第六十六話:現場へ
ガチャリ、と重い金属の扉が開き、廊下の冷たい空気が部屋の中へと流れ込んできた。
アイシャが即座に私とセラフィナの前に立ちふさがり、目にも留まらぬ速さで臨戦態勢をとる。
「……やっぱり、こんなことだろうと思ったよ」
暗がりの中から姿を現したのは、大きなため息をつきながら呆れ顔を浮かべる若者――私の弟の直樹だった。
彼は警察の制服姿ではなく、私服のジャケットを羽織っていた。
「直樹……なんで? あんた今日夜勤でしょ?」
「生活安全課の夕食休憩だよ。コンビニ弁当買うついでに、ちょっと寄ってみたら案の定これだ」
直樹はアイシャの鋭い眼光に少しビビりながらも、靴を脱いで部屋に上がり、明かりのスイッチをパチリと追加でつけた。
「昼間、姉ちゃんからいきなりあんな不自然な電話がかかってきたからさ。俺が担当してるって認めたような反応しちゃったし、絶対姉ちゃんのことだから、俺の部屋に資料でも漁りに来るんじゃないかって推測してたんだよ」
「……」
「ていうかさ」
直樹は、物色された痕跡のある自分のデスクを見て呆れたように肩をすくめた。
「事件の概要を記した資料や手帳なんて、家に置いておくわけないだろ。捜査資料の持ち出しなんて懲戒モノだよ。そもそも、俺がその外国人失踪の一件を任されたの、今日の朝だしね。家に資料があるはずがない」
私とセラフィナは顔を見合わせた。確かに、冷静に考えれば現代の警察官がそんな杜撰な情報管理をするはずがない。
「姉ちゃんの割には、随分焦ってるみたいだね。いつもならもっと狡猾に、俺が署にいる隙にスマホをハッキングするとか、それらしい嘘で情報を引き出すとかするのに。よっぽど切羽詰まってるわけ?」
直樹の痛い指摘に、私はぐうの音も出なかった。
自分の命日が三日後に迫っているという事実が、無意識のうちに私の思考から余裕を奪っていたのだ。
「……えっと、直樹。ちょっと信じられないかもしれないけど、紹介するね」
私は観念して、アイシャの背中をポンポンと叩いて警戒を解かせると、その後ろからセラフィナを前に出した。
「え……っ」
直樹は、一歩前に出たセラフィナを見て、完全にフリーズした。
ショートボブに切り揃えられてはいるが、透き通るような白磁の肌と、宝石のように輝く瞳。ハリウッド女優すらも霞むような、異次元の美貌を持つ外国人が自分の狭いアパートに立っているのだから無理もない。
「初めまして。あなたが直樹さんですわね? 彼女から話は聞いておりますわ」
セラフィナが優雅に微笑みかける。
「は……? え、外人……? 姉ちゃんの留学生の友達?」
「いいえ。私は異世界からやってきた、あなたの姉の前世の魂を持つ、ルミナス王国の令嬢ですわ」
「……はい?」
直樹の口がポカンと開いたまま塞がらなくなった。
「異世界? 前世の魂? 姉ちゃん、この人何言ってんの?」
「本当なんだよ」
私が真顔で頷くと、直樹はますます混乱したように頭を抱えた。
「いやいやいや、ちょっと待って。そんなオカルト信じるわけないだろ!」
「信じられませんか? では……」
セラフィナはクスリと笑うと、直樹に一歩近づき、耳元で小声で囁いた。
「あなたが中二の夏休み、こっそりエッチな本を隠そうとしてベッドの隙間に落とし、取れなくなって泣きながら私(姉)に助けを求めたこと。そしてその口止め料として、一ヶ月間お小遣いを巻き上げられたこと……知っておりますわよ?」
「なっ……!?」
直樹の顔が、一瞬にして茹でダコのように真っ赤になった。
「な、なんでそれ……! それを知ってるのは、姉ちゃんしか……! い、言ったのか!?」
「貴女の姉が、そんな不義理を果たす訳ないでしょう。だから、私は『あなたの姉の前世』なのですわ。魂と記憶が同じですから」
「う、嘘だろ……?」
直樹は信じられないものを見る目で、私とセラフィナを交互に見た。
私は直樹をソファに座らせ、大急ぎで事情を説明した。彼女たちが異世界から来たこと。私が三日後に死ぬ運命にあること。そして、タイムパラドックスと並行世界の因果関係を検証し、死を回避しつつ彼女たちが元の世界へ帰る方法を探していること。
「……異世界転移に、命日が三日後」
直樹は頭を抱え、ブツブツと呟いた。
「普通なら即精神科行きだけど……姉は信じてる……ドッキリか? だったらもっと手が込んでるよな……こんな雑じゃないはず……」
一通り逡巡した後、まぁ話が進まないしと納得した様子を見せる直樹。
直樹は根が真面目で、私に対しては昔から逆らえないところがあった。
ある種の諦めなのかもしれない。
「助かるよ、直樹。で、早速なんだけど……彼女たち二人が見つかった時の詳細な話を教えてほしいんだ」
「……まあ、姉ちゃんの命がかかってるなら、出し惜しみしてる場合じゃないか」
直樹は周囲を一度見回し、少し声を潜めて語り始めた。
「昨日の朝六時頃。早朝のジョギングをしていた通行人から、『女の人が二人、道端で倒れている』って110番通報があったんだ。場所は、ここから三駅離れた、臨海公園の奥のほうにある遊歩道」
「臨海公園……」
「最初はひき逃げか、薬物絡みの事件かと思ったらしいんだけどさ。初動の警官が現場に駆けつけてみると、ちょっと妙な状況だったんだよ」
直樹の顔が、警察官としての真剣な表情に切り替わる。
「二人が倒れていた周囲の……半径五メートルくらいかな。アスファルトの遊歩道と、脇の植え込みの草木が、まるで『そこだけ空間ごと丸く切り取られた』みたいに、綺麗に抉り取られていたんだ」
「切り取られていた?」
セラフィナが鋭く反応した。
「ああ。爆発したような焦げ跡でもなく、重機で削ったような跡でもない。本当に、スイカをスプーンでくり抜いたみたいに、スッパリと地面が半球状に消滅してて、そのくぼみの真ん中に二人が倒れてたらしい」
「……なるほど。空間転移の際、座標のズレでこちらの世界の物質を上書き、あるいは弾き飛ばしてしまった痕跡ですわね」
セラフィナが顎に手を当てて納得するように頷く。
「鑑識も首を傾げてたよ。で、身分証もないし、着てる服も見たことないような布地だし、とりあえず病院に運んで意識が戻るのを待とうってことになったんだ。俺は、その後の行旅病人としての処理と、逃げ出した彼女たちの足取りを追うように命令されてたんだけど……まさか実家に匿われてるとはね」
直樹は深いため息をついた。
「臨海公園の、地面が抉れた場所だね」
私はスマホの地図アプリを開き、目的地をピン留めした。
「そこに何か、空間の歪みやゲートの残滓が残っているかもしれない。明日、行ってみるよ」
「……姉ちゃん」
直樹が、心配そうな目で私を見た。
「あ、いや、なんでもないや」
「ん? なに、何か他に情報あんの?」
「あーいや。なんていうか」
少し悩んだ様子の直樹。
「えーと、死なないでな」
「わかってるよ。絶対に死なないから」
私は弟の肩をポンと叩き、セラフィナとアイシャと共に、夜のアパートを後にした。




