第七十話:再会
帰宅すると、案の定、玄関先で待ち構えていた母にひとしきり詰め寄られることになった。
夕食を食べてから出かけたとはいえ、年頃の娘が深夜に警察のパトカーで送り届けられたのだ。親として当然の反応である。
私が「正直、よく分からない」と素直な返答をすると、母の眉間のシワはさらに深くなった。
このまま誤魔化してやり過ごすのは不可能だと悟った私は、腹を括って最初から事情を説明することにした。(ただし、私の命日が迫っていることや、セラフィナが私の前世であるというややこしい部分は意図的に省略した)。
彼女たちが戸籍を持たない海外からの訳ありの逃亡者であること。警察の厄介になったが、上層部の判断で一時的に保護されることになったこと。
正直、夜明けまでかかるような長い夜になることを覚悟していた。
しかし、私たちがふざけているわけではない真剣さが伝わったのと、どうやら直樹を通して警察から事前に「身元の保護」について連絡がいっていたためか、母は完全に理解はしていない様子だったが、ひとまず納得してくれた。そして何より、私たちが無事であったことを、涙ぐみながら喜んでくれたのだった。
◆◆◆
翌日。
約束通り、我が家の前に一台の警察車両が滑り込んできた。
といっても、白黒のパトカーではなく、外観からは全くそれと分からない黒塗りのクラウン――いわゆる覆面パトカーというやつだ。
迎えに来たのは、昨夜警察署でお会いした、あの偉そうな雰囲気の中年男だった。
そして、運転席でハンドルを握っていたのは、制服姿の直樹だった。
「なんであんたが運転手やってんのよ。
「俺だって好きでやってるわけじゃない。上からの勅命で、お前らの専属アッシーに任命されたんだよ」
直樹がバックミラー越しに恨めしそうな視線を送ってくる。
私とセラフィナ、そしてアイシャの三人は、後部座席に押し込められる形となった。
道中、助手席に座る中年の男から、私たちがどこへ向かうのか、その目的地を教えてもらった。
曰く、『法務局』とのこと。
詳しく聞けば、法務局の外局として、身元不明者の就籍(新たに戸籍を作ること)手続きなどを専門に行う特殊な部署があり、今回はその局長に直々に会いに行くらしい。
(なんだ。異世界人対策の秘密組織とかじゃなくて、意外と普通の行政の手続きってことか)
私は少し拍子抜けして、シートの背もたれに深く寄りかかった。
隣を見ると、アイシャは借りてきた猫のように背筋をピンと伸ばして静まり返っており、セラフィナは黙って流れる窓の外の景色を眺めていた。
そのひどく張り詰めたような、硬い雰囲気に、何となくこれ以上話をする気が削がれてしまい、私も黙って到着を待つことにした。
◆◆◆
霞が関の官庁街。
堅牢な造りの庁舎を抜け、私たちは法務局の奥深く、最上階の特別フロアへと案内された。
重厚な木製のダブルドアが開かれ、通されたのは『局長室』。
足を踏み入れた瞬間、そこは日本の役所とは思えないような、アンティーク調の豪奢な調度品で満たされた空間だった。
そして、窓辺に置かれた一人掛けの革張りのソファに、一人の老人が座っていた。
齢九十は超えているであろう、枯れ木のように痩せ細った男性。
私には全く見覚えのない老人だった。
しかし、セラフィナとアイシャは、その姿を見た瞬間、訝しげに目を細めた。
(……外国人?)
私も思わず首を傾げた。綺麗に撫でつけられた白髪と、深く刻まれたシワの奥にある青灰色の瞳。その骨格や風貌からして、どう見ても日本人には見えない。現代の日本で、政府高官にこれほど高齢の外国人が就任したというニュースは聞いたことがなかった。
老人が、ゆっくりとこちらを見据えた。
いや――彼の瞳は、私のことなど全く見ていなかった。同様に、警戒して立つアイシャのことも。
その深く濁った青灰色の瞳は、ただ一心に、セラフィナの姿だけを射抜くように見つめていた。
ガタ、と。
老人が、杖を突き、今にも倒れそうな覚束ない足取りで立ち上がった。
そして、ひと言。まるで絞り出すような、掠れた、しかし確かな熱を帯びた声で呟いた。
「……セラ、フィナ」
私は、彼がその名を知っていることに少し驚いたが、すぐに(まあ、警察の調書から名前が伝わっているのは当然か。だからここに呼び出されたんだし)と自己完結した。
しかし、横目でチラリと見たセラフィナの表情は、私の推測とは全く異なっていた。
彼女は、目を見開き、信じられないもの、あるいは幽霊でも見るかのように、激しい動揺を隠さずにいた。
「そ、そんな……あり得ない……」
セラフィナの唇が震えている。
私は、たまらずアイシャの方へ視線を移した。
『アイシャ、何か事情を知ってるの?』と視線で問いかける。
しかし、アイシャも困惑したように首を振るだけだった。
セラフィナのあの過剰な反応。もしかしたら、この老人も異世界からの転移者なのではないかと思ったが、護衛であるアイシャが見覚えがないとなると、その線も薄いのだろうか。
「この日を……長いこと、待っていた……」
老人が、絞り出すように話した。
シワだらけの頬を伝い、一筋の涙が静かに流れ落ちていく。
彼はよろめきながら、私たちの方へ――セラフィナの方へと歩み寄ろうと足を踏み出した。
しかし、限界を迎えた膝がガクンと折れ、老人の身体が前方へと崩れ落ちそうになる。
「あ、危ない!」
私が慌てて駆け寄って支えようとした。
だが、私よりも、隣にいた護衛のアイシャよりも早く、セラフィナが弾かれたように動いた。
バサッ、と彼女はドレスの裾を翻すように膝をつき、倒れ込む老人の細い身体を、その細腕でしっかりと受け止めた。
「すまん……俺も、ずいぶんと歳をとってしまった」
セラフィナの腕の中で、老人が自嘲するように、しかし心底愛おしそうに目を細めて笑った。
静まり返った局長室に、セラフィナの嗚咽を堪えるような声が響く。
「……どういうことですか? なぜあなたが、ここに……」
セラフィナの美しい瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ落ち、老人のスーツの胸元を濡らしていく。
「それに……そんな、年老いて……」
九十歳を超えた異国の老人と、十八歳の絶世の美女。
傍から見れば、あまりにも不釣り合いで、奇妙な光景。だが、二人の間に流れる空気は、どれほどの年月を隔てても決して切れることのない、確かな魂の結びつきを感じさせた。
「よく、こんなシワだらけの俺のことがわかったな」
老人が、震える手を伸ばし、セラフィナの頬を伝う涙を拭う。
セラフィナは、そのゴツゴツとした枯れ枝のような手を両手で優しく包み込み、頬を擦り寄せて、少女のように泣き崩れた。
「わかるにきまってますわ……」
彼女は、かつて自分が愛し、そして自分を庇って傷ついた気高き人の名前を、噛み締めるように呼んだ。
「レオンハルト、様……っ」




