第六十九話:釈放
無機質な長机とパイプ椅子だけが並ぶ、殺風景な会議室。
私はプラスチックのコップに入った冷めたお茶を見つめながら、貧乏ゆすりを繰り返していた。
臨海公園でのジュリアスとの死闘の最中、突如として現れた警察車両の群れ。
あっと言う間に取り囲まれた私たちは、パトカーに押し込まれ、この警察署へと連行されてしまったのだ。ジュリアスもまた別の車両に乗せられていったが、抵抗するような素振りは見せなかった。
ガチャリ、とドアが開く音がして、私は勢いよく顔を上げた。
入ってきたのは、制服姿の弟――直樹だった。
「てめー、裏切りやがって」
「どの立場からの発言だよ。俺は警察官だぞ、いつでも警察側だっての」
私が食ってかかると、直樹は深々とため息をつきながら向かいのパイプ椅子に腰を下ろした。
「姉ちゃんこそ、自分がどれだけヤバい状況か分かってんの? 身元不明の外国人を不法に自宅に匿った挙句、深夜の立ち入り禁止区域に侵入。犯人蔵匿罪でしょっぴかれても文句言えないんだぞ」
「うっ……それは、まあいいわ」
「よくねぇよ」
直樹の正論から目を逸らし、私は身を乗り出した。
「それより、二人はどうなってるの? セラフィナとアイシャは」
「今はそれぞれ別の取調室で、事情聴取を受けてるよ」
「……どうなるの? 病院でセラフィナが懸念していたように、国籍不明の不法滞在者として、入国管理の収容施設に入れられちゃうの?」
もしそうなれば、三日後に迫った私の命日を回避する手立てが大きく制限されてしまう。
私が焦りを滲ませて尋ねると、直樹はなぜか歯切れ悪く言い淀んだ。
「……そのことなんだけどさ」
◆◆◆
同じ頃。警察署内の取調室にて。
セラフィナは、パイプ椅子に優雅に腰掛けながら、机を挟んで向かいに座る男を見据えていた。
くたびれたスーツを着た、中年の男性だ。しかし、その眼光は鋭く、只の警察官ではないような底知れなさを漂わせている。
「さて。君の出身地、そしてここへ至った経緯について、嘘偽りなく答えてほしい」
男は手元のバインダーを開き、淡々とした口調で告げた。
「……嘘偽りなく、とは?」
セラフィナは訝しげに眉をひそめた。
「私が記憶喪失ではないと、分かっているような口ぶりですわね」
「言葉の通りだ。君がどこから来たのか、隠さず話してくれればいい。どんな突飛な話でも構わない」
男の態度は、不法滞在者を問い詰めるようなそれとは明らかに違っていた。
セラフィナは数秒の沈黙の後、小さく息を吐いた。隠しても無駄だろうと判断したのだ。
「……信じるか信じないかは、そちらの勝手ですわよ。私の出身は、魔法世界ルミナス王国。シュヴァルツェンベルク辺境伯領です。そこに存在する古代の空間跳躍のゲートを通じて、この世界へと落ちてきましたわ」
セラフィナは、頭のおかしい精神異常者だと思われることを覚悟の上で、自身の生まれから現在に至るまでの経緯を包み隠さず話した。魔法のこと、大公レオンハルトのこと、そしてジュリアス王子との因縁も。
しかし、セラフィナの懸念は杞憂に終わった。
男は「異世界」や「魔法」という単語を聞いても眉一つ動かさず、ただ淡々と手元のバインダーに記録を取っていくのだ。その反応の薄さが、逆にセラフィナの背筋に薄ら寒いものを感じさせた。
「……以上が、すべての経緯ですわ」
話し終えたセラフィナに対し、男はペンを置いた。
「なるほど。確認だが、今の君の身分や経歴の話に、間違いはないね?」
「ええ。間違いはなく、すべて真実ですわ」
「わかった」
男はバインダーを閉じ、セラフィナを真っ直ぐに見つめた。
「あの、質問よろしいかしら」
セラフィナから口を開く。
「すべて話しました。私の今後はどうなりますの? 国籍不明の不審者として、やはり入国管理の収容施設に送られるのでしょうか」
男は少しだけ表情を緩め、予想外の言葉を口にした。
「そのことなんだが」
◆◆◆
私は直樹に連れられ、殺風景な会議室から、少し設備の整った応接室へと案内された。
革張りのソファが置かれたその部屋には、既に一人の少女が待機していた。
「アイシャ!」
私が駆け寄ると、アイシャは立ち上がって深く一礼した。
「言葉は通じないだろうけど……大丈夫だった? 乱暴なことされなかった?」
私が身振り手振りを交えて心配を伝えると、アイシャは私の意図を汲み取ったのか、静かに首を縦に振ってくれた。
「少ししたら、セラフィナさんもここに来るよ」
直樹がドアの前に立ちながら教えてくれる。
それから、十数分が過ぎた頃だった。
応接室のドアが開き、セラフィナが姿を現した。取り調べで疲弊しているかと思ったが、意外にも彼女の表情は落ち着いていた。
「セラフィナ! 大丈夫だった?」
「ええ。暴力的な尋問はされませんでしたわ」
直樹に促され、セラフィナは私の隣のソファに腰を下ろした。
そして、セラフィナの後ろから、一人の男が応接室へと入ってきた。仕立ての良いスーツを着た、中年の男だ。直樹が思わず背筋を伸ばして敬礼したところを見ると、この署の中でもかなり偉い立場の人間なのだろう。
「全員揃ったね。君たちの処遇についてだが」
男は私たちの対面に座り、単刀直入に切り出した。
「結論から言うと、君たちを不法滞在者として入管の施設へ送ることはしない。このまま自由の身だ」
「……えっ?」
私は耳を疑った。セラフィナも驚いた様子だ。
「どういうことですか? 身元も分からない外国人を、警察がそのまま野放しにするなんてあり得ないんじゃ……」
「君たちには、会わせたい人がいるんだ」
男は私の疑問を遮るようにして、静かに告げた。
「会わせたい、人……?」
「そうだ。その人物が、君たち三人の身元を一時的に保証してくれた。ただ、相手は高齢でね。こんな夜更けに、直接ここへ足を運んでいただくわけにはいかない」
男は立ち上がり、ドアの方へと手を向けた。
「明日の朝、我々が直々に迎えの手配をする。だから、今日はパトカーで君たちを自宅へ送り届けよう。……ゆっくり休むといい」
私とセラフィナは、無言で顔を見合わせた。
釈放された安堵よりも、得体の知れない巨大な力が働いていることへの不気味さが勝っている。
高齢の、会わせたい人物。
異世界からの転移者である彼女たちの身元を、警察を動かしてまで保証できる人間が、この現代日本に存在しているというのか。
私たちは深い謎を抱えたまま、用意された警察車両に乗り込み、夜の街へと帰路についた。




