第35話 ヴァーリー・カーロ
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早朝になって、ルルは家を出た。片手には羊皮紙に書かれた地図を持ち、『ヴァーリー』という男の家を探す。ときどきコーヒーの香りが漂うカフェの前を通ると足を止めそうになったりもする。
きっと美味しいコーヒーとケーキが提供されているのだろうな、と思いながら誘惑を振り切ってシレントの教えてくれたことを最優先に歩く。
やってきたのは町の片隅にある住宅街。貧しい人々の暮らしが目に見えて分かる。子供たちはしわだらけで汚れの落ちなくなった服を着て駆けまわり、主婦たちは貧しい暮らしに文句も言わずせっせと家事をして過ごす。
悪くない光景だが、では男たちはどこへ行ったのか。大概は肉体労働で、中には冒険者としてダンジョンへ出て一攫千金を狙う者も多い。初めは稼ぐのも楽勝だった冒険者も、今では飽和状態だ。易いダンジョンでの稼ぎなど知れている。
どうあれ冒険者稼業も考え物だとルルは目を背けた。
「……此処ね。いてくれたら嬉しいんだけど」
一見するとぼろ小屋のような家だ。とてもレオの友人である魔法使いの家とは思えないが、魔法薬を買いに来る程度なら維持費も要らない家を買った方が損はないのかもしれない。恐る恐る、玄関をノックする。
「すみません、ヴァーリー様はいらっしゃいますか?」
声を掛けると玄関の扉が開き、燕尾服の紳士が口ひげを指でつまんで跳ねさせながら、ルルの前に現れた。
「私こそがヴァーリー・カーロである。何か用かね、お嬢さん」
あまり印象は良くないらしく、初対面で目を細められてルルも緊張する。
「あっ、えっと……シレントさんからの紹介で来た魔法使いのルルと申します。師匠を探していると相談したところ、あなたの名前を挙げられて」
「ホホウ! あの男の知り合いかね!」
緊張が緩む。ヴァーリーの表情が途端に柔らかくなった。
「さあさあ、入りたまえ。彼の知り合いなら構わない、色々と世話になっているからね。不躾な態度を取って悪かった、コーヒーでも如何かな?」
「あ、ぜひお願いします。ありがとうございます」
家の中は外見のぼろさとは真逆で、その古さを感じさせない温かみがあった。敷かれた飾り気のある赤い色の絨毯を彼は堂々歩き、椅子を動かしてルルに座るよう促してからキッチンに立った。
「大したもてなしもできず失敬。たまにしか滞在しないのでね」
「い、いえ……。いきなり押しかけてしまったアタシが悪いので」
「フウム、まだ緊張は取れないかな。どれ、茶菓子も必要だ」
パチンと指を鳴らすとテーブルに上にはマカロンや切り分けられたケーキなどがずらっと並んだ。どうなっているのか分からず、ルルは目を見張ってしまう。
「はは、驚いたかね。単純処理の空間魔法だよ。特定の場所にあるモノを転移させるが、範囲は極小だから大した芸当ではない」
「でもすごいです。アタシにはできないことですから」
純粋な返答に自信の無さが見えてくる。俯きがちで、いつも視線は落とされ、頼りない自分を誤魔化すような薄っぺらい笑みが浮かぶ。
「フウム、なるほど。君はどう前に進めばいいのか分からないようだね。確かに行先を知りたいのなら、道を知る者に尋ねるのがいちばん早い。シレントに出会えたのは幸運だな。レオであれば取り合いもすまい」
「あっ、それシレントさんにも言われました」
レオは元から強い人間しか育てない。ヴァーリーは強く頷いた。
「そういう人間だ。しかし、それが正しくもある。魔法使いの技術は繊細だ、レオほど使いこなせる人間が現れるとしたら、向こう百年は掛かる。いや、あるいは生まれてさえこないかもしれない。それほど彼女は格が違う。できもしない人間に指導するリスクを背負うだけ時間の無駄だと考えているのだよ」
それでは後進が育たないと言っても聞かないのだから、次元が違いすぎるゆえの価値観の違いだとヴァーリーも認識した。レオだからこそできることがあり、それを他人に教えるのは不可能である、と。
「そこで、私だ。シレントが紹介したのであれば、君は育つ見込みがある。どれ、少し見せてもらえるかな。手の中に魔力を溜めてみなさい」
