ」
「うむ。少し休むといい。吾輩も隙を見て休息をとる」
「ありがとう。それじゃあ、またあとで」
疲れではない。無理に笑顔で気丈に振る舞って会議室を出た後、シレントは愕然とした。都市の崩壊を招いたのは自分の選択によるものだと。
ただ一度の選択が、ゼロの感情を動かしたのは間違いない。でなければ生きていないからだ。それならば、なぜ襲撃が起きたのか。ドルハダスの単独による判断とは思えない。結論はやはりクローディアの予想通り、ゼロによる計画的な襲撃。
「僕の選択は間違っていなかった。だが、それが扇動になって行動を早めてしまった……? もっと冷静に皆を頼れていれば違ったのか……?」
冷や汗が噴き出す。たった一度の決断が悍ましい現実を招いたのではないかと。
『お前が望む共存ってのはな、シレント。全員には響かねえ。ルアリがそうしたように、遅かれ早かれ戦争は起きた。だから俺が起こした。そうなったとき、お前はまだ対話なんざしようと思えるか? 人間共を説得して?』
そうだ。ただ今起きたか、後で起きたかの違いでしかないのは事実。それでも、その後で起きるはずの戦争を食い止めることだって出来た可能性もある。
ゼロに突き付けられたのは『自分たちを裏切らない人間たちであるという証明』をすることだ。シレントひとりがそうでは意味がない。全員を説得させろとドルハダスが言ったのであれば、それが希望の糸口であり、絶望そのものだ。
「くそっ、あと五ヶ月しかないのにどうやって……」
人間は醜悪だ。当たり前のように信じ合う者がいる一方で、当たり前のように裏切る人間がいる。騙す人間がいる。だから五百年前、魔族は封印された。彼らが仕向けた殺戮は、その疑念が機能した結果、シレントという一人の男の出現によって実行された、身も凍りつく惨劇だった。
「よお、シレント。えらく顔が青いぜ、大丈夫か?」
前から歩いて来たレアナが心配そうに声を掛けた。彼女もまたいつものような気迫はなく、心が砕け散ったかのような気弱な顔だった。
「僕は平気だ。君こそ、もういいのか。ずっと上の空だったんだろ」
「……ああ。ここじゃなんだから場所を変えて、ちょっと話そうぜ」




