第六十八話:バトル
狂気に満ちた老人の叫びが響いた直後、あり得ない現象が起きた。
男の掲げた両手から、不気味な光を放つ『白い帯』のようなものが、まるで意志を持つ蛇群のように幾重にも飛び出してきたのだ。
「っ……!」
アイシャが私の腕を掴み、背後へと力強く跳躍した。人間離れした跳躍力で、私たちは一瞬にして数メートル後方へ退避する。
一方、前に残ったセラフィナは逃げようとせず、自身の右手を真っ直ぐに男へと突き出した。
私が息を呑んで見守ったが――何も起こらない。
セラフィナは目を見開き、自分の手のひらを見て驚愕の表情を浮かべた。
その一瞬の隙を突き、幾筋もの白い帯がセラフィナの手足を絡め取り、彼女の身体を宙へと吊り上げた。
「魔法、使えないだろう」
男――ジュリアスと呼ばれた浮浪者が、醜く歪んだ顔でとしたり顔で笑う。
「っ……! 魔力が、きえる……!」
セラフィナは空中で藻掻きながら、ギリリと歯を食いしばった。何か見えないエネルギーを放とうとしているようだが、空気がわずかに陽炎のように歪むだけで、何も発現しない。
「この世界では、魔法は形をなさないらしい」
ジュリアスは、ゆっくりと歩み寄りながら語り始めた。
「我々同様、この世界の人間にも魔力というものはある。しかし、この世界の環境が、魔力を『魔法』として外へ出力することを極度に嫌うらしい」
私は物陰からその光景を見ながら、戦慄していた。
白い帯。空中に浮くセラフィナ。それは紛れもなく、物理法則を逸脱した『魔法』だった。
「矛盾、してますわ……、 貴方は、魔法を……使えているではありませんか……!」
「努力したからさ」
ジュリアスは、ギリッと奥歯を鳴らした。
「お前のせいでこんな世界に飛ばされ、虫けらのように扱われて味わった屈辱を返すために……何十年も、ひたすら努力した結果だ!」
「私には、そんなこと、した身に覚えは……ありませんわ!」
「はは! 確かにお前はそうだろうな!」
男が腕を振り上げると、白い帯がギリギリと音を立ててセラフィナの首と胴体を締め上げ始めた。
「あがっ……ぁ……」
セラフィナの顔が苦痛に歪み、酸素を失って意識が遠のいていくのが見て取れた。
「セラフィナ!」
私が叫ぼうとした瞬間、隣にいたアイシャが風のように飛び出した。
彼女はためらうことなく、セラフィナを縛る白い帯を素手で掴むと、短い気合と共に、物理的な力任せにそれを引きちぎった。
ブチブチッ、と光の帯が千切れ、セラフィナが地面に落下する。
「ゲホッ、ゴホッ……! はぁ、はぁ……っ。アイシャ、あなた、その力……」
咳き込むセラフィナが驚いたように見上げると、アイシャは平然と答えた。
「魔力を体内で消費する分には、この世界でも問題ないようです」
「な、なるほど。そういうことですか」
私の分からないところで話が進む。
若干蚊帳の外だ。
「小賢しい真似を……!」
ジュリアスが再び激昂し、先ほどよりも太い白い帯を大量に放つ。
それはセラフィナとアイシャの二人を同時に捕らえようとしたが、アイシャはセラフィナを背にかばいながら、迫り来る帯を次々と難なく引きちぎり、弾き飛ばしていった。
「な、なんだと……!?」
ジュリアスが驚愕の声を上げる。
「何をした……! この世界で、それほどの力をどうやって……!」
「なんてことのない、基本的な魔力操作ですわ」
息を整えたセラフィナが、余裕の笑みを浮かべて立ち上がった。
「魔法とは、魔力に形を与えて出力する高度な技術。使うにはそれ相応の修練が必要ですわ。しかし、一般的な騎士たちの魔力の使い方は、体内で消費して自身の身体能力を強化すること。レオンハルト様などは、有り余る魔力を放出することで攻撃にも転用できましたけれど」
セラフィナは、挑発するようにジュリアスを指差した。
「魔法の基礎の基礎である身体強化も知らないなんて。やはり貴方、王宮でサボってばかりいましたのね?」
「……っ、黙れ!」
「ねえ、ちょっと!」
私はたまらず物陰から口を挟んだ。
「さっきから聞いてたけど、あいつ何者なの!? お姫様の知り合い!?」
「私の元婚約者、ジュリアス殿下ですわ! 詳しくは後ほど。あなたは危ないから離れていなさい!」
元婚約者!? あのボロボロの老人が、ルミナス王国の第一王子だっていうの!?
状況が理解できず混乱する私の前で、セラフィナの容赦ない煽りが続く。
「相変わらず、スカスカの魔法ですわね。何十年もかけて、その程度ですか?」
「舐めるなよ、小娘がッ!!」
激昂したジュリアスが、全身から尋常ではない数の白い帯を放出した。
狂気に任せた無差別攻撃。セラフィナとアイシャは強化された身体能力で軽々とそれを躱していくが、外れた巨大な光の帯が、遊歩道脇のコンクリート製の電柱の根元に直撃した。
轟音と共に、電柱の根元が砕け散る。
そして、バランスを崩した巨大なコンクリートの柱が――物陰に隠れていた私の方へと、真っ直ぐに倒れてきた。
「え……」
「危ないッ!!」
絶叫と共に、セラフィナが私に向かって飛び込んできた。
ドンッ、と強い力で突き飛ばされ、私はアスファルトを転がる。直後、私がいた場所に凄まじい地響きと共に電柱が叩きつけられた。
「セラフィナ!」
私が顔を上げると、私を庇って体勢を崩したセラフィナが、再びジュリアスの白い帯に全身を捕らえられていた。
「ちぃ……!」
アイシャがすぐに駆け寄り、帯を引きちぎろうとするが、今度はビクともしない。
「いつまでも同じと思うなよ……! 強度を圧縮した!」
ジュリアスが、血走った目で笑いながら手を握り込む。
「くっ……相変わらず、無駄に魔力総量だけは……多いみたいですわね……!」
セラフィナは苦しげに煽り返すが、帯の締め付けは先ほどよりも遥かに酷く、彼女の白い肌にどす黒い痣を作り始めていた。
このままでは、内臓が破裂するか、首の骨が折られてしまう。
(どうすれば……私に何ができる!?)
私が絶望感に苛まれ、何か武器になるものを探そうとした時だった。
『そこまでだ!! 動くな!!』
静寂の公園に、甲高いサイレンの音と、拡声器を通した鋭い声が響き渡った。
見れば、赤色灯を回したパトカーが数台、遊歩道の入り口に乗り上げている。そして、無数のフラッシュライトがジュリアスを照らし出した。
先頭に立って拳銃を構えていたのは、制服姿の私の弟――直樹だった。




