第七十二話:お出かけ
翌日。
ベッドの中で目を覚まし、スマホの画面を見ると時刻は午前五時半だった。
何となく、今日は学校に行く気が起きなかった。
知らされた自分の命日は、明日。
昨日の帰り道まではそれなりに焦っていたのに、一晩寝て起きたら、それに対しては正直もうどうでもよくなっていた。
学校。
学校はら休校ということにしよう。
自主休校。
さて、今日は何をして過ごそうか。
昨日、別れ際にセラフィナには「また明日」と言った。彼女に会いに行くのはマストだ。連絡先も、法務局が用意した仮住まいの住所も聞いている。
女三人で出かけるのもいいけれど、足は欲しい。荷物持ちもさせれば両得。直樹を連れて行くことにしよう。
身支度をして、母さんが作ってくれた朝食を摂る。
味噌汁を啜りながらスマホで直樹に電話をかけると、不機嫌そうな声で「仕事だから無理」と即答された。
しかし多分、野郎は『如何ともしがたい力』によって来ることになるだろう。
私は電話を切ると、続けて昨日もらった法務局の担当者の名刺を取り出し、そこに書かれた番号へ電話をかけた。受けてくれたのは知らない職員だったが、私の名前を出すとすぐに伝言を承ってくれた。これで手配は完璧だ。
「お母さん、今日はできるだけ早く帰るから」
キッチンにいる母にそう告げて、私は家を出た。
電車に揺られ、半蔵門線に乗り換えて九段下駅で降りる。
そこから靖国通りを歩いて数分。
靖国神社のほど近く、富士見の名が付く、2つの意味でやたらと『高い』高級タワーマンションが、法務局から彼女らに与えられた仮住まいだった。
現在時刻は八時半。
昨日の今日だ。少し早く来すぎた気もするが、まあ、私の魂を受け継いでいるのだ。朝が弱いということはないだろう。
エントランスを潜ると、そこはまるで一流ホテルのロビーだった。
大理石の床に、ふかふかのソファ。そして、居住者の生活をサポートするというコンシェルジュが専用のデスクに立っている。
Tシャツにデニムという、自分のあまりにもラフな大学生ルックを少し後悔した。もう少し他所行きの服装をしてくるべきだったか。
コンシェルジュの品の良い女性に目的を告げると、すでに上から話は通っていたらしく、にこやかな笑顔で目的の人物を呼び出してくれた。
ロビーの待合スペースのような場所で少し待つ。
やがて、専用エレベーターの扉が開き、セラフィナが降りてきた。
思わず、私は「ほわぁ……」と変な感嘆の声を漏らしそうになった。
彼女が着ていたのは、法務局が用意したであろう上質なブランド物のワンピースドレスだった。淡いミントグリーンを基調とした生地には繊細なレースがあしらわれ、歩くたびにふわりと優雅に揺れる。首元には上品なパールのネックレス。
現代日本の街中を歩くには少しお姫様すぎるかもしれないが、彼女の透き通るような美貌と金糸の髪には、恐ろしいほどに似合っていた。
「……わかっておりますわ」
近づいてきたセラフィナは、私の顔を見るなり、美しい眉をひそめて重々しく口を開いた。
「明日のことですわね。貴女の死の運命の回避について……」
「ううん」
私は首を横に振って、彼女の言葉を遮った。
彼女は、どうやら明日が私の命日(予定)ということを、ちゃんと忘れずにいてくれたようだ。少し思い詰めたような、暗い表情。
昨日からずっと、私のために悩んでくれていたのだろう。
それだけで十分だ。少し申し訳なくなる。
「今日はね、普通に遊ぼうと思って」
「……え?」
「アイシャも呼んでよ。お出かけしよう」
私の言葉に、セラフィナの思考が追いついていないようだった。
「あ、遊ぶ……? 明日が……」
セラフィナが信じられないものを見る目で反芻する。
「そうだね。でも、よくよく考えてみたら、こっちの世界に来てからずっと、逃げたり調べたり、忙しくしてたでしょ。せっかくだから、今日はパーッと遊びに行きましょうよ」
「そ、そんな暇はないのではないかと……! レオンハルト様にもご助力いただいて、なんとか方法を……っ」
生真面目なセラフィナが何かを言い募ろうとした。何だか、こういうところはやっぱり私っぽくない。私はセラフィナを無視してコンシェルジュのお姉さんに声をかけ、同室のアイシャも降りてくるように伝えた。
程なくして、黒を基調としたシックな装いのアイシャがエレベーターから降りてきた。相変わらず隙のない身のこなしだが、服が綺麗になった分、なんだかお付きのボディガードみたいな雰囲気になってしまった。
「さぁ、行こっか」
どういうつもりなのか、と不満げなセラフィナの手を強引に引き、私はマンションの外のロータリーへと歩き出した。
予想通り、そこにはピカピカに磨かれた黒塗りのセダンの横で、ひどく不貞腐れた顔で佇む見知った相手がいた。
「おまたせ、直樹」
「姉ちゃんって、絶対権力持たせちゃ駄目なタイプだよね。特命だってさ。トクメイ。特命って何?」
眉間にシワを寄せる弟に、私はニヤリと笑った。
「何言ってんの。絶世の美人三人とデートだよ? 嬉しいでしょ」
「俺からしたら、内二人は姉みたいなもんなんだけど……」
直樹はため息をつきつつ、ドレス姿のセラフィナと、クールなアイシャをチラリと見て、ボソッと呟いた。
「……お、美人は否定しないんだね」
「はぁ、うるせぇな。さっさと乗れよ」
顔を背けた直樹が、乱暴に後部座席のドアを開ける。
「んで、どこ行くの? てか見てよこれ。何か黒いカード渡されたよ。すごくない? 何も書いてないの。これでなんでも買っていいって。俺テニスコート欲しいな」
「馬鹿か。そうだね、とりあえず、ヴィーナスフォート行きたい」
「ヴィーナスフォートか。昔よく行ったな。あそこなくなるんだよね」
「そうそう、残念でならないわ」
私がシートベルトを締めながら言うと、隣に座ったセラフィナがピクッと反応した。
「ヴィーナス、フォート……?」
「そう。お台場にある、中世ヨーロッパの街並みを模したすっごく綺麗なショッピングモール。室内なのに空の色が変わって、噴水広場とかもあってね。私、あそこが大好きなの。セラフィナも、知ってるでしょ」
前世の魂が同じだからだろうか。私が好きなものは、きっとセラフィナも好きなはずだ。
「ええ、とても、懐かしいわね……」
セラフィナの瞳の奥に、ほんの少しだけ興味を惹かれたような、キラキラとした光が宿ったのを見逃さなかった。
「アイシャも、美味しいクレープ食べよっか」
「……護衛任務に支障の出ない範囲で、いただきます」
アイシャも真顔でコクリと頷いた。
「はいはい、うしろの席もシートベルト締めてね。出発するよ」
直樹が呆れたように車を発進させる。
泣いても笑っても、明日が運命の日だ。だからこそ今日は、彼女たちと心ゆくまで、この平和な世界を楽しもう。