「あっ、はい。すぐに!」
ぱっと仰向けに構えた両手で魔力放出を行い、空間に固定する。ぐるぐると渦巻きながら、糸玉のように形成されていく魔力が完成していくと、ルルはそのまま弾けさせた。魔法の初心者がやる、最初の魔力運用技術だ。
「ふむ、なるほど。もう一度見せてもらえるかね」
「え……わ、わかりました」
その後もルルは何度も同じことを繰り返させられた。二十回目になったあたりで、さすがに疲れてきてヴァーリーに意見する。
「あの、こんなことになんの意味があるんですか?」
「……? 何が言いたいのかがよく分からないのだが」
「だってこれくらいの初歩なら、魔法使いであれば誰でも出来ることで」
ヴァリーはその言葉を聞いても優雅にコーヒーを飲みながら。
「それで、早く続けたまえ。まだ終わっていないだろう」
「は……何言ってるんですか、こんなことしてても────」
「誰でも出来るんだろう。やってみたまえ」
ソーサーにゆっくりとカップを置き、真剣な目で言った。
「師匠を求めているのだろう。君が無力で、情けなくて、使い物にならないからだ。その初歩的な技術ですら君は不憫になるほど出来ていないのに、どの面を下げて私に誰でも出来ると講釈を垂れているのかね。早く続けなさい」
ぞっとするほど冷ややかで、切り裂かんばかりの鋭い眼差しに総毛立った。
決してヴァーリーは優しくない。いや、優しくする理由がない。魔法使いであることの意味を再確認させるかのように、何度も繰り返させた。
ときどき休憩を挟んで、また繰り返す。疲れているはずなのに、最初よりもずっと魔力放出するまでの速度があがっていく。感覚が研ぎ澄まされていく。
「少しは自分の愚かさに実感が湧いたかね?」
「……はい。全然違います、疲れてるのに魔力は元気なくらい」
「そうだろう。だがまだ荒い。速度は及第点だが球体が大きすぎる」
ヴァーリーが手を仰向けにして、人差し指だけを伸ばす。
ぽつりと指先に出来上がった魔力の球体を見て、ルルは唖然とした。
「な、なんですかそれ……! 凝縮率が桁違い……!」
自分の大雑把なモノとはまるで違う。指先ほどの小さい飴玉程度の大きさにも拘わらず、ルルと比べて何倍もの魔力が放出されて構築されていた。
「基礎が出来ているとはこれを言うのだ、ルル。体裁だけを保ったような代物を完成したと言っても、誰も認めてはくれんよ。あと1時間でこれが出来れば、君を正式に弟子として迎え入れよう」
1時間と言われて固唾を飲む。可能でなければ、そんな注文はしない。期待か、あるいは応援か。いずれにせよ背中を押してくれたのは間違いない。ルルは難しく考えたりせずに、「はい!」と強く返事する。
これが良かったのか、ヴァーリーもに笑みを浮かべて髭を触った。
「よろしい。では客人もきたようだから、少し見物でもしてもらうといい」
「……客人?」
「ああ。どうやら心配だったようだね」
玄関をノックして勝手に開ける中年の男が少しくたびれた雰囲気に煙草を咥えながら、二人の様子を見にやってきた。
「うまくやってるかい、ルル?」
「シレントさん! 来てくれたんですね!」
「いやあ、紹介しておいてそのままも悪い気がしてさ」
ふーっと部屋の隅に煙を吐き、吸殻を手に持っていた小さな鉄の箱に捻じ込んで蓋を閉める。そのままポケットに入れて、ルルの隣に立った。
「お、魔力制御の訓練かあ。懐かしいな」
「君には挨拶の概念がないのかね、シレント?」
「これは失敬。お前といると気が楽でさ」
「……まあ良いがね」
呆れた顔でため息を吐かれても、シレントはニコニコして気にも留めない。
長年の友人であり、自分より若いと言っても3歳違いで世代としては同じだ。普段なら優しい口調で話しかけるシレントも彼に対しては違った。
「ところで紹介はしたけど、ヴァーリー、率直な意見を聞かせてくれ」
「フウム、そうだね……」
ルルがひどく緊張しているのは伝わってくる。それでも気は遣わない。いや、そもそも気遣う必要すらない。コーヒーを喉にひと口流して────。
「期待はしている。君たちが思っているよりもね」




